3年前に破局した元カノから突然の呼び出し。カフェで再会したら“あるモノ”を手渡され…

◆これまでのあらすじ
人気女性誌のWeb媒体でコラムの編集をする優斗(34)。趣味のボルダリング中に落下し怪我をしてしまう。そんな優斗のもとに、3年前に別れた恋人・美紀(34)からDMが届く。彼女は「そういうとこだよ」と言い残して去っていった女性の1人で―。

▶前回:ジムで出会ったヘルシー美女に惚れた男。順調に交際できたが、1年で突如終止符を打たれ…

Vol.5 相手のせいにして、自分がホッとしたかっただけ

― いや…絶対、怒ってるって。

3月も終わりに近づいたある日。

大手町でタクシーを降りた僕は、パレスホテル東京の『ザ パレス ラウンジ』に足を踏み入れ、途端に怖気づいた。

腕時計に目をやると、美紀と待ち合わせをした11時30分にはまだ少し時間がある。道が空いていて早く着いたのだけれど、そこにはすでに彼女の姿があった。

なんと、テーブルの上で指をきつく組み、難しい顔をしてうつむいている。

― 3日もDMを返さなかったのが、まずかったかな。

彼女から“来週、少し会えない?”とメッセージが送られてきたとき、微妙に迷ったせいだ。

なぜなら、3年前の破局直後。すべてをリセットするかのように、美紀は僕との関わりをバッサリ絶ったから。

― あのとき、速攻でLINE辞めてたよなぁ…。

当時、ふとアプリを開いたとき、上から2番目にあった美紀とのトークページに“メンバーがいません”と表示されて、目を疑った。

立て続けにInstagramもフォロワーから削除され、非公開設定の彼女のページは見ることも叶わなくなった。さらに決定的だったのは、僕よりも長く通っていたボルダリングジムを退会していたことだ。

その彼女と会うということは…。もしかしたら、また嫌な思いをさせてしまうのでは?と気が引ける。だけど、誘ってきたのには何かワケがあるに違いない。

視界の先でうつむく美紀は、何を考えているのだろう。

― 考えよう…あぁ、そうか。

僕は思い出した。これは、彼女が怒っているときの態度ではないことを―。

「…美紀、久しぶり」

「優斗…。あれ、もうそんな時間?」

「ちょっと早く着いたんだ」と僕は、美紀の右側に座る。

「私もよ。はい、これ。優斗、お腹空いてない?」

彼女にメニューを差し出されると、朝から何も食べていないことに気づいた。

「この後レッスンだから…うーん、私は飲み物だけにしておこうかな。でも、優斗は好きな物食べてね」

「いや、僕もそんなにお腹空いてないかな」

一気に空腹を覚えたところだったけれど、美紀に合わせて咄嗟に嘘をついた。ドリンクメニューの中から、少しでもお腹にたまりそうな飲み物を選ぶ。

「カフェラテと、…ホットチョコレートをお願いします」

…………。

注文を終えると、途端に沈黙が流れる。

ラウンジ内は賑わっているのに、このテーブル席のまわりだけがその場から切り離された異空間のようで少し気まずい。

― ヤバい、今お腹が鳴ったらダサすぎる。

水を飲んでしのいでいると、彼女が口を開いた。

「今日はごめんね。怪我してるのに、無理に呼び出しちゃって…」

「もうだいぶ良くなってきたから、大丈夫だよ。美紀は元気だった?」

美紀はカフェラテのカップを両手で包み、その中に視線を落としている。

「うん、元気だよ。2年前に引っ越して、家の近くにあるボルダリングジムに通ってる」

「ボルダリング、続けてるんだね」

自分のせいで彼女が大事な趣味を失ったのではないかと心配していたから、ホッとする。

「そうだ!」

「ん?」

美紀はパッと顔を上げると、少し楽しそうに続けた。

「ピラティスの生徒さんで、最近初めてボルダリングをしたっていう人がいたなーって」

「へぇー、ボルダリング流行ってきてるのかな?」

「どうだろうね。その生徒さん、近々カフェをオープンするんだって!私たちより年下なんだよ、すごいよね」

― それって、もしかして香澄…?まさか、そんなわけないか。

僕が自分の自意識過剰さを打ち消していると、白い紙袋が視界を遮った。

「はい、これ」

「えっ、僕に…?」

「あー、やっと返せた!言っとくけど、プレゼントとかじゃないからね」

この日、初めて美紀が笑う。

手渡された紙袋には、シューズバッグが入っていた。中を覗くと、僕が昔履いていた『ラ・スポルティバ』のクライミングシューズのつま先が見える。

「あぁ…これ、美紀が持っててくれたんだ」

「新しいシューズ、とっくに買ってるだろうなって思ったんだけど。勝手にどうこうできなくて…すぐに返せなくてごめんね」

チョークの汚れが拭き取られ、きれいな状態で戻ってきたクライミングシューズからは美紀の気遣いが感じられた。

「ありがとう!今度、久しぶりに履いてみようかな」

“グググググーー!!”

