『松尾潔のメロウな夜』放送終了に寄せて 古典から現行まで、番組がもたらした芳醇なR&B体験

『メロ夜』の豊かさとは
2022年3月25日、忘れもしない。一人の映画監督を失った事実が公表され、あんなにショックを受けるとは……。3月28日、『EUREKA』(2001年)などで知られる青山真治監督の訃報を受けて放送された『田畑竜介Grooooow Up』(RKBラジオ)に毎週月曜日にレギュラー出演する音楽プロデューサー・松尾潔のコメントが深い悲しみを癒す数少ない言葉の一つとなった。『レイクサイド マーダーケース』(2005年)のエンディング曲(メイヤ「Simple Days ~ Walking The Distance」)を担当した立場から、会う前は「あんまりアホなことを話すと足元見られないかな」と思っていたと話す。僕はビクビクしながら青山監督に「突発的な暴力描写」について質問したことを不意に思い出した。「突発的暴力……いいよねぇ」という肯定が返ってきて、敬愛(憧憬)と恐怖はつくづく紙一重だなと。

あるいはこんなことも。ある晩、Instagramを開いたら、池松壮亮主演のジャズを扱った音楽映画『白鍵と黒鍵の間に』(2023年)試写後、冨永昌敬監督を中央に、松尾さんと甲斐真樹プロデューサーが左右に位置した一枚が。甲斐プロデューサーは、青山監督の『サッド ヴァケイション』(2007年)や『共喰い』(2013年)も手掛けている。冨永監督からは大学で映画演出の手解きを受けた。冨永監督の近影を確認できたかと思えば、日刊ゲンダイの連載『松尾潔のメロウな木曜日』掲載の同作レビューを読んで終映間際の劇場に駆け込み、それこそ6年ぶりに冨永監督と再会できたことが嬉しかった。そんなメロウなめぐり合わせを感じた矢先の2024年2月14日、今度はX(旧Twitter)上で、14年間続いたラジオ番組『松尾潔のメロウな夜』(NHK FM、以下、『メロ夜』)放送終了がアナウンスされた。

番組冒頭の必殺フレーズ「豊かで芳醇で色っぽい」が、いつでもマジカルなお約束として毎週月曜日夜11時からの50分間を永遠に感じさせた。レトリックを尽くした解説が本当に色っぽく、古典から現行までスウィート(時にビター)で芳醇なR&B体験をもたらしてくれた。ブラックミュージックの背景にあるアフリカン・アメリカンの歴史に目を向けさせることにも余念がなかった。2020年放送の「Black Lives Matter」特集では、「ミュージシャンが異を唱える」ことの意義とそのメッセージに語気を強めた。今年3月4日の再放送後の深夜には、NHK BS1でロバート・ベントン監督の『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984年/日本公開は1985年)が放送される偶然が重なりもした。白人監督であるベントンが、人種に関係なく共存することの現実を夢見るしかなかったラストの過酷さに改めて目が開いた。『メロ夜』には日常を拡張させてくれる悲喜交々の豊かさがあるのだ。

神回ならぬ“萌回”と不覚だった最終回
音楽エッセイ『松尾潔のメロウな季節』(通称:青メロウ)には、黒人映画監督 スパイク・リーとの「とばっちり」エピソードが綴られている。1980年代後半に20歳で筆を取った音楽ライターから音楽制作に移行する経緯がラストの数行に織り込まれているさりげなさにはシビレル。あれ、松尾潔の初プロデュース作品ってなんだっけ……。即答できないようじゃR&B初等教育止まりか。なんて焦ることはない。ちゃんと書いてある。肝心の1996年初プロデュース作Jon B「Simple Melody(KC’s Be-Mellow Remix)」については、『松尾潔のメロウな日々』(通称:赤メロウ)のクインシー・ジョーンズを「熱情あふれるブラザー」と悟った感動的断章と、愛すべきジェラルド・リバートについての章(青メロウ)にある。

ジェラルド・レヴァートといえば、同著で言われるようにバリー・ホワイトそっくりでびっくりする。曰く「ロマンティックなファットマン」。こうした類似から連想ゲームが際限なく続くのも『メロ夜』的豊かさの醍醐味だ。2015年放送回にゲスト出演した音楽ジャーナリスト 吉岡正晴さんによるホワイトのエピソードが秀逸だ。シャーマン・オークスにあったホワイト邸を訪ねたインタビュー中、しきりに「バリー・ホワイトは」という一人称を使ったらしい。

