どうして“不便な”フジロックに魅了されるのか?

フジロックフェスティバルのオリジナリティーのひとつに、「不便さ」がある。フジロックを主催するSMASHの日高正博氏も、これまでメディアで「不便が大切なんだ」と公言してきた。1997年に富士山の天神山で初年度を迎えたフジロックは、翌年、豊洲に会場を移したものの(主催者は「あれはフェスではなくイベントだった」と振り返る)、99年からは苗場に定着。都会から離れた場所に位置する、天候がすべてを左右する完全な野外で、そして移動距離も半端ない広大な敷地の中で例年200組ほどの到底観きれない数のアーティストが同時多発的にステージを繰り広げる。そんな環境が、フジロックだ。

こうした「不便さ」というステップを積極的に取り入れることは、現代日本の一般的な価値観とあまりにも違うことに興味を持たざるを得ない。そして同時に、単なる興行のためのノウハウのポイントというよりも、この時代において、もしくは未来に向けて、「不便さ」とは重要な発想なのではないかと想像した。だが、その考えはうすぼんやりとしたもの。明確にすべく、今回は、人と物との関係を考えながら「不便益」=「不便でよかったこと」を研究している京都大学デザイン学ユニット教授の川上浩司(ひろし)さんに取材をオファー。「面白そうですね」という言葉を添えてすぐに快諾してくださった川上氏と、不便さだけについて語り合ったという、フジロック関連の記事としては異例のテキストをお届けする。

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■ 不便なものって、自分でやらせてくれる
■ “自分事”になる

──今日は、「不便さ」に焦点を当てたお話を聞きたくて来ました。不便のことをインターネットで検索したら、川上さんに辿り着いたんです。

川上浩司氏:なるほど、便利な検索機能のおかげで不便益を知ってもらえたんですね。僕も、不便益のFacebookページを立ち上げてますから、便利なSNSを通じて宣伝していいのか?と。負けた気がしませんか〜、とよく言われますが(笑)。僕はフジロックに行ったことはないので、今回WEBでいろいろと勉強しましたけど、どうしてあの環境でこれだけの規模の人が集まるのかがまずとても不思議なんです。お金がガンガン廻るということもなく、普通の経済原理が成り立っているわけでもないでしょうし……みなさん、雰囲気を味わいに行くんでしょうね?

──改めて考えると、確かに不思議な現象ですよね。SMASHだからこその素晴らしいミュージシャンを招喚しているということは大前提として、日常から切り離された空間に身を置いて、自然の中でみんながただのいち人間に戻るという、あの場にしかない雰囲気はあります。

川上氏:いち人間に戻る、という感覚は不便益と共通します。便利なものって自動的だから自分ではどうしようもないんですよ。でも不便なものって、自分でやらせてくれる。当事者にとって“自分事”になるので、そういう意味ではいち人間になるという感覚がとても近いなと。

──メインステージに行く途中の小さいステージで誰も知らないアーティストに釘付けになったりもして、それはフジロック特有の面白さとしてよく語られます。いろんなところに散らばっている宝物に自分の足でたどり着くという喜びがある。でも、何をするでもなく、小川の近くでぼーっとしたり、森のなかのボードウォークを歩いているだけでも、シンプルに自然に心地いい。時間の過ごし方のバリエーションがめちゃくちゃあって、その中で自分で行動する面白さがあります。

川上氏:不便益について、十把一からげに「それって、非日常だからいいんですよね」と括られるとムッとするんですよ。「非日常」というひと言に落とし込めるような単純な話ではないと考えているんです。もっと人間の根幹とつながってると考えているので、森の中にいることのよさを「自然に心地いい」とおっしゃったことにすごく共感しました。あとは、「自分で選べる」とおっしゃったことも嬉しい。便利なものって選ばせてくれないことが多いんですよ。たとえば電子レンジも「このボタンさえ押しておけばいいんだよ。いらんことするな」って言われているみたい。フジロックも、ステージがひとつでその前に座っていさえすれば全ての出演者の音楽が聴けますよというしつらえだと、きっと面白くない。たまたま通りかかった小さなステージがなんかよかった、と自分で偶然を作れるようにしつらえられる不便さがいいんでしょうね。どう頑張っても全部は聴けないというのも込みで、「聴けなかった!悔しい!」という想いなどが個々に生まれてくる。

──本当にその通りで、諦める瞬間も沢山あります。自分の健康面と相談してやりくりしないと身を滅ぼすので、そういう調整をやらないといけないです。

川上氏:「やらないといけない」イコール、「やらせてもらえる」なんですよね。あれだけ広いところで自分で動けて自分で選べて失敗までできる……自然の中という環境をすごく上手にやってはるなと思います。こう話していると不便益とのフィーリングがとても近い。