緊張が解けてきたと思った途端、勢いよくお腹が鳴る。

― うわっ、何で今…。美紀にも…聞こえたよな?あー、もうっ!

「ねぇ優斗、もしかして…お腹空いてた?」

「違う違うっ!今、ちょうどお腹が空いてきたところ」

「優斗って…昔から“そういうとこ”あるよね」

「そういうとこって、いつもお腹を空かせてるってこと?」

彼女は首を横に振ると、言葉を続けた。

「優斗は、いつも私とかまわりの人に“合わせて”くれてたよね。自分ではそこまで意識してないかもしれないけど」

「人に…合わせる…」

― それって、ダメなこと?

小学校での6年間、僕の通知表の“協調性”の欄には二重マルがつけられていた。担任の教師からも、親からも、褒められたことはあるけれど、協調性があるからといって叱られたことはない。

高校サッカー部では副部長として、部員同士のいざこざを何度も仲裁してきた。人との関わりの中で、“合わせる”は大事な要素だ。

「今みたいなちょっとしたこともそうだけど、相手にとってこうしたらいいんじゃないか…で動いてるっていうか」

「ちょっと待って!それは別に悪いことじゃないよね?相手に嫌な思いとか、できるだけさせたくないし…」

美紀はまた伏し目がちになると、少し悲し気な声で続けた。

「うん。“よかれと思って”…だよね。私も似たところがあるから、わかるよ」

「美紀は、“よかれと思って”が悪いことだって思ってるの?」

彼女は、ボルダリングジムでコースのルートを考えるときも、こんなふうに手の指を組んで難しい顔をしていた。

「必ず悪いわけじゃない。でも、ずるい使い方になることがある気がする」

「ごめん、ちょっと難しいんだけど…。例えばどういう?」

僕は、3年前の自分の言動を振り返りながら、話の続きに耳を傾ける。

「これは私の考えだけど、自分の行動を正当化してしまうの。“相手のためによかれと思って”自分はこうしました!って。

相手の気持ちとか、置かれてる状況を理解しないままでも、そうすれば罪悪感が薄れるでしょ?」

― 確かに。僕は自分が忙しくしてたとき「これで美紀も時間ができて自由に動ける。彼女のためにもなる」…って勝手に思ってた。

自分の“よかれと思って”には、少なからず責任転嫁が混じっていたのだ。申し訳なさから、さっきまでの食欲が急速にしぼんでいく。

「…今さらだけど、本当にごめん」

「ううん、あのときのことは私こそごめんなさい。さっきも言ったけど、私だって“よかれと思って”してたこと、いろいろあるんだから…」

僕が少し冷めたホットチョコレートに口をつけると、美紀が話題を変えてくれた。

「えっと…優斗は今、何級なの?」

「僕?しばらく3級で苦戦してるよ」

「私もっ」

「3級の壁!」

2人の声がかぶると、少しだけ空気が和んだ。

「今日はありがとう。レッスン、頑張って!」

駅に向かう美紀のうしろ姿を見送ってから、タクシーに乗る。1人になると、さっきの会話が鮮明によみがえってきた。

― 僕は相手のせいにして、結局は自分がホッとしたかっただけ…なのか。

自分の“そういうとこ”に不甲斐なさを感じながら、彼女が持ってきてくれた紙袋の中に視線を落とした。

― あれ?ほかにも何か入ってる…。

ドラッグストアの袋の中には、大量の湿布。プロテインパウダーも入っている。どうりで重いわけだ。

「美紀も重かっただろうな」

お礼のDMを送ると、夜になって返事がきた。

美紀:「私も捻挫した時、湿布とプロテインに助けられたから。食事の写真もいろいろ載せてるから、よかったら見てみて」

彼女のInstagramは公開設定に変わっていて、フォローしていない僕でも閲覧できるようになっていた。1,000人ほどだったフォロワーが、40,000人に増えている。ズラリと並ぶタンパク質中心の和食の料理写真はどれも美味しそうだ。

「ん?これ、2人分の食事ってことは…」

どうやら美紀は今、幸せなようだ。

― 香澄も美紀も、すごいな。僕はまず…職場復帰だ!

2週間のテレワークが明けた。

「おはようございます!ご迷惑をおかけしました」

編集長やほかの社員への謝罪を済ませてから、自分のデスクに座る。

― 迷惑をかけた分、今日からまた頑張ろう。

気持ちを新たに、PCを立ち上げた瞬間。

「副編集長、おはようございますっ!」

背後から、聞き覚えのある声がした―。

▶前回:ジムで出会ったヘルシー美女に惚れた男。順調に交際できたが、1年で突如終止符を打たれ…

▶1話目はこちら:早大卒34歳、編集者。歴代彼女に同じセリフで振られ…

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テレワーク明けの優斗に声をかけてきた人物とは…?

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