死の際で見つけた幸福…1歳9カ月のわが子を看取った女性が始めた「理想のホスピス作り」

ドイツのこどもホスピスで過ごしたのは5日間だったが、親子にとって濃密な時間だった

冷たくなっていくわが子の体を抱きしめながら、母の口から自然と出たのは「ありがとう」という言葉だった。生まれてきてくれてありがとう。幸せな思い出をありがとう。私を選んでくれてありがとう。たくさんの「ありがとう」とともに、幼子は旅立った。

いま母は、理想のホスピス作りに尽力している。死を待つ場所ではなく、最後まで前向きに生きられる場所を。すべての親子が「ありがとう」と別れることのできる場所を(全3回の1回目)。

■「第二の家を提供することを目指して」

「私たちはチームユウセイです。なんでも相談してください」

2019年1月、ドイツのデュッセルドルフにあるこどもホスピス「レーゲンボーゲンラント」に着くなり、石田千尋さん(41)は緊張の連続だった心がゆるりとほどけていく感覚を覚えていた。

1歳9カ月になる息子の夕青くんを抱き抱えた千尋さんが招かれた場所は、幼稚園のように明るく開放感に満ちた空間だった。

「病室にいるときはモニターの数値ばかりを気にしていたのですが、ホスピスでは『夕青くんの顔だけ見ていてください』と言われ、幸せな状態になれて」

5日後、眠るように逝く夕青くんを千尋さんと夫は、穏やかな気持ちで見送ることができた。

「最後の瞬間が近づくころ、『ありがとう。幸せだね』って声をかけることができました。『死なないで』ではなく、なぜだか自然に出てきた言葉です」

それから5年後の2024年3月。千尋さんは福井市内の講演会場にいた。小雪のちらつくなか、結婚披露宴も執り行われる大広間に集まった約100人の来場者に向けて、千尋さんは凜としたたたずまいで話し始める。

「みなさんはこどもホスピスにどんな印象をお持ちですか? 私の講演を聞いていただいたあとは、思ったより悲しい場ではないと感じてもらえたらうれしいです」

講演前は緊張の面持ちであったのがいまは別人のよう。日本におけるこどもホスピスをとりまく現状について、スライドをまじえながら柔らかな口調で語りかける。

「こどもホスピスはこういうものです、という明確な定義はありません。私たちは、すべての親子に『今日も楽しかったね』と言ってもらえる第二の家を提供することを目指しています」

1982年に英国で産声を上げたこどもホスピスは欧米では広く普及。英国に52カ所、ドイツにも30の拠点を置く。

「日本にはいまどのくらいあると思いますか? 答えは3カ所。このほかに私たちのような準備団体が10団体あります」

「ふくいこどもホスピス」という団体の代表として千尋さんは今、こどもホスピスを設立する活動に身を投じている。この日、彼女の話に耳を傾けていたのは福井県内で慈善活動をする企業人や有志たちだ。

彼らの理解や応援を得ることも目標に一歩近づくこと。千尋さんはドイツのホスピスで夕青くんを看取った経験も語り、福井の地にこどもホスピスを建てる意義を訴えると、会場は大きな拍手に包まれた。

「千尋ちゃん、お疲れさま――」

講演が終わるや、千尋さんに駆け寄る山内こずえさんは、ともに活動する最初期のメンバーだ。

「今日はこんなに豪華な会で講演したの? 緊張しなかった?」
「汗が止まらなかったよ――」

山内さんの顔を見るなり石田さんの表情がゆるむ。幼なじみのような間柄に見えるが2人の出会いは2年前のこと。

「山内さんも私と同じように、子供を看取った経験をしています。彼女は出会ったその日に、私の計画に賛同してくれました」

ホスピスというと、一般的には「最期を穏やかに過ごす場所」というイメージが強い。しかし彼女らの目指す理想のホスピスはそれとは異なる場所なのだという。

■ドイツの地で起きたわが子の不調

石田千尋さんは1983年1月、福井県鯖江市に3人きょうだいの長女として生まれた。幼少期は不器用なうえマイペースすぎる行動で“悪目立ち”していた、と千尋さんは当時を振り返る。

そんな千尋さんの転機は小学3年生で硬式テニスクラブに入会し鬼コーチと出会ったこと。

「とにかく厳しくて。挨拶をせずコートに入ると、『今日は帰れ!』と。そこで鍛えられて人並みに動けるようになりました(笑)」

プロを目指す子もいる強豪クラブ。千尋さんも県大会で表彰台に登る成績を残したことがある。

「引っぱってくれる恩師や仲間に恵まれただけ」と語る努力型の千尋さんは、早稲田大学の政治経済学部へ進学。就職先として選んだのは、地元の福井テレビだった。

「大学時代、9.11のテロがあり、テレビ画面にくぎ付けになって。報道の世界に興味が湧きました」

テレビ局時代は報道記者として県政からスポーツまで取材に飛び回った。そんななか出会ったのが後に夫となる男性だった。千尋さんは30歳で結婚。その4年後の2017年3月19日に長男・夕青くんが誕生した。

「心配なことが何一つなくて。発育が早すぎるくらいでした。9カ月で歩き始めて、すぐにボールを蹴ったりジャングルジムに登っては滑り台を駆け下りたり。発育も言葉も早かったです」

千尋さんが夕青くんとともにドイツ・デュッセルドルフに降り立ったのは2018年9月のこと。夫が仕事の都合で赴任することになったのだが、到着して1週間後、夕青くんの体調に異変が見られた。

「いつも『ママー、抱っこ』と勢いよく駆け寄ってくる夕青の元気がなくて……。渡独前にも発熱はあり、このくらいの年齢にはよくあることなのかと思って最初は地元の小さな病院で受診しました」

このときの医師は触診だけで「問題なし」との診断で、夕青くんには胃腸の調子を整える作用があるからとカモミールティーを処方された。しかし解熱せず、もやもやした気持ちを抱えたまま2つ目の病院へ赴いた。

「ここでも『お母さんの(新生活への)不安がお子さんに伝わっています。ドンと構えていないとダメだよ』と励まされただけでした」

その後も体調は安定せず。翌週は首のリンパ節が腫れあがっていたため、地域の中核病院で受診。ここではエコーなどの検査のあとただならぬ様子で「もっと大きな病院へ」と促された。このあと千尋さんは、夕青くんが小児がんであるとの告知を受けることに。

「『ニューロブラストーマ(神経芽腫)です』と。最初はドイツ語だったので理解できず、『英語でお願いします』と。キャンサーという単語も出ていたため『がん』なのだと理解しました」

神経芽腫は乳幼児に多いがんの一種で、夕青くんはすでに全身に転移のある「ステージ4」だった。

(取材・文:本荘そのこ)

【中編】「幸せだね。ありがとう」冷たくなっていく1歳9カ月の息子の体を抱いてへ続く

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