私は運がいい。だって、こんな酒場に“呼ばれた”のだから。飯能『おらく』

酒場めぐりをしていて困ることが、少なくとも2つある。まず1つ目は“方向音痴”だ。自分でもびっくりするほど方向音痴の私は、今までに何度となく道に迷っている。それでいて妙に自信を持って進むものだから、数十分歩いたところで「……真逆だ!」なんてこともよくあること。これが自分ひとりだったらまだしも、同行者がいるとなると罵詈雑言の叱責を受けることなる。慎重にグーグルマップを読み解いているつもりなのだが……これがどうにも上手くいかないのである。

2つ目はもっと深刻で“運”の悪さだ。例えば、楽しみにしていた酒場にいざ行ってみると臨時休業。それならまだいい方で、完全に閉業してまった店の前に立ち尽くすこともしばしば。こちらはその酒場へ行く気満々で、何を頼もうかまで決めていたのに……こうなると怒りのやり場が無くなる。これは本当に困るが、どうすることもできないのだ。

ただ、ある時から少しだけ考え方を変えるようにした。私はお寺や神社も好きでよくいくのだが、こちらも当日に何かしらの理由で行けなくなることがある。しかし、それに抗ってはいけない。一説によると、それは社寺側から“呼ばれていない”というサインらしい。それと同じ理由で、酒場においても同じことなのだ思うことにした。そう思うと、方向音痴も臨時休業も何だか納得できるような気がするのだ。

まぁ、良くいえば“前向き”だと思っていただけると幸いです。

最近、私の中でブームの西武線酒場。今回の目的地は埼玉県『飯能』で、片道一時間半というそこそこの遠出となる。ただでさえ方向音痴で運の無い私が、リスクを冒してまでこんな遠くまでやってきたのは、そこがどうしても行きたい酒場だったからだ。

西武鉄道飯能駅を出て目の前、方向音痴の“ほ”の字を言う間もないところに現れた。

でででで出たぁぁぁぁ! 『おらく』が出・た・っ! 確か酒場放浪記だったかな、晩酌をしながらここの映像が流れた時には、あまりのシブさに箸を落として口あんぐり。元が何色か分からないモルタルの外壁に、今は消えているネオンの文字看板。和紙が剝(は)げ落ちた提灯、珍しいオレンジの長暖簾(のれん)……もう、どこを見ても飽きが来ない佇まいだ。

明かりを灯し、しっかりと営業(や)っている。最高だ、今夜は珍しく運がいい。まずはちょっとだけ、扉を引いて中を確認してみようかな。

チラッ

ふおっ……! ここだーー間違いなくここだ! 片側ずつ一枚板のカウンターが伸びている。そうそう、もともとは寿司屋と焼き鳥屋だった建物を、ガッチャンコさせたという逸話があった。

うわぁ……中に入ってしまうのが、ちょっともったいない気もする。いや、入らないわけにはいかない。そうだ、おそらく私は、この酒場に“呼ばれた”のだ。いや、きっとそうだ。二礼二拍手で、いざ中へと入る。

カラカラカ(アルミ戸が開く音)

「いらっしゃいませ」

くぅぅぅぅっなんちゅう素晴らしい内観! アスファルト道路のような床、カウンターやそこに並ぶ椅子はすべて角が丸く研磨されている。壁や柱、おしぼりボックスに照明ひとつひとつがこの酒場のために特注された物のような統一感。これは、言葉にならないほど素晴らしい。

美術館の展示品のようにこのままずっと眺めていたいが、ここは落ち着いて着席だ。着席はいいが、どうする私。やはりカウンターにすべきか……いや待て。カウンターはあえて次回に取っておくのもいいかもしれない。ここは集中して、酒場全体が目に届く奥の小テーブルにしておこう。

着座した横にも奇跡みたない光景。畳、古時計、テレビ、神棚……完全に家じゃないですか。はぁ……既に来てよかった。方向音痴も運の無さも今夜の私には皆無。これは祝杯しかないだろう。

