【解説】エルサレムで首相に大規模抗議……国内の政治的分断が再び浮き彫りに

ジェレミー・ボウエン BBC国際編集長

イスラエル国内の深い政治的分断が、再び表面化している。

イスラム組織ハマスによる昨年10月7日の奇襲攻撃で、イスラエル国民は衝撃を受けて団結し、それまでの政治対立はいったん脇に置かれた。しかしあれから半年近くが過ぎ、またしても多くのイスラエル人が各地で政府に抗議している。

抗議する人たちは、イスラエル建国以来、最も長く首相を務めるベンヤミン・ネタニヤフ氏を政権から追い出すことを目指している。その人たちの決意の強さは、現在の戦争によって一気に増した。

エルサレムではデモ参加者らが、南北に走る市内の主要高速道路「ベギン・ロード」を封鎖した。これを排除するため警察は、「スカンク水」と呼ばれる、ひどい臭いの液体をデモ隊に浴びせた。

ネタニヤフ首相の辞任と総選挙の前倒しを求めて長年使い古されてきたスローガンと並び、新しいスローガンが連呼され、勢いを増している。ガザ地区で今なお人質にされているイスラエル人解放のため、ただちに合意を結ぶよう求めるスローガンだ。ガザ地区にはイスラエル人134人が人質としてとらわれており、そのうち何人がすでに亡くなっているのかはっきりしない。

人質の家族や友人、そして抗議者たちは、停戦合意のないままこの戦争がだらだらと長引けば、ますます大勢が死んでしまうことを何より恐れている。

3月31日の夕方、イスラエル議会を取り巻く広い通りに数万人が集まった。自分の息子がイスラエル兵の一人としてガザ地区にいるカティア・アモルザさんは、手にしていたメガホンをしばし下した。

「今朝の8時から、ずっとここにいます。ネタニヤフに言いたいことはひとつ。ファーストクラスの片道切符を私が喜んで買うので、このまま出て行って帰ってこないでもらいたい」

「そして同時に、彼は一人一人厳選してこの社会で最悪の、本当に最悪の政府を作り上げたわけだが、その全員も、一緒に連れて行ってほしい」

メガホンを持つカティアさんの横を、ラビ(ユダヤ教指導者)が通り過ぎて道を渡った。イェフダ・グリック師だ。グリック師は、イスラエルの人たちが「神殿の丘」と呼ぶ地区でユダヤ教の祈りを呼びかける運動を続けている。エルサレムにある「神殿の丘」には、イスラム教徒にとって3番目に神聖な「アルアクサ・モスク」が建つ。

グリック師は、議事堂前で首相に抗議する人たちは、本当の敵が首相ではなくハマスなのだと、見失っていると私に話した。

「首相はとても人気が高いと思う。ここにいる人たちは、それにいらだっている。この人たちは、自分たちがずっと抗議してきたのに、それでも彼がまだ首相の座にいることを、許そうとしていないのだと思う」

「なので私はこの人たちに、抗議するよう呼びかけている。ここにきて抗議して、自分の思いのたけを大きい声ではっきりと口にするようにと。ただし、民主主義と無政府主義を分けるとても細い一線は、越えないようにと」

抗議する人たち、さらにはイスラエルを支持する国々でネタニヤフ氏を批判する人たちは、民主主義の敵対勢力がすでにネタニヤフ政権に入り込んでいると受け止めている。この政権は、極度のユダヤ・ナショナリズムを掲げる右派政党の支持に依存している連立政権だ。

政権に参加する右派政党の一つが、宗教シオニスト党。党首は、ベザレル・スモトリッチ財務相だ。同党所属のオハド・タル議員は、人質解放を実現するのにハマスへの軍事的圧力を増す以外の方法があると考えるのは「能天気な世間知らず」だと話す。

「合意したからといってハマスが簡単に全員を解放するとか、そういう合意の一環としてこちらが釈放するテロリスト全員を、こちらが殺すことを向こうが認めるとか、そんなことがあり得るとは思えない。それほど単純な話ではない」

