マンハッタン/東京(3月31日)

 今年度本学が採択された文部科学省「大学の世界展開力強化事業」の一環で、今月本学と福島高専の学生10名が米国ワシントン州ハンフォードでの研修を行った。

 ハンフォード・サイトは、第二次世界大戦中の米国の原子爆弾開発・製造計画「マンハッタン計画」の主要地区の一つで、長崎に投下された原爆のプルトニウムを製錬した場所として知られている。現在も米国で最大の核廃棄物汚染・処理問題を抱えている一方で、隣接する〝トライシティ〟は全米有数の発展都市として「福島イノベーション・コースト構想」のモデルの一つともなった。

 そのマンハッタン計画を主導した〝原爆の父〟ロバート・オッペンハイマーの生涯を描き、今年度の米アカデミー賞を席巻した『オッペンハイマー』が、一昨日ようやく日本で公開された。

 世界中で大ヒットし、日本にとって重要なテーマを描いたこの映画については、当初から日本公開が危ぶまれ、結果大幅に遅れた。これには様々な複合的理由が指摘されているが、その論点の一つが広島、長崎への原爆投下や被害の実態を直接的に描いていない、という批判だと言われている。

 確かに米国の主要産業の一つである映画産業の商業主義や、政治と切り離せない関係ゆえのバイアスがあることは間違いない。

 しかし、非合理で不当な改ざんであるかではなく、原爆被害を直接描かなければこうしたテーマを扱えないことになるとすれば、それは表現の自由への侵害というだけではない。例えば原発事故の現場を描かなければ福島の震災の惨禍を伝えられないのか、今も原発事故の様々な〝間接的〟被害の最中にある私たちには違和感を禁じ得ない。

 全国上映に先立ち、今月広島と長崎で試写会が行われたが、その報道の中で、とくに長崎での被爆者のコメントが印象に残った。

 「原爆被爆者の映像が取り入れられていないことはこの映画の弱点かと思ったが、オッペンハイマーのセリフの中に何十カ所も被爆の実相にショックを受けたことが込められていた。あれで僕は十分だったと思う」

 無論デリケートなテーマであり、賛否両論、批判的な意見があってしかるべきだ。むしろ日本が世界に訴えるべきは、広島や長崎の原爆資料館などで映画に描かれない実相に触れることの重要性であり(既に多くの外国人が訪れているようだが)、少なくともレッテルを貼って議論を封殺するよりも、不穏な世界情勢の中で考えるべきテーマと機会だと捉える方が建設的だろう。

 今月ハンフォード・サイトの除染に来年度初めて30億ドルを超える予算が付いたというニュースが流れたが、その完了は未だ見通せていない。マンハッタンで計画され、地方がツケを払う――。

 今も〝Fukushima Water〟とレッテルを貼られる私たちには、また別の視点からこの問題を考える機会にもなるだろう。(福迫昌之 東日本国際大学副学長)

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