環境良いのに…横浜・金沢区の人口、50年には約25%減の見込み 区内出身の記者が理由や対策を探ってみた

金沢区役所

 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が昨年末に公表した地域別人口推計では、神奈川県は2020年と比べると、50年には約70万人減少し約852万人となる。三浦市や真鶴町は同年に人口が約半分となる見込みで最も減少幅が大きい。一方、政令市の横浜市でも18区のうち13区でマイナスとなり、中でも金沢区は4分の1近くが減少する。人口は2006年をピークに減少の一途をたどる金沢区。環境も良く、都心まで1時間近くで行ける立地でありながら、なぜこれほど減ってしまうのか。区内に長年住んだ記者が、理由や対策を探ってみた。

 まず、金沢区について紹介してみよう。 

 横浜市の南端に位置する同区は1948年に磯子区から独立し、この時の人口は約5万2千人。50年代後半から宅地開発が進み、高度経済成長期の69年に10万人を突破した。

 71年には横浜市のまちづくりの骨格となる「6大事業」の一つとして、臨海部の埋め立てが始まり、中小工場の移転やニュータウンの建設、海の公園の整備が進められた。91年に20万人を超え、2006年12月にはピークとなる21万2519人となった。

 区内には、京浜急行線と金沢シーサイドラインが通っており、京急線の金沢文庫駅から都心までは特急を使えば1時間ほどのアクセスだ。金沢北条氏の菩提(ぼだい)寺・称名寺といった歴史スポットのほか、金沢動物園、横浜・八景島シーパラダイス、19年9月にオープンした「ブランチ横浜南部市場」などの観光施設もある。古くは歌川広重の浮世絵「金沢八景」として描かれるなど風光明媚(めいび)な土地柄で、明治時代には伊藤博文ら政府の要人が別荘を構えた。

 区統計要覧(24年2月発行)によると、人口は市内で11位だが小学校数(22)、中学校数(11)はいずれも6位。公園数209は3位、区内面積は約31平方キロで6位だが、公園面積は296ヘクタールで1位と、住みやすい町と言えるだろう。23年に行った意識調査でも、回答した区民の78%が「金沢区に住み続ける」と答え、居住地として選んだ理由としては環境を挙げる声が多かった。持ち家率は66.7%と市内で3位だ。

 しかし、人口は07年から減少を続け、18年には20万人を下回った。そして、50年には約15万2千人と現状の4分の3ほどの規模となる見通しだ。同じように都心からは距離があり、15~20年前に人口のピークを迎え、減少傾向が続く港南区、栄区、泉区、瀬谷区と比べても、金沢区は50年の人口減少率が一番高い。22年の人口増減率をみると、マイナス0.89%で市内平均(マイナス0.06%)と比べ圧倒的に高く、市内ワーストだった。

 なぜ金沢区は、人口の減少幅がこれだけ大きいのか。

 区政推進課は「圧倒的に(出生者よりも死亡者が多い)自然減」と説明する。15年までは、転出者が転入者を上回る「社会減」の要因の方が多かったが、16年に逆転。23年は社会減30に対し、自然減は1387だったという。死亡者数は近年、2千人前後で推移。出生数は21年、62年ぶりに千人を下回った。65歳以上が占める高齢化率は30.8%(23年9月時点)と、栄区と並び市内で最も高い。40年には40.9%と5人に2人が高齢者となると推計されている。つまり高齢化が進む中、子育て世代が先細っているというわけだ。区の平均年齢は23年9月時点で49.6歳と、10年10月時点の44.6歳から5歳も高くなっている。

 人口が50年に4分の1近く減る見込みであることに対して同課は「区内には海や山、歴史資源、観光施設など魅力がたくさんあるのに、区外の人に知られていない。PRが必要」と受け止める。

 急速な減少見通しの理由と対策や、同じような環境でありながら人口増が続く藤沢市との違いを知りたくて、記者はまちづくりの専門家にも尋ねた。

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