「もしも、押せば人質全員が戻ってきて全面解決――などというスイッチがあるなら、イスラエル人全員がそれを押す。しかし、それは思うほど簡単なことではない」

ネタニヤフ氏はかつて、イスラエルを守れるのは自分だけだと繰り返していた。多くの国民はそれを信じた。

ネタニヤフ氏は、自分ならパレスチナ人に上手に対処できる、パレスチナ人が建国の場所にと望む占領地にイスラエル人を入植させ、和平に必要な譲歩や犠牲は払わずに済むと、国民に言い続けた。

しかし昨年10月7日にハマスが境界の有刺鉄線を突破した時点で、それは一変した。

イスラエルに悲惨な被害を与えた、ハマスのあの攻撃を許すに至った警備の失態について、多くのイスラエル人がネタニヤフ首相の責任だと考えている。

安全保障担当の政府幹部は攻撃から間もなく、失敗を認める声明を次々と発した。しかし、ネタニヤフ首相はこれまで、責任を一切認めていない。

3月31日の夜にエルサレムの通りを埋め尽くした何万人もの人は、このことに激怒している。

国内政治でネタニヤフ氏が圧倒的な存在ではなかった時代を覚えているイスラエル人は、少なくとも40歳以上のはずだ。

弁舌巧みなイスラエルの国連大使として1980年代に注目されたネタニヤフ氏は、1996年の総選挙で僅差で勝利し、初めて首相となった。イスラエルとパレスチナが和平を目指して交わしたオスロ合意に反対するというのが、選挙で掲げた綱領だった。

中東和平を目指す現在のアメリカの計画と同様、オスロ合意も、独立パレスチナ国家がイスラエルと共存することを認めるしか、ヨルダン川と地中海の間の土地をめぐり約100年続くアラブ人とユダヤ人の紛争を終わらせる望みはないという、その考えをもとに構築されていた。

ネタニヤフ首相は一貫して、パレスチナ国家の建国に反対してきた。パレスチナ独立を支持するアメリカの戦略は、中東再編を意図した「大取引」の一部だと、軽んじてきた。

ジョー・バイデン米大統領が示す終戦後のガザ統治計画を、ネタニヤフ氏が強硬にはねつけているのは、国内の極右勢力の支持を維持するためだと、反ネタニヤフ勢力は批判する。

イスラエル議事堂の外では、イスラエル軍のダヴィド・アグモン退役准将も抗議に参加していた。第一次ネタニヤフ政権で内閣官房長官を務めた人だ。

「1948年以来の最大の危機だ。さらに言えば、私は1996年にネタニヤフにとって最初の首席補佐官だった。なので、私は彼を知っているし、3カ月で職を離れた。彼が何者か気づいたからだ。この男はイスラエルにとって危険だと」

「彼は、決断の仕方を知らない。そして、おびえている。彼にできるのは、話すことだけだ。そしてもちろん、彼が妻に依存しているのを私は見たし、彼がうそをつくのも見た。なので3カ月して私はこう告げた。『ビビ(首相の愛称)、君に必要なのは補佐官じゃない。君には必要なのは、後任だ』。そう言って、私は辞職した」

議事堂前での抗議が続くなか、ネタニヤフ首相は総選挙の前倒しはしないと発表し、ガザ地区最南部ラファでハマスに新たな攻勢を加えるという決意のほどをあらためて口にした。

首相は、イスラエル政界で長年生き延び、選挙では圧倒的な強さを見せてきた。それだけに、たとえ対抗勢力の願いがかない、総選挙が早く実施されたとしても、それでもなおネタニヤフ氏は勝つかもしれないと、残り僅かな忠実な支持者たちは考えている。

ハマス殲滅(せんめつ)の必要性について、イスラエル国民は割れていない。その戦争目的は、国民に圧倒的に支持されている。

しかし、この戦争の進め方と、人質全員の救出や解放ができていないことが、ネタニヤフ氏の政治家人生を終わらせかねない圧力として高まっている。

(英語記事 Israel: Benjamin Netanyahu protests put political divides back on show

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