「スポーツ産業がもっと稼げるように」サッカー界から飛び出した営業パーソン【日本サッカー・マイノリティリポート】

当連載のスタート以来、二度目の登場は初めて。25年近くJクラブのスタッフだった営業パーソンは、なぜサッカー界をあえて飛び出し、コンサルティングファームに転職したのか。「スポーツ産業がもっと稼げる」未来へ、どのように貢献していく覚悟なのだろうか。

――◆――◆――

「有機土壌を作って配る、そんなJクラブがあっても、いいじゃないですか」

全身から熱波のような気炎を放散しながら、現在の取り組みについて語るこのコンサルタント、1年前まではJクラブで主に営業に携わっていた。井川宜之。48歳。当連載には二度目の登場だ。

「新しい武器を手に入れるために、修行に出ます」とサッカー界の仲間たちに断りを入れ、2023年3月から大手コンサルティングファームに転職――。いったいどのような覚悟を持って、井川はその決断に踏み切ったのか。そして自身の生涯を捧げていくと決めている日本サッカー界に、どのように貢献していく未来を思い描いているのだろうか。

J1の湘南ベルマーレが公式YouTubeチャンネルに、ある動画を投稿したのは昨年12月のことだった。動画のナレーションに耳を傾けると「チームの食堂で出た野菜の切れ端やフルーツの皮など生ゴミをコンポスターに投入し、良質な有機土壌を育成」「この土壌を用いたミニトマト栽培キットを今後地域の子どもたちに提供」「その栄養満点なミニトマトを子どもたちが食べることで栄養が次世代に受け継がれていくことを目標」としているという。

コンポスターとは土のなかの微生物が有機質の生ゴミを発酵分解し、堆肥(コンポスト)に変える生ゴミ処理容器を指している。この道具を使えば、生ゴミを焼却処分せずにすみ、地球温暖化の原因となるCO2の排出を抑制できるうえ、安全性の高い有機土壌を育成できるのだ。公式YouTubeのその動画には、ベルマーレのホームグロウン選手である田中聡が、最初の生ゴミをコンポスターに投入する様子も収められている。

この共創プロジェクトの発端となったのは、ベルマーレのオフィシャルクラブパートナー(協賛企業)であるTIS株式会社からの相談だった。この大手IT企業はコア領域のデジタル技術を生かしながら、有機土壌から生まれる価値そのものを高めていく新規事業の構想を温めている。

ただし、有機土壌の門外漢がそれを商材としていくには、ゼロから信頼を築いていく必要がある。コンサルタントとなった井川が力を注いでいるのは、こうした企業の課題解決にスポーツの力をどんどん活用してもらい、Jクラブをはじめとするスポーツコンテンツの提供者たちが得られる収入を増やしていくことだ。

ベルマーレは「ターゲット35」という年間予算を35億円規模に増やしていく目標を公表している。その実現に向けて、井川たちは従来のユニホームやスタジアム看板を企業広告のメディアとして販売する広告協賛型に加えて、新たに企業の課題解決を支援することでスポーツクラブの収益を増やしていく課題解決型の収益拡大策を試みているのだ。

ミニトマトの栽培プロジェクトでは、X(旧ツイッター)のフォロワー数が16万7000というベルマーレの、Jクラブならではの情報発信力などをTIS社が活用する。コンポスターは手動で2週間に1回程度ゴロゴロ回すだけでよく、手間暇はかからない。

新米のコンサルタントとして、協賛企業とベルマーレの間を取り持つ井川は、この共創プロジェクトのポテンシャルについて熱く語る。

「有機土壌ならではの養分やミニトマトを実際に育てられたか、定量的に分析してきちんと検証します。最初からうまくいくとは限りませんが、温室効果ガスを減らすというエコな取り組みそのものは、いずれにしても評価されるでしょう。TIS社はこの共創プロジェクトを通して、新規事業への本気度を多くの人に伝えられます。

スポーツに可能なのは、その競技自体で人を喜ばせることや、広告看板などで企業名を露出し、企業のブランド価値向上に寄与することだけではないんです。企業の課題を解決する価値を提供することで新たな収益源を増やしていける。ミニトマト栽培プロジェクトは、そのことを実証できる取り組みになるはずです」

井川の転職先であるKPMGコンサルティングは、こうした課題解決型のスポーツ投資に見込める効果を、貨幣価値に換算するノウハウの提供も始めている。

「私たちがいま取り組んでいるのは大企業から中小企業まで、さまざまな企業がスポーツを応援しやすくなる、その材料を増やしていくことです」(井川)

株式を公開している企業の場合は、いわゆるESG投資をますます意識し、環境や社会に配慮した企業活動を展開していかなければならないだろう。株主や投資家に向けて、非財務的な面でも健全な企業だと情報を開示していくうえで、社会課題の解決に貢献できるスポーツへの投資をどんどん増やしてほしいと井川たちは願っており、どうやらニーズもありそうだ。

あるJクラブは、株式公開企業のいわゆるナショナルクライアントから、協賛の社会価値を算定できないかと、そうした趣旨の問い合わせを受けているそうだ。

「たとえばJクラブが中心となり、海岸線を清掃するとしましょう。その活動が社会にもたらすインパクトを第三者である我々が貨幣価値に換算する知見をクラブに提供し、支援することで、とりわけ株式を公開している企業がスポーツに投資しやすくなるという目論見です。

Jクラブを支援すればESG経営に寄与できるという認識を広めて、スポーツへの投資は広告露出や選手などの肖像の使用にしか意味がないと思われていた、これまでの価値観を変えていきたいです。この仕組みならB2C向けビジネスの企業だけでなく、B2B向けビジネスの企業にもスポーツに投資する堂々とした理由が出来るからです」

【PHOTO】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集!

