愛子さま 日本赤十字社に“特別扱い”を固辞!職場掃除、コピー機の用紙補充にも意欲

4月1日、愛子さまが日本赤十字社に初出勤 /(C)JMPA

平年よりも遅い開花となった東京都内の桜が色づき始めた4月1日、愛子さまは日本赤十字社(以下、日赤)本社の正面玄関前に立たれていた。かすかに緊張したご様子を見せられながらも、愛子さまのお顔に浮かぶ晴れやかなほほ笑みが、光り輝いていた。

「愛子さまは常勤の嘱託職員として、ご公務や宮中祭祀などがないときに出勤されます。配属先はボランティア活動推進室の青少年・ボランティア課。かつて三笠宮家の瑶子さまも所属されていて、若手の社会人・学生のボランティアグループの育成や研修などを担う部署です。

成年に際しての記者会見でもボランティア活動への強いご関心を明かされていますが、愛子さまは長年育まれた問題意識を生かしつつ、一職員として関わっていくご決意を、さらに高められているようです」(宮内庁関係者)

愛子さまは2022年の記者会見で、《人の役に立とうと懸命に活動されている姿に非常に感銘を受けました》と述べられている。日赤へのご入社に先立ち、神々や皇室の祖先に対して、“公に奉仕する”という誓いも新たにされていた――。

「3月26日に三重県にある伊勢神宮の外宮と内宮を、27日には奈良県の神武天皇陵を参拝され、大学ご卒業とご就職を奉告されました。三重県明和町の斎宮歴史博物館などを視察された際には、集まった小学生に対して予定外のお声がけもされるなど、終始人々との交流を楽しまれているご様子でした」(皇室担当記者)

愛子さまの神宮ご参拝は2014年7月以来のことで、沿道には数多くの人々が集まっていたのだ。三重県在住の文筆家で、皇學館大学非常勤講師の千種清美さんは、今回のご訪問を現地で取材していた一人。愛子さまのご成長ぶりには、ただ感服するばかりだったと語る。

「お昼まで土砂降りだったのに、愛子さまが参拝される直前に雨がやみ、晴れ間から陽光が差し込んできた光景は驚きました。真っ白なロングドレスで参道を進まれる愛子さまのじつに凜として優雅なお姿に、あらためて“皇女”という存在の大きさに感動させられた心地がしました。

10年前、両陛下の後ろを緊張して歩かれていた前回のご参拝と比べると、奉迎の皆さんに会釈しながら進まれるお姿は、“さすが”としか言いようがないほどで、本当に感心しました」

■“就活”の場でも貫かれた真摯さ

三重県と奈良県で愛子さまが見せられたお姿には、高い称賛の声が上がっていると、前出の宮内庁関係者は続ける。

「両陛下や上皇ご夫妻も、神宮ご参拝の折には、参道を進まれる際には真っすぐに前を向き、真剣なご表情で参進されることが多いようにお見受けします。

しかし愛子さまは、つねに奉迎者や神宮職員にほほ笑みかけながら、会釈して歩まれていました。そのお姿に、“愛子さまらしいご対応やお心遣いだ”と感動した職員は少なくないようです。皇室の伝統や使命を重んじながらも、ご自分らしい形を模索されるご姿勢を感じました」

成年皇族として、次世代の皇室のお務めを担われる重責を背負われながらも、愛子さまは日赤職員として働くことを決断された。その真摯なお気持ちを、“就活”の過程で職場環境を整えるにあたっても貫かれていたという。愛子さまの知人はこう明かす。

「ご就職が内定した際に、愛子さまはとてもお喜びになり、同じように就職活動をしていた友人にも、お気持ちをお伝えになっていました。愛子さまは心から日赤への就職を願われており、両陛下もそのお気持ちを尊重され、サポートされてきたのです。

内定にいたるまで、両陛下と愛子さまはご一緒に、日赤の社長などと“面談”されながら、業務内容や勤務体制について調整されていったと聞きました。とくに両陛下と愛子さまは、“内親王だからといって特別扱いしないでください”というお気持ちを示されていて、従来の職場環境に変化が生じないような形にすることを望まれていたようです」

昨年5月と7月に両陛下は御所で日赤の社長らからご説明やご進講を受けられ、その際には愛子さまも同席されている。さらにその後の10月、ご一家で日赤本社を訪問し、関東大震災についての特別展をご覧になっていた。

「天皇ご一家と日赤側は、こうした接点のなかでご就職に関するコミュニケーションを深められていったようです。

愛子さまもご自身の記者会見で話されていますが、人見知りされるところや、新しい人間関係になじむことがあまり得意ではなかったようにお見受けします。どうやら両陛下も、こうした愛子さまのご性格を心配されていたというのです」(前出・宮内庁関係者)

そして一連の“面談”を通じて、両陛下と愛子さまはさまざまな懸案をクリアされながら、ご就職への決断を下されていた。

■愛子さまが気にされていたという“税金”

前出の皇室担当記者は、

「2006年から2012年まで日赤に勤務されていた瑶子さまは、一部の職員から、いまでいう“パワハラ”のような言動を受けられ、周囲も心配していたことがありました。瑶子さまが悩まれていたことは両陛下もご存じだったそうで、愛子さまの職場にはどんな人がいるのか、なおのこと知っておきたいお気持ちがあったのでしょう。

もちろん両陛下は“試練を乗り越えてほしい”というお考えにいたったからこそ、ご就職を応援されたのでしょうし、現在の愛子さまならば、どのような状況にも上手に対応されるはずです。また愛子さまの三重や奈良でのご様子を見る限り、“人見知り”ですら、すでに克服されつつあるように感じています」

天皇家の子女として初めて、研究機関以外の民間団体に就職された愛子さまは、この“挑戦”に生涯向き合われるご覚悟も――。元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんはこう話す。

「日赤本社のお仕事であれば、全国の支部などと電話やメールで対応されることもあると思います。そもそも皇室の姿勢と日赤の使命とは親和性が高く、愛子内親王殿下は皇族か一般国民かは関係なく、ご自身のライフワークにすることも想定した勤務の形を模索されていくのではないでしょうか」

“人の役に立ちたい”という誓いを胸に秘められて、“普通のOLとして扱って”と日赤側に伝えられていた愛子さま。だがその一方で、かわいらしいお悩みも抱かれていたようだ。

「かつて瑶子さまがなさっていたという電話応対や職場のお掃除、コピー機の用紙補充にいたるまで、“何でもやりたいです”と意気込まれていたと聞きました。

また愛子さまは内定されるまで、給与にかかる税金のことを気にかけていらっしゃったそうなのです。皇族といえども働いて給与をもらえば、一般の国民と同じく所得税などが課税され、源泉徴収されています。

愛子さまはご公務もあり、正規職員よりも少ない勤務日数になるので、給与も月13万円ほどと見込まれています。お手元に残った初任給で、両陛下に“何を贈ろうか”と思案されていたとうかがいました。両陛下はネクタイとスカーフの色や柄を合わせるリンクコーデをよくなさっておりますし、同じトーンのお品を贈られるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

“皇女”と日赤職員との両立という22歳の挑戦。愛子さまは咲き始めた桜のように美しく輝く希望を胸に、その第一歩を踏み出された。

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