──そうですね。改めて、川上さんが研究されている「不便益」というものの定義からお訊きしたいです。

川上氏:実は、「不便益」にも右か左かという話がありまして。保守派の人たちは、便利を保守するんです。便利でなにか害が見えたら不便にして解決しましょう、という考え。“バリアアリー”というのもその考えで説明できます。バリアフリーにすると便利なんやけど、日々の生活の中にせっかくあるトレーニングの機会も排除してしまうのはいけない、ということで“便利害”を見つけてはじめてバリアを入れる。まず問題を見極めてというのは、工学的にはすごくまっとうなやり方なんですよ。その一方で、僕はどちらかと言うと左派と呼ばれていて、便利なものを見ると不便にしてやろうと思ってしまうんです。

──え、なぜですか?(笑)

川上氏:不便にしてはじめて見えてくるものがあるからです。でも、フジロックもそうだと思いますよ。アクセスしやすい都会で普通にひとつの大ステージでやるほうがずっと便利でいいはずなのに、きっとわざわざ不便にしたわけですよね。いわゆる「フェス」というものにした。僕みたいにひねくれた人間は不便益的には左派で、もしかしたらフジロックをやってる方も……便利なものは便利でいいじゃん、というままだったらたぶんフジロックは生まれていないでしょう。

──そうかもしれません。

川上氏:アイデアは学生から浮かんだんですが、僕が作ったものに、“素数ものさし”というのがあるんです。ものさしって、目盛りが全部書いてあって便利過ぎるでしょう。だから、目盛りを歯抜けにしてやれと思ったんですよ。

──ものさしの概念が覆されます。

川上氏:普通の歯抜けじゃ面白くないから、素数にだけ目盛りをつけた。「2、3、5、7、11……」と。だからたとえば4センチを計りたいときは、「7と3のあいだ」っていうふうに1回引き算が要る。ものさしを使うことについて、端っこを揃えて目盛りを読むという単純な作業ではなくて、長さを数字に変換している装置だということをちょっとした引き算によってイメージするようになる。これもフジロックに通じるんじゃないかと思います。つまり、自分の足で出向いて音を聴きに行く、という手間によって自分が今やっていることを再確認できませんか?

──その感覚は非常にあります。次々と言い当てられてなんだか不思議な気分です……もともと川上さんは、人工知能の研究をずっとされていたということですが、その先に不便益があったのでしょうか?

川上氏:人工知能をやっていなかったら、不便益という発想に辿り着いていなかったとは思います。僕は、「こういうものが欲しい」とコンピューターに入力したら「じゃあ、こういう仕掛けで」と答えを出してくれるような物を設計するための人工知能を考えてて、これって、究極の便利じゃないですか。だけど、それが面白いのか?と言うと、東大の入試に合格するための人工知能や囲碁のプロ棋士を負かす人工知能を作っているのと同じで、人には新しいものを生み出す喜びみたいなものがあるのに機械じかけで目標達成が可能になってしまうなんてもう、興醒めですよね。やっぱり機械やコンピューターって、人間と共に何かを一緒にやってなんぼやと思う。「人間いりません」という方向ではないなら、どっちに向かったらいいのか考えたんです。でも、その決定打になるような方向性がなかった。ということで、人工知能の真逆に振ってみたらどうかなと思ったんです。

──そうだったんですか。

川上氏:不便益研究のかなり初期の頃に、「ビブリオバトル」というものを考えてくれた人がいるんです。いわゆる「書評」って、今はWEBがあるからブログとかで簡単に公表できて、読者のほうも本の名前を検索すれば人の書評にたどり着くので、「いつでもどこでも誰とでも」ですが、それじゃあ便利過ぎるから逆にしてやれということで作った「今だけここだけ僕らだけ」の書評合戦が「ビブリオバトル」というものなんです。物理的に、本を持って実際に集まって、書評を語る時間も5分だけと限定して、そして最後に、誰が一番上手にプレゼンできたかというのではなくて、どの本が読みたくなったか?を決める。人のランク付けではなく本のランキングになるから、純粋に楽しいらしいんですよ。こういう発想も人工知能の逆の発想のはずなんですけど、それを考案した人は立命館大学の教授をやりながら、パナソニックで人工知能の指導者をやってるんです。そういう意味では、不便益と人工知能は変なところで繋がっているのかもしれませんね。

■ “世紀末”と言われて、真面目に考えなくちゃという人が増えた時代だったのかもしれない

──そういう倫理のようなものを保たないと、人工知能のシーンが暴走しちゃうということなんでしょうか?