ソウルサーチャーが披露するスターたちとの邂逅秘話に柔らかな相槌を打ちながら松尾が微笑む様子が容易に浮かぶ。それは、ハワード・ホークスによる世代間ウエスタンの傑作『リオ・ブラボー』(1959年)でジョン・ウェインがコーヒーカップを片手に、リッキー・ネルソンの歌唱に合わせてハーモニカを吹くウォルター・ブレナンを微笑んで見ている、あの愛くるしい光景さながら。1990年からの付き合いの松尾と吉岡が、2010年、『メロ夜』放送開始直後に2本のローソクを立てたケーキで自分たちの出会いを祝ったことを知ったときにはもう胸キュン。8年7カ月ぶりに登場した今年2月5日の放送回は、もはや神回ならぬ“萌回”だったことを放送直後、興奮冷めやらぬままに吉岡さんに長文メールで伝えたほど。興奮冷めやらぬまま、最初で最後の生放送と銘打たれた最終回(3月25日)に傾聴すると、冒頭ではちゃんと初プロデュース曲が流れる。メロウ概念の最大成分「the changing same」を唱えたのがリロイ・ジョーンズであることまで丁寧に説明される。「変わりゆく、変わらないもの」としてのR&Bは「変えたくないものがあるから、少しずつ変わっていく」のだと。さらに付言するようにある固有名詞が不意に飛び出した。これは完全に不覚だった。

ヴィスコンティをめぐるよもやま話
「ヴィスコンティ監督の言葉とか引用し始めると……」。

イタリア映画界を代表する巨匠 ルキノ・ヴィスコンティのことだ。ひとりの『メロ夜』リスナー(と同時にヴィスコンティ愛好家)としてこれは聞き逃せない。この文脈でなぜヴィスコンティなのか。ミラノ・スカラ座を経営する公爵家生まれのヴィスコンティは、映画よりむしろオペラのスペクタクルとメロドラマに魅せられた人。ヴィスコンティが演出した1955年の『椿姫』公演が作家的発火点になったのがダニエル・シュミット。その幽玄的傑作『書かれた顔』(1995年)で助監督を務めたのが青山監督……という具合に連想していくと、ヴィスコンティとメロウの伝道師がだんだん近づく。

かたや貴族出身の映画監督、かたや「お箸の国のR&B」を標榜してきた音楽プロデューサー。両者が主眼を置くテーマが実は通底していることに気がつく。ヴィスコンティ最大の関心事であるメロドラマと松尾さんにとってのラブソング。「私がメロドラマを好きなのは、それが人生と演劇との境界線上に位置するから」というヴィスコンティの発言を言い換えるなら、「私がラブソングを好きなのは、それが人生とメロウ(なR&B)との境界線上に位置するから」となる。1965年当時「ゴダールが好きだ」と言ったヴィスコンティが同年公開(日本公開は1982年)の『熊座の淡き星影』に込めた意外性は青山監督の映画論集『シネマ21 青山真治映画論+α集成2001-2010』(朝日新聞出版)に詳しいが、前時代的な作風とされるヴィスコンティ作品が、新世代のヌーヴェルヴァーグを意識しながら「変えたくないものがあるから、少しずつ変わっていく」アクチュアルな意志をむしろ湛えていたことは改めて確認すべきだ。あるいは両者にとって「人生」は「政治」とも言い換え可能。松尾の新著『おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来』(講談社)の冒頭には「政治の話をしたばかりのその声で、あまやかなラブソングを歌おう」とあり、ファシズムに抵抗した“赤い貴族”の肖像から21世紀にも有効なプロテストソングが響く。いずれも愛と政治がコインの表裏であることが表明されている。

監督第2作『揺れる大地』(1948年/日本公開は1990年)では、南部シチリアの漁師一家が貧しい現実を打破するためにファミリービジネスに転じるが、急激な変革が却って苦境のどん底へ。でも後退ではなかった。変化を望んだ彼らの闘志は過去の記憶として残るから。慣習に縛られた集団ならなおさらのこと。緩やかな変化が必要なだけ。だから「変えたくないものがあるから、少しずつ変わっていく」のだ。松尾が最終回で強調した「メロウはいつも過去形」は「過去は何に役立つというのか」と自問し続けたヴィスコンティの作家的態度と符号するとぼくは思う。あるいは、しばしば“自伝的”とされる『家族の肖像』(1974年/日本公開は1978年)に対して「この映画には自伝的なところは何ひとつない。若干の気質、おそらく感受性の基本的な一致だろう」と言うヴィスコンティの自作自解は、2021年に初小説『永遠の仮眠』(新潮社)を上梓した著者の胸のうちそのままではないか。

ここでちょっとしたよもやま話を。ヴィスコンティは自分の墓碑銘には「“シェイクスピアとチェーホフとヴェルディを愛してやまなかった”と書いてもらいたい」と54歳(1960年)で言い放ったそうだが、現在の松尾さんならどうだろうかと。クインシー・ジョーンズ、ルーサー・ヴァンドロス……『メロ夜』ラストナンバーは、クインシー・ジョーンズがルーサー・ヴァンドロスとパティ・オースティンをフィーチャーした「I’m Gonna Miss You In The Morning」だった。では三人目は(ローマでヴィスコンティに学んだ増村保造監督の『からっ風野郎』(1960年)に主演した三島由紀夫だったり)? 番組の放送はひとまず句点を打ったが、『メロ夜』的連想の探索はまだ読点を打たれたばかりだ。
(文=加賀谷健)

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