【#9】※この岡山天音はフィクションです。/ウィーアー

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学生の頃、世は「M字バング」だった。

前髪を「M字バング」にすると「維持しなければならない自分」が始まる。

だから俺はカチューシャやヘアバンドをして学校に通った。しかも流行りから逸脱した、母親のドレッサーから引っ張り出してきた鼈甲のカチューシャや真っ赤なヘアバンドだ。

実体ではない自分を維持する人生ではなく、前髪のデザインを放棄して、自分のおでこを世の中に晒し続ける人生を選んだ。

なぜなら「自然体が一番カッケェ…」からだ。

思春期の男子たちが前髪で見栄えをかさ増ししようとしていた頃、俺はそれよりも「自然体が一番カッケェ…」だった。
皆がこぞって真似したY先輩の制服の着崩し方にも、俺はイマイチ乗っかれなかった。
なぜなら「自然体じゃねぇ」から。
「自然体が一番カッケェ…」だろ。

俺は「自然体」に夢中だった。

思い返せば、産まれた瞬間から俺は「自然体」に魅力を感じていた。

その時はまだ言葉を知らなかったけれど、産まれたばかりの俺は裸で、俺を抱き抱える助産師さん達は服を着ていて、そこに俺は既にゲンナリしていた。
「あ、これはみんなちょっと足し算しちゃってるな」と。

正直、大声で泣きじゃくって「この世に誕生した俺」をドラマチックに見せたいみたいな欲も自分の中に感じていた。

いつでもみんながこの瞬間を思い出せる様に、このページに大きな栞を挟みたくなっていた。

でも、ちょっと待って。

それってかさ増ししちゃってるよね?

俺は一旦、自分を俯瞰することで人生最初の「自分じゃない何かを演じる事」を回避しようとした。

だから俺は自然に任せる感じで、涙が出る分には出す感じで、でももうちょい行けるか、みたいなのはナシの感じで、結果、俺の産声はすすり泣きで終わった。

それからの人生は、「等身大の自分」と「かさ増ししたい自分」とのせめぎ合いだった。

特に「思春期」は強敵だった。

あらゆる局面を俺の前に用意して「自分を良く見せる為に自覚的に自分をデザインしてみろよ」と耳元で囁いた。

みんなが格好良いとするロールモデルを、身近な場所や流行のドラマの中に登場させた。

俺は誰にもなりたくなかった。俺は俺になる。俺はどんどんどんどん俺になる。

俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺。

気付いたら俺はもう「自然体」じゃなくなっていた。

周りの流行に反発するだけの「不自然体」になっていた。

みんなが携帯を持ち歩いていた頃、俺は石を持ち歩いていた。

授業中みんながバレないようにメールを打ち込んでいる中、俺はバレないように石をちょっと撫でていた。

みんながファッション誌に熱中していた頃、俺は壁に熱中していた。

行った先のあらゆる壁に手を当てて、何も見ずにその壁の材質を言い当てるという技だけを磨き上げていった。

楽しくはなかった。

演じない事を求め過ぎた結果、誰よりも演じていた。

かさ増しに背を向けるだけならまだ良かったが、いつの間にかただ流行と睨み合い、そこからなるべく遠くへ船を漕ぎ出す事に目的がすり替わっていたのだ。

知らず知らずのうちに、俺の船は暗礁に乗り上げていた。絶望ニキ。

俺の「自然体」はどこにある?

そもそも俺の「実体」はどこにあった?

自分がどこかではぐれてしまった自分と、もう一度、出会い直す。今まで来た道を引き返す。

実家の自室で自分探しの旅をはじめた。

自分が何を好きなのか、自分が何を美しいと思うのか。

四畳半の畳の目に挟まった、自分にとっての砂金だけを探して集めた。

自分だけの美意識を研ぎ澄ませていく事が「自然体」なんだ。

周りと反対を向く事が「自然体」なんかではない。もちろん外から拝借してきた装飾を、自分に施す事でもない。

周りと違っても、たとえ同じだろうと、自分の内側に耳を澄ませて、そこにあるものだけに正直になっていく事が「自然体」なんだ。

そのためなら嘘もつくし、絶対に嘘はつかない。

自分から咄嗟に出てきた声が、おもろい。

うん。

ONE PIECEの最終回もこれだと思う。

※この岡山天音はフィクションです。

本当に変な締め方だって、僕も思ってるんです。

僕だって思っています。

そうなんです。

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