川上氏:まだそこを考えるには至ってないと思いますね。自動化できるならどんどんしよう、いろんなことができるようになって楽しくて仕方ない、というのが今のフェイズ。何か問題が起きたら、みんな真剣に考えるようになるかもしれないです。でも不便益とかをやっていると、今からそういうことを考え始めるようになりますね。人工知能学会の今月号の巻頭でも、“不便な人工知能”とか書いてあって、この先生ようわかってる〜と思いましたよ。“ワガママな人工知能”とかもあるといいですよね。で、そこはやっぱり人工知能だから、かわいいほうのワガママが理想的です。

──気が利いてますね(笑)。

川上氏:でも“子育て”というものも、ワガママだからいいんでしょうね。子供が必ず言うことを聞いたら、たぶんそんなにかわいくない。これからは介護ロボットに上手いこと子供っぽい性質を持たせるのもいいかもしれません。

──介護を受ける側も他者の世話をすることで、社会との関わりを持てている自分が生まれそうですね。自分だけで完結しないという“社会性”の面白さは、フジロックでも感じます。なぜかあの場だと、“社会性”要するに、“他者と共存している自分”を能動的に意識できる。

川上氏:なるほど。駅を例に出すと、ホームに人がいないということイコール、「列車が出ちゃったな」ということなんですよね。人を介して状況が読めるという、それって社会性の1つだと思うんです。フジロックでも、ステージの前に誰もいなかったら、しばらく始まらないことを知る、ということはありませんか?

──そうですね。逆に人だかりが出来ていると、面白いことが起こってるに違いない、と読んで近寄ります。

川上氏:不便さがないとそういった場にならないでしょうね。自分で足を運ぶから、社会性みたいなものにも繋がれる。

──人の流れが目に見える感覚はめちゃくちゃあります。

川上氏:フジロックの主催者の人が、自然の中という環境にこだわったのはそこも関係しているかもしれない……人工物の中って、やっぱり人の流れも人工的な感じがありますよね。できたばかりの頃のつくば市とか神戸ポートアイランドって、人の流れを見ても何もわからなかった。逆に人の流れが隠されたりするんですけど、自然の中だとクリアになりますよね。僕らくらいの齢になると、馴染みがなくてもその街のどこに呑み屋街があるかという嗅覚がはたらくもので、古い街なら見つけられるんですけど新しく綺麗に整備された人工的な街って見つけられないんですよ。自然という環境が大切なことのひとつに、“目に見える社会性”というものもあるのかもしれないって今、話を聞いていて思いました。

──フジロックが推奨している“キャンプ”というものも、不便益そのものだと思うんです。最近は、約10万人の参加者のうち1万5千人くらいがキャンプ利用しているそうで。

川上氏:僕自身はボーイスカウト以来、テントを立てて寝るということをしてないんですが、不便益に興味を持ってくれる人って山歩きが好きなひと多いんですよ。まず、他者に準備されたものをただ受け入れるしかない、という度合いが普通に宿に泊まることより低いんでしょうね。自分がやったことがちゃんと返ってくる。キャンプ好きな人って、すごく楽しそうに語るでしょう。少しの道具と自分でなにかができるということって、たぶん嬉しいことなんですよ。「お前、無人島でひとりで生きていけそうだよな?」って言われるとなんか嬉しかったりしますよね。純粋に動物としての能力を認めてもらってるような感じがして。人間は本質的にそうできてるのかもしれない。

──そういう生き物としての価値って代えがたいものですよね。会社では上のほうの役職に就いている人も、結構アウトドアを楽しんでる方って多くて。いろんなものを持っているのになんでわざわざ山登るんだろうって不思議にも思うんですけど、今お話してくださったような価値を探しに行ったり確認したりしに行ってるんでしょうね。

川上氏:そう言えば、先月出した本の編集を担当している人に今回の取材の話をしたら、「私もだいたいフジロック行ってますよ」っておっしゃっていましたよ。

──繋がりますね。その本はどういった内容なんですか?

川上氏:それが……その出版社の社長が、「暗記できないくらい長くして不便にしましょう」とかおっしゃって、僕も覚えていないような書名になったんです。

──そこから不便益がはじまっている(笑)。

川上氏:さて、どこに益があるんでしょうかね(笑)。

──スマホで検索してみますね。ありました。『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? 〜不便益という発想』。これは長い。なるほど、「行き詰まりを感じているなら」という呼びかけをしていますね。

川上氏:それも社長が考えたもので、僕は行き詰まりとかまったく考えていなくて(笑)、単なるシステムデザインの話のつもりやったけど「いや、これは啓蒙書としてもいけますよ」と言ってもらって、そういうタイトルになっちゃってます。今回の本は、一晩で読めるような便利な内容です。

──でも、読む時に不便でもしょうがないですもんね。

川上氏:実はその前の本は「この難解さも不便益か」という書評が載るくらい、割りと難しいというか、ちょっと哲学的な書き方をしたんです(『不便から生まれるデザイン:工学に活かす常識を超えた発想』/化学同人社/2011年)。そういう書評が出るつもりで狙って書いたんですけど、出版社さんには申し訳ないことをして、やっぱり売れないわけですよね(苦笑)。だから今回はそれから真逆に振れて、読みやすいものにしました。

──川上さんは、真逆に振るのがお好きですね。

川上氏:ほんまですね。いろいろ考えるのが面倒くさいので真逆に行くのがラクなだけなんですけどね。

──不便益研究は、どのくらいされているんですか?

川上氏:2000数年頃からですかね。1998年に京都大学に帰ってきたら、元々学生時代の師匠だった教授が、「これからは不便益やで」とか言い始めて。最初はピンとこなかったけど、その5年後くらいから、これはちゃんとした研究になるぞと思うようになりました。

──ということは、90年代後半にはその教授の方は不便益のことを説いていたわけですよね。フジロックのスタート時期とちょうど同じ頃ですよね。その前後に、もしかしたら、便利さに対して「なんか違うんじゃないか」と考える人は考え始めていたのかもしれません。

川上氏:いや、そうだと確信持って言えるのが、同じ頃に『たのしい不便』(『たのしい不便-大量消費社会を超える』福岡 賢正著/南方新社/2000年)という本が出ているんですよ。ほんとうに不便な生活をする新聞記者の方の記事が本になってるんですけど、当時すでにその内容を理解する人がいたから本が出たわけだし。“世紀末”と言われて、真面目に考えなくちゃという人が増えた時代なのかもしれない……僕が教授の話をスルーしていた頃も、教授は不便益ネタを見つけては学生たちに紹介していたのでフジロックの話も出ていたと思います。すみません(笑)。

──私も実際に参加してから魅力を理解しました。都市生活者はそういうケースが多いみたいですね。開眼するというか。

川上氏:腑に落ちる、ということでしょうね。不便益もやってみないとその価値がわからないんです。

■ “不便益”は懐古主義ではないし
■ 単純に「自然に戻れ」だけでは解決できない

──今日は、「フジロックと不便」についていろんなことが初めてはっきりと見えてきました。ありがとうございました。私は不便益的には右かな、左かな……。

川上氏:とりあえず不便にしてみて下さい(笑)。僕自身が実践している不便益は、携帯電話を持たないことですね。

──さっきお会い出来た瞬間も、すごく感動できました。

川上氏:どんな機種に買い替えようかな、という悩みも持たなくて済みますよ。あと以前までは、京都まで滋賀から峠を超えて自転車で通っていたんです。50歳過ぎのおっさんが峠を超えて通勤してるって、いいじゃないですか。ナルシズム、バリバリで。でも、たぶん不便益のいくつかにはナルシズムが働いていると思うんですよ。

──ナルシズムは、ありますよね。

川上氏:動物としてイケてる自分みたいなものを意識できますからね。今は京都に部屋を借りていて、その結果、急にお腹が出てきました。

──便利害ですね(笑)。

川上氏:(笑)。あとこれは言っておきたいのが、不便益のことを「結局、ロハスでしょ?」と括られるのはイヤなんです。私たちは、人と物との関係を重視した上で物をデザインしようとしてるので、関係重視という思想は同じなんですが、目的がちょっと違って、新しい物を創りたい/これからの物を考えたい、という発想です。だから懐古主義ではないし、単純に「自然に戻れ」だけでは解決できない。だって実際に、自然に戻らせてもらえないことって多いですもんね。フジロックだって、苗場に行けるのも1年に一度だけで、毎日は戻れない。だから、もっと不便のいいところを体感できるような新しい物を作りたいんです。

──そこがすごく面白いです。未来的なことをやられているのに、根源的なところに辿り着いているような気がして。

川上氏:そういう意味では、ドラえもんも未来的なことをやってるのに、案外と根源的なことを言ってますよね。あと藤子不二雄Ⓐの漫画で、突然ゴルフが上手くなる魔法のクラブを手にしたんだけど、コースを回った人にもう一緒にやりたくないって言われてしまうし、本人も自分の力じゃないのにスコアが伸びることに意味が感じられなくなる。超お便利グッズやけど、意味はないよねというお話もありましたね(『笑ゥせぇるすまん』)。……誰もが同じくらい上手に弾ける楽器とかも、たぶん興醒めですよね。人の能力を反映してくれるからこその“道具”。便利なものって誰がやっても同じ結果が出なくちゃいけないから、楽器って不便じゃないとダメなんやと思っています。そうやって考えていくと、不便じゃないといけないことがたくさん見えてくるんですよね。

取材・文◎堺 涼子

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