「幸せだね。ありがとう」冷たくなっていく1歳9カ月の息子の体を抱いて

ホスピスでは、親子で記念の手形と足型もとった

母親なので適合するんじゃないですか」

思わず日本語で叫んでいた。しかし、医師は暗い面持ちでこう答えたという。

「体力のない夕青ちゃんはおなかを開いた時点でアウトです」

愕然とする千尋さんに、病院の副院長が懇々と諭した。

「こどもホスピスで最期の時間をよりよく過ごしては――。見学だけでも行ってきてはどうですか」
「ホスピス……」

当時の千尋さんには「死を待つだけの場所」というイメージがあった。絶望した気持ちで、なすすべもなく夕青くんのそばでうなだれる千尋さん。しかし、夕青くんはぐったりしつつも、小さな声でこんなふうに言ったのだ。

「おうち、かえろうか……」

食べることもできず、話すことも少なくなっていた幼子の魂の訴えだった。

■冷たくなっていくわが子に寄り添って……

夕青くんにとって帰る家といえば鯖江市の実家。しかし、「もはやフライトに耐えられる状態ではありません」という医師の診断もあり、千尋さんは「治療を諦めるわけではありません」と医師たちには念を押したうえで、デュッセルドルフにあるこどもホスピス「レーゲンボーゲンラント」へ向かうことにした。

「訪れた私たちを5~6人のスタッフさんが待っていてくれて。『私たちは全員看護師で、チームユウセイです。24時間夕青くんのお世話をするのでなんでも言ってください』と。まるで友人のような笑顔で出迎えてくれたのです」

案内された部屋の扉には太陽と虹のイラストが描かれ「yusei」の名前入りプレートがかけられていた──。

「この夜、3カ月ぶりに、夕青に『今日は楽しかったね』と声をかけてあげられました」

闘病中は「治ったらね」といろんなことを我慢のさせ通しだった。久しく公園にも行っていなかったが、親子3人で施設内にあるプレイランドで遊ぶことができた。

「縦に抱っこできたのも1週間ぶりでした。夕青の手形足形を取ることもできて。闘病中の3カ月間も手や足はちゃんと成長していたことがわかって。これもチーム夕青のメンバーが絵の具を用意してくれたんです」

ふだんは家族だけで過ごさせてくれつつ、必要なときだけスタッフがスッとあらわれて、寄り添ってくれたのだという。

4日目の夜半のことだった。

「夕青の手をさすっていると冷たくなっていくのを感じて。『もうこの子は自分で体温調節をすることが難しいのだ』、そう思うといたたまれなくなり、部屋を飛び出して共用ダイニングの椅子に座り込んでいたんです。そうしたら、スタッフのひとりがさりげなくやってきて、私の斜め前の椅子にずっと掛けていてくれました。

何を話すでもなく家族のように寄り添ってくれる。不思議なことに、その“名もないケア”を受けているうちに、夕青がもうすぐ逝ってしまうことを受け入れなくてはならない気持ちになったのかもしれません」

最後の夜、千尋さんは夕青くんに寄り添い、「すごく幸せだね、ありがとう」という言葉をかけることができた。

夕青くんは2019年1月10日の午前8時34分、1歳9カ月で旅立った。

「夕青がホスピスで過ごせたのは5日間でしたが、亡くなった後もドイツの友人や日本の家族が訪れてゆっくりお別れができる部屋が用意されました。

食べることなど忘れていたのに、『食べないと』と私たちにずっと温かいごはんを出してくれて。ホスピスを退去する日も『いつでも戻ってきて』と送り出してくれました」

(取材・文:本荘そのこ)

【後編】「すごくいいと思う!」がんでわが子を失った母たちが出会い“理想のこどもホスピス”作りが始まったへ続く

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