「すごくいいと思う!」がんでわが子を失った母たちが出会い“理想のこどもホスピス”作りが始まった

毎晩の読み聞かせが日課に。「7歳の誕生日には大きなケーキを買ってお祝いしました」(撮影:高野広美)

【中編】「幸せだね。ありがとう」冷たくなっていく1歳9カ月の息子の体を抱いてから続く

「すごく幸せだね、ありがとう」

そんな言葉とともに――。2019年1月、ドイツのデュッセルドルフにあるこどもホスピス「レーゲンボーゲンラント」で、一人息子である夕青くんを看取った石田千尋さん(41)。深い悲しみのなかにありつつも、確かに癒しのある空間だったという(全3回の3回目)。

■「すごくいいと思う!」理想のホスピス作りが始まった

「私たちが受けたあの豊かなケアは、なんだったのだろう──」

夕青くんを見送ってまもなく千尋さんは日本に帰国。その後遠方に赴任した夫とは生活を別にし、福井県鯖江市の実家で約2年、心身を立て直す日々を送った。

「同居する両親は、何も言わず見守ってくれていて。そんななか両親を通じて近況を知ったテニスクラブのコーチが、花を贈ってくれ、『ラケットを持って来てみないか』と声をかけてくれました」

恩師の導きで体を動かすうち、「多くの幸せを運んできてくれた夕青に私は何を報告できるだろう。そう考えたとき、こどもホスピスが気になって。『私が受けたケアを日本でしてあげられたら』との思いが強くなっていました」

日本におけるこどもホスピスは現在、医療機関が運営している大阪の淀川キリスト教病院、個人や法人からの寄付で成り立つTSURUMIこどもホスピス(大阪市)、横浜こどもホスピス(横浜市)の3カ所にとどまる。

「最初はどこかで働けないかと模索し、調理師の免許を取得したりしたのですが、求人がなくて。ならばこの福井に立ち上げられたら、と考えるようになったんです」

そんな思いを抱えたまま2021年3月、福井市で「がんの子どもを守る会」総会が開かれると知り、出席してみることに。このとき山内こずえさんとの出会いがあった。

「『今日は石田さんと同じご経験をしたお母さんがもう一人参加しますよ』。主催者の方が教えてくださって楽しみにしていたんです」

山内さんにこう誘いかけた。

「もう少し話せませんか?」
「家で子供が待っているのであまり時間がなくて」
「車で送ります。家はどちらですか?」

鯖江とは逆方向であったが、送っていく間、石田さんは「この福井にこどもホスピスを設立したい」と打ち明けた。「ホスピス」という言葉に抵抗を持たれるのではないかと思って「決して最期を過ごすだけの場ではなく」と念を押した。山内さんはすべてをのみ込むようにうなずいた。

「すごくいいと思う!」

山内さんは11歳だった長男・蒼介くんを白血病で亡くし、下2人の子育てにいそしんでいた。

病院と家を往復しただけの闘病経験から、「病児と家族は生活に制限があり孤立しがち。勉強や遊びのサポートができる居場所を作って毎日を充実させてあげられたら」という思いを抱いていたという。

■「皆が気軽に利用できる施設を」

「何も持っていない私たちでしたがあれから2年、ミラクルなことが次々と起こっているんです」

そう笑う千尋さん。夕青くんの4歳の誕生日にあたる2021年3月19日にプロジェクトを発足。自身が体験したドイツのホスピスの「患者さんを家族ごと友人のように支える」ケアを理想に活動を始めたが、当初は「メンバーが集まるかが心配だった」という。

しかし、手始めにフェイスブックとインスタグラムを開始したところ、初日に1通のメールが舞い込んだ。

福井県における小児がんの拠点病院である福井大学医学部附属病院小児科の看護師・広瀬知美さんからの「以前からこどもホスピスの重要性を考えていました」という活動への参加表明メッセージだった。実はこの広瀬さんは山内さんの長男の担当看護師だった。山内さんはこう語る。

「病棟で神ナースと慕われ福井の小児がん患者の家族であれば、もう知らない人がいないくらいすごい方です」

さらに子供が在宅医療を受けていた経験を持つ吉岡ちづるさんら心強いメンバーが続々と参加。

メンバーでアイデアを出し合い始めたのは、病児の親に温かいお弁当を差し入れるサービス。千尋さんが生き生きとした声で活動の内容を教えてくれた。

「親は食べることなど忘れて付き添い、心身を壊してしまうこともあるので、福井大学病院と提携して定期的にお届けしています」

さらに病児たちも無理なく参加できる「タイムを競わないマラソン大会」や、プロを招いた音楽会など、闘病中心になりがちな病児と家族を招待し「その日その瞬間を謳歌してもらいたい」という願いを込めた催しを展開している。

「いまは全員がボランティアで参加してくれていて。手先が器用な人、料理が得意な人、それぞれの得意分野があってバランスよく会が成り立っています」

申請が認められ、千尋さんたちの団体「ふくいこどもホスピス」はこの4月からNPO法人となる。

「大きな目標である施設の建設には莫大な費用がかかります。個人や法人から寄付金が寄せられることも増え、2026年には寄付金控除が受けられる認定NPO法人になることを目指しています。

がんのお子さんや家族だけの場所ではなく、カフェなどを併設して、皆が気軽に利用できる施設にできたら。ホスピスの『怖いイメージ』を払拭したいのです」

■「かえろうか」とあの子が願った部屋で

千尋さんはいま夕青くんが「かえろうか」と言った鯖江の家の和室で暮らす。夕青くんは、この3月19日で7歳になるはずだった。昨春の小学校入学に合わせて千尋さんはふでばこと鉛筆を買い求め、窓辺に設置した祭壇に飾っている。

「鉛筆を1本削ってみたり。ランドセルも買ってみたかったなぁ」

千尋さんは毎晩、夕青くんに本の読み聞かせをしているという。

「今日はこんなことがあったよ、という報告と。1日1話ですから、読み聞かせの本も随分増えました」

通常の男児より言葉も早かった夕青くんだから、7歳であれば親子の会話も弾んでいたことだろうと千尋さんは想像する。

「私が食欲をなくしていると、『ママ食べて』と、口元にパンを持ってきてくれたり。あの年で親に対する気遣いもできていました」

長時間におよぶインタビューで、すでに日は傾き、明かりのついていない部屋は薄暗くなりつつあった。千尋さんは言葉を続けた。

「親バカですが、私はそんな夕青のこと尊敬しているんです」

千尋さんがほほ笑んだ瞬間、部屋の照明がパッと自然にともった。誰もスイッチには触っていないのに!

「夕青くんががんばっているママにエールを送ってくれているのかも」

記者がそう言うと千尋さんがうれしそうにうなずいた。

(取材・文:本荘そのこ)

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