旧閑谷学校再興 西毅一を顕彰 没後120年で機運高まる

西毅一

 江戸時代に岡山藩が創設した旧閑谷学校(備前市閑谷)を明治期に再興した西毅一(1843~1904年、号・薇山「びざん」)が没後120年を迎えた。国の変革期に人材の育成に尽くした功績をしのぶ祭典やコンサートが3月に行われたほか、有志がゆかりの建物の保存を求めて28日、管理する岡山県教委に要望書を提出。節目の年を機に、顕彰機運が高まっている。

 「教え子に慕われ、地域の人々に親しまれ、教育に心血を注いだお姿をしのばずにはいられない」

 閑谷学校近くの墓所前で23日に営まれた120年祭。開催に協力した公益財団法人・特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会の国友道一理事長(74)が祭文を読み上げ、西家当主の西厚志さん(70)=神奈川県逗子市=ら子孫や保存会員約20人が、精神を受け継いでいく決意を新たにした。

 100年祭以来の祭典に厚志さんは「毅一の死後、西家は岡山を離れたが、ご縁が今なお続いていることに感謝したい」と語った。

 コンサートも23日、旧閑谷学校隣接の県青少年教育センター閑谷学校で開かれた。企画したのは、毅一の生き方に共感するという元高校教諭の佐藤淑子さん(77)=岡山市=ら4人。2020年の閑谷学校創学350年記念事業で披露した、毅一が登場する市民ミュージカルに携わった。

 ミュージカルの劇中歌22曲のうち、ピアノとフルートの奏者2人が11曲を演奏。備前市内外の聴衆約30人が、毅一役のせりふなどを通じて学校の歴史に触れた。

 有志が保存を求めている建物は、旧閑谷学校内にある「華甲斎(かこうさい)」。毅一の教え子たちが還暦を祝い1903年に贈った書斎だ。傷みが進んで公開はされていない。

 佐藤さんと別の2人が発起人となって1月から署名活動を始め、約2500人分が寄せられた。保存が困難ならば記念碑設置を訴えている。4月5日には備前市にも要望書を提出予定。

 佐藤さんは「毅一の大きな功績と人柄を後世に伝える象徴的存在を失うことは、郷土の歴史の一部が欠落することに等しい。何とか残す方向で検討してもらいたい」と話す。

 西毅一(にし・きいち) 岡山藩士の子として岡山城下に生まれる。儒学者森田節斎らに学んだ。明治維新後、岡山県の役人や東京上等裁判所の判事を務め、自由民権運動にも関わった。旧閑谷学校の再興に向けて1881年、閑谷保黌(こう)会を結成して募金活動に乗り出す。84年に閑谷黌を開校し、教頭に就任。86年には黌長に就いた。多くの人材を輩出し、伝統は和気閑谷高に引き継がれている。衆院議員も2期務めた。1904年3月、自刃した。

毅一ゆかりの書斎「華甲斎」。有志が保存を求める要望書を県教委に提出した
「華甲斎」の保存を求めて県教委に要望書を提出する佐藤さん(左から2人目)ら=28日、岡山県庁
墓所(右奥)前で行われた120年祭
120年祭で玉串をささげる西厚志さん(左から2人目)
没後120年を機に遺徳をしのんで開かれたコンサート

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