「ホッピー」ちゃん、こんな埼玉の奥地にも、ちゃんと自生しているのね。しっかりと、飲み干して進ぜよう。

おらっ……おらっ……おらっくぅぅぅぅサイコーーサイコォォォォ! 正直、ここでは何を飲んでも最高だと思うが、やはり酒は飲む場所で気分が変わる。

一緒にやってきたお通しが、普通に一品料理でうれしい。白身魚と牡蠣と揚げ豆腐が上品に煮込まれ、口に含むとホロッとした甘味の口当たり。これは他のお料理が楽しみでしかない。

ホワイトボードに一番上にあった「生びんちょうまぐろ刺と熟成鉢まぐろ中落刺」を大胆に頼んだ。もうね、完ッ全に芸術品ですね。

薄ピンクのグラデーションが美しすぎるびんちょうまぐろは、トロと赤身の良いとこ取り。口の中で蕩(トロ)けるようなトロが来たと思ったら、今度は淡泊だけど旨味が濃い赤みがやって来る。口の中が落ち着かない、うれしいなぁ。

“熟成”なんかされた中落が、不味い訳なんかない。ぎゆぅぅっとまぐろの旨味を凝縮した中落は、醤油を付けずにそのままで十分においしい。飯能って海から相当離れているはずなのに、これは魚市場にある食堂クオリティである。

続いて「焼き鳥」が群れを成してやってきた。メンバーはつくね・カシラ・シロ・ねぎま・カワ、全部がドデカサイズ。タレの色からしても、相当なものだと予感させる。

つくねは私のタイプであるムッチリと弾力があり、カシラは肉々しさ抜群でねぎまはこれでもかと鳥肉がジューシー。特に気に入ったのが、シロとカワ。どうしても硬いイメージの両者だが、ここのはトロトロツルン。柔らかぁい、咀嚼忘れの逸品だ。

分かっていた……分かっていたけれど、料理も最高じゃないか! こうなると“落ち着く”とか“うれしい”とかの感情というより、ただただ“ニマニマ”してしまう。この空間で飲(や)れているだけで満足できてしまう。

ニマニマしてるところに「カツ煮玉子とじ」の登場だ。私は食堂でカツ煮を発見次第、間違いなく頼むようにしている。味付けはもちろん、卵の火加減、カツ以外の具のチョイス……カツ煮はその酒場の情報を色々教えてくれるのだ。

こちらの玉子は半々熟といったところか……ウマい! 玉子になじんだ甘辛さと他の具は玉ねぎだけのシンプルな仕上がり。職人的で実直な仕事、あとは丸皿じゃなく角皿を使っているところは、料理に対しての冒険心があるとみた……! なんつって。

それならば、こちらも冒険だ。まさかこんな雰囲気の酒場に「ミートチーズハンバーグ」があるだなんて! 見た目だけでもかなり本格的で、焦げたチーズの香りがタマラナイじゃないか。

アッチ、アッチと、熱々のところをガブリ。結果的に、すんげーウマい。チーズの下には大きなハンバーグが潜んでいて、これが肉汁ダビダビのプロ仕立て。これにミートソースが絡んだら途方もないおいしさになるのは必然。寿司屋と洋食屋泣かせの酒場、本当は寿司屋と焼き鳥屋と洋食屋がガッチャンコしたのではないだろうか。

次回は絶対カウンターだな……うふっ。ひたすらに、ひたすらに満足だ……いや、大満足だ。目の前にはおいしい料理、女将さんにホッピーのナカを追加した横目には、思わず言葉を失うほどのシブい光景。ニマニマ、そしてまた目の前にはおいしい料理……これの繰り返し。抜け出せなくなってしまいそうで、怖いくらいだ。

方向音痴で臨時休業、どんとこいだ。まぁ実はここへ来る前、電車の乗り換えを間違ってしまったのだが、そんなことはどうでもいい。なんたって、

私は運がいい。だって、こんな酒場に“呼ばれた”のだから。

おらく

住所: 埼玉県飯能市柳町23-10
TEL: 042-972-2484
営業時間: 15:00~23:00
定休日: 日曜日
※文章や写真は著者が取材をした当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)

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