星稜、惜敗も全力プレー能登から元気「逆にもらった」

アルプス席の応援団にあいさつする星稜ナイン=30日午後1時5分、甲子園球場

  ●満場の甲子園包む拍手

 深々と頭を下げた星稜ナインを満場の温かい拍手が包み込んだ。「被災地に元気を届ける」を合言葉に乗り込んだ春の甲子園。1点差で石川県勢初の決勝進出を逃したものの、貫いた全力プレーに悔いはない。「応援していただき、逆に力をもらっていたような気がします」と山下智将監督。被災地を思う人々の絆に感謝し、爽やかに聖地を後にした。

 地震で大きな被害を受けた石川から出場した星稜と航空石川は大会前から大きな注目を浴びた。輪島市の校舎が使えず山梨に避難した航空石川は1回戦で常総学院(茨城)に0―1で惜敗。被災地の「希望」として星稜1校へ期待が膨らむ中、山下監督は「この子たちにそこまで背負わせるのは難しい」と心配していたが、選手はその期待も力に変えた。

 2回戦の八戸学院光星(青森)戦。ベンチでは「石川県は負けられない」「航空の分も頑張るぞ」と活気づいた。3回戦でも結束は固く、阿南光(徳島)を5-0で破り、県勢初となるベスト4へ進んで歴史を塗り替えた。

 迎えた準決勝。スタンドには石川県外のファンの姿もあった。京都府から訪れた中井良一さん(71)は「被災地を応援するつもりで来た。星稜が勝てば能登の人も元気になる」と見守った。「地震に負けず一生懸命プレーする姿がけなげで応援したくなった」と足を運んだ若い女性もいた。

 星稜はこれまで甲子園で数々の名勝負を演じてきた。1979年の箕島(和歌山)との延長十八回の死闘、92年の明徳義塾(高知)戦での松井秀喜さんへの5連続敬遠。だが、いずれも敗者となっており、松井さんいわく「負けて伝説」をつくってきた。

 昨年11月の明治神宮大会に続く日本一は逃したが、堂々の4強入り。芦硲(あしさこ)晃太主将は目を潤ませながらも「石川の人に自分たちの全力プレーを見てほしいと臨んだ大会。多くの人に応援してもらい、感謝の気持ちでいっぱい」と笑顔だった。

 春夏通じて甲子園の優勝がないのは石川を含め12県。「夏は優勝して恩返ししたい」と芦硲主将。次こそ勝って歴史に名を刻む。

  ●「県民に勇気与えた」馳知事

 馳浩知事はコメントを発表し、母校・星稜の県勢初のベスト4を祝福した。0―1で初戦敗退した航空石川の奮闘は「感動するものであった」とし、「両校の選手の姿は、被災した方をはじめ、すべての県民に大きな勇気を与えてくれた」とたたえた。

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