あなたへ 遺族からの手紙 能登半島地震

子どもに挟まれ笑顔を見せる松井健さん(中央)=遺族提供

 元日の能登半島を襲った激しい地震は、244人もの尊い命を奪いました。発生から3カ月、かけがえのない家族を失った人たちは今も深い悲しみの中にいます。大切なあなたへ、大好きなあなたへ。遺族がつづったメッセージを紹介します。

「買おうとする物、あんたの好物ばかり」

■松井健さん(55)=輪島市河井町=、妻・さおりさんより

 たけちゃん、あの日からはや3カ月たつね。私は今でも涙があふれ、あの時こうしていればよかったって後悔だらけ。さみしさは消えません。この前家を片付けに行ったら、たけちゃんの匂いが残っていました。ただいまって言っても返事はないし、部屋をのぞいてもいない。そんな家におられんわ。

 スーパーに行ったら、買おうとする物全部あんたの好物ばかり。LINEを見返すと「きょうは何を食べる?」ってご飯の話ばっかりやった。4月からは小松市のホテルを出て野々市市で一人暮らしするよ。一人嫌やな、たけちゃんおらな無理やなって、準備が進みません。頑張ろうとか、前向きにって思うけど、なかなかね。

 4月10日、もう少しで56歳の誕生日やね。あんたの好きな物たくさん買ってくるし、誕生日会しよう。何食べたい?声が聞きたいです。

「母ちゃんの煮物食べたくなる」 

■出口正子さん(75)=輪島市渋田町=、長男の博文さん(49)=横浜市、帰省中に被災=、正子さんの夫・彌祐(やすけ)さんより

 母ちゃん、博文、ようやく輪島に戻って来たわ。3月29日に金沢の避難所から輪島市内のアパートに移って、妹に預かってもらっていた2人の遺骨を持って来ることができたよ。墓も直さんならんし、しばらく一緒におってね。

 まだ全然部屋は片付いとらんし、これからやわ。やっぱり、自分で料理を作るのは大変やわ。母ちゃんの煮物が食べたくなる。恋しい。77歳まで病気をせずに、健康でいられたのは母ちゃんがおいしい物を食べさせてくれたおかげや。もうