『GTO』鬼塚英吉の言葉はなぜ人々の心を動かすのか? “伝説のドラマ”をプレイバック

令和のエンタメに慣れてしまったからだろうか。平成のドラマを観ると、「パンクだなぁ」と思うことがある。コンプライアンスなどお構いなしの破茶滅茶なストーリー展開。視聴者のなかにある固定観念を、無理やりぶち壊してくる感じ。1998年版『GTO』(カンテレ・フジテレビ系)も、久々に観たら「そんなことしていいの?」と驚くシーンの連続だった。

教師といえば、真面目で頭が良くてどんなときでも明るくて……というイメージを抱く人が多いと思う。筆者も学生の頃は、「先生になる人は、生まれながらに先生なんだろうなぁ」なんて思っていたこともある。年齢を重ねて教師の友人ができたりすると、「なんだ、先生もふつうの人間なんだ」と気づくようになるものだが、学生のころはどうしても雲の上の存在という印象があった。それと同時に、「どうせ、先生にわたしの気持ちなんて分かるはずがない」と思ってしまったこともある。先生にだって10代の頃があり、いろいろな葛藤を抱きながら生きてきたはずなのに。

きっと、一般的な教師は、そういった部分を隠しながら生きているのだろう。子どもっぽい部分や、情けないところ。カッコ悪い部分は隠していかないと、説得力がなくなってしまうから、仕方がないのかもしれない。

でも、『GTO』の鬼塚(反町隆史)はすべてをさらけ出していた。先生は、雲の上の存在じゃない。生まれながらに聖人であるわけでもない。元暴走族の鬼塚は、失敗もたくさんしてきた。だからこそ、悪さをしでかす生徒たちの心の揺れを、機敏に感じ取ることができる。生徒たちと同じ視線で、物ごとを考えることもできる。ほかの教師たちが、「クズは直らない」と突き放しても、鬼塚だけは彼らが更生することを信じて、向き合い続けるのだ。

鬼塚の常軌を逸した教育の数々。たとえば、第1話で鬼塚は、生徒のナナコ(希良梨)が、両親が家庭内別居をしていることで寂しさを感じていると知る。すると、ナナコの家まで出向き、夫婦を阻んでいる壁をハンマーで破壊するのだ。そんなことをすれば、教師をクビになってしまうかもしれないのに。バカみたいだけど、そういう破茶滅茶な行動が、凍っている10代の心を溶かしていく。

そのほかにも、生徒間のいじめをやめさせるために、鬼塚は「そんなやり方じゃぬるい!」と言い出す。教師が生徒にいじめ方のアドバイスを送るなんて、本来ならあってはならないが、鬼塚のことだから何か意図があってのこと……と思えるから不思議だ。いじめを受けているのぼる(小栗旬)を屋上から逆さ吊りにしたりと、衝撃すぎる教育法で本当にいじめを止めてしまうのだから、すごい。

鬼塚が真剣に向き合っているのは、生徒だけではない。恋愛観が曲がっている同僚の冬月(松嶋菜々子)に、「男の気持ち弄んでばかりいるから、男を見る目が腐って、何も見えなくなるんだよ」「愛はな、品定めじゃないんだよ」「俺は、あんたにそうなってほしくないんだよ」と必死で訴える場面もあった。その前に、噴水に突き落とす……という行為が必要だったのかという議論は置いておいて、彼の言葉が人々の心を動かすのは間違いないだろう。

『GTO』の主題歌「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」がリリースされた1998年から、四半世紀以上の時が流れた。あの頃よりも、言いたい事も言えなくなってしまった世の中を、鬼塚はどう見ているのだろうか。もう、当時のような型破りな教育は通用しないかもしれない。だとしても……。4月1日に放送される『GTOリバイバル』(カンテレ・フジテレビ系)で、わたしたちが内に秘めている想いを、鬼塚が代弁してくれることを願ってしまう。
(文=菜本かな)

© 株式会社blueprint