企業の課題解決型の別のスポーツ活用事例として、井川たちは「お仕事紹介フェア」の開催に向けて動きだしている。ベルマーレは昨秋、およそ170社のパートナー企業を対象とするアンケート調査を実施した。浮かび上がってきたのが、人材の確保に困っているという、多くの企業に共通する悩み事だった。

「ベルマーレのクラブパートナーは、その大多数が中小企業です。企業名は知られていても、具体的にどのような事業を行い、社会貢献している会社なのか、そこまではあまり知られていないのが実情でしょう。

その一方でホームタウンの湘南エリアには、地域の企業で働く人材を増やし、定着させていきたいという課題があります。ベルマーレがお仕事紹介フェアを主催して、地域や社会に貢献している会社が多数ホームタウンの9市11町に存在していると知ってもらえるだけで、開催する意義があると思います」(井川)

実際のイベントは、まずは新卒採用の学生向け、次回は中途採用の社会人向けというように対象を分け、参加希望者をベルマーレのサポーターから募集する。当日はスタンプラリー形式で出展各社を回ってもらい、コンプリートした参加者は選手のサイン入りグッズであったり、J1の観戦チケットであったり、特典のプレゼントをもらえるようにする。

天候に恵まれれば、ベルマーレのホームスタジアムに隣接する総合公園の広場を会場として、当日たとえば親子連れの小中学生が関心を持ってくれたら、飛び入り参加もできるようにする。井川はこのような構想を練り、ベルマーレのスタッフたちとコミュニケーションを取りながら、企画の実施案について検討を進めている。

かつてクラブ消滅の危機にも瀕したベルマーレのパートナー企業には、「クラブが存続さえしてくれればいい」と、ビジネス面のリターンなどは度外視して支援してくれている企業も少なくない。

その一方で昨秋のアンケート調査の結果、ベルマーレへの協賛を自社の収益拡大に繋げられたらと望んでいる企業も同じくらい存在していると井川たちは把握できた。ベルマーレが目標としている「ターゲット35」の実現へ、課題解決型のニーズに応える、きめ細やかな提案をどのように続けていくか。有機土壌の育成やお仕事紹介フェアはその手始めなのだ。

「J3までを対象とすると、いまは年間予算がベルマーレと同規模か、下回っているクラブがほとんどでしょう。課題解決型の収益を増やしていけたら、ベルマーレ以外のJクラブも予算規模を大きくしていける可能性が膨らみます。支援してくださる企業とクラブの共創で、ステークホルダーの持続可能性をいかに高めていけるか。

その観点で課題をヒアリングし、具体的な解決策に繋がるアイデアを提示する。そこにコンサルタントとしての私たち自身の存在価値があるということです。共創プロジェクトの収支も黒字にしていかなければ持続可能にはなりませんから、やはりいかにスポーツクラブが稼ぎつづけられる手段を増やしていけるかが重要です」(井川)

設立32年目を迎えたJリーグは、合わせて60のクラブが全国各地に散らばっている。それぞれのクラブが独自のカラーを打ち出し、地域性の違いを踏まえて課題解決のアイデアを具現化していけば、Jリーグを中心とするマーケットの大幅な拡大も見えてくる。井川たちはベルマーレならではの独自色の強い企画も用意する。

「協賛企業の新入社員が対象となる“レジリエンス研修”です。J2降格の危機をベルマーレが何度も乗り越えてきた大きな秘訣は、もしかすると強靭で折れないメンタリティに支えられているからではないか。つまり、Jリーグ屈指のレジリエンス力のあるクラブだからこそ伝えられるメッセージがあるのではないかと、チームメンバーと議論を重ね出てきたアイデアです」

実際に昨シーズンもベルマーレは降格の危機に瀕している。下から2番目の17位で迎えた33節の直接対決で、最下位の横浜FCに仮に敗れていたら、自力でのJ1残留の可能性は消えていた。

「それだけ大きな重圧に晒されているはずなのに、ベルマーレのスタッフは誰ひとりとして下を向かず、表向きは平然と自分たちができる仕事に愚直に邁進しているわけです。実際に彼らと接していて、感心するしかありませんでした」

井川は1999年から2023年2月までの25年近く、川崎フロンターレのスタッフだった。

「J1で初優勝してから、フロンターレの選手たちは大事な試合でガチガチにならなくなりました。重圧のかかる場面を乗り越えて、結果を残した経験が、平常心を保てる強靭なメンタリティへと繋がったのだと思います」

計画しているレジリエンス研修も、強靭で折れないメンタリティのはぐくみ方が主なテーマとなる。

「営業に携わっているベルマーレのスタッフには、トップチームの成績が振るわないなかでも、どのような心持ちで、どうやって協賛を獲得してきたか、できれば実際の体験談を交えて話してもらいたいと考えています。さらに昨シーズン、降格の危機に瀕するなかで、クラブスタッフ全員が一体感を持ち、前を向いて戦い抜けたのはなぜなのか、というようなお話もしていただけないか相談しています。新入社員を対象とするのは、まだ社会人1年目ですから、いっぱい躓(つまず)くだろうとわかっているからです。

失敗して凹(へこ)んでもいいけど、凹んだままでは終わらないように、レジリエンスな精神をはぐくんできたクラブからいろいろ学んでもらいます。研修を通してベルマーレを応援してくれる協賛企業の社員が増えれば、クラブにとってもプラスですから、一石二鳥以上の価値を持つ研修となるはずです」

【PHOTO】ゲームを華やかに彩るJクラブ“チアリーダー”を一挙紹介!

井川が意を決しKPMGコンサルティングという新天地を求めたのは、日本のスポーツ産業を異なる次元に発展させるという強い志を持ち、そのための道を切り開こうとしている人物たちとの出会いが大きかった。井川の採用時に面接官となり、そのまま直属の上司となったソーシャルバリュークリエーション(SVC)ディレクター笹木亮佑、そのSVCを含めたビジネスイノベーションユニットを統轄している執行役員パートナーの佐渡誠、そして代表取締役社長兼CEOの宮原正弘である。

笹木は高校時代まで本気でサッカーに打ち込み、国内外を問わない大のサッカーフリークで、佐渡は神奈川県横浜市内の少年サッカーチーム「あざみ野キッカーズ」で長年代表を務めている。宮原はJリーグ前チェアマンの村井満と同じ埼玉県立浦和高校サッカー部のOBで、ポジションも村井と同じGKだった。井川が転職を決めたのは、次のような思いや願いを共有できるとわかったからだ。

「日本再興戦略のアジェンダにもあるように、スポーツビジネスにイノベーションを起こして、日本でもスポーツをうまく活用できれば、アメリカやヨーロッパと同じようにそのマーケットをもっと大きくできる。それを実現できれば、この国の人々をもっと幸せにできるはずだ」

KPMGコンサルティングは「価値共創プラットフォーム」という、スポーツビジネスのイノベーションを見据え、笹木たちが中心となって開発したソリューションをすでにベルマーレに知見提供し、支援している。ベルマーレとその協賛企業だけがログインできるインターネット上のバーチャルなコミュニティで、協賛企業同士が繋がりを深め、価値を共創していくのが大きな狙いだ。

前述したお仕事紹介フェアも出展企業が一定数以上に増えれば、それだけイベントの価値も大きくなる。こうした仕組みを練り上げ、改善していくために、笹木たちがどれだけ心血を注いできたか、遅れて仲間になった井川は感じずにはいられない。だからこそ、語る言葉も、熱を帯びる。

「ベルマーレの協賛企業だけが参加できるコミュニティですから、それだけ安心感は高いですし、スポーツクラブがハブになるというだけで、心の垣根もすぐになくなります。価値共創のアイデアを膨らませ、実現していくマッチングの場として多くの企業に活用してほしいです」

「2050年までにワールドカップ優勝」という、JFAが掲げるマイルストーンを井川は強く意識し、自分はビジネスサイドでその偉業に貢献するという人生の目標を立ててきた。その目標を持ったまま、あえてサッカー界の外に飛び出したのは、「ひとつの同じクラブに留まりつづければ、ワールドカップ制覇に貢献するのが難しくなるかもしれない」と感じるようになっていたからだ。

コンサルティングの世界で「スポーツにおカネを集めるための武器を身につける」ことができれば、グラスルーツという裾野の充実にも力を入れられるようになると井川は考える。

「Jクラブのアカデミーやスクールに入団できる子どもの数は限られていますよね。それでも多くの子どもたちがサッカーを始めて、続けていけるのは、各地域の少年団などが地道に活動しているおかげです。手弁当でその担い手となり、日本のサッカー界を支えている大人たちが、心置きなくその取り組みを続けていきやすくなるように――」

そう語りながら井川は、長年に渡りボランティアで少年サッカーチームの代表を務めている佐渡の姿を思い浮かべていたに違いない。スポーツ産業がもっと稼いでいけるように、コンサルティングの世界でそのための力を身につけたいと井川ががむしゃらに奮闘するのは、サッカー日本代表のワールドカップ制覇という人生の目標に、日本のスポーツビジネスのマーケット拡大が絶対不可欠だと信じているからだ。(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)

※サッカーダイジェスト2024年3月号から転載

© 日本スポーツ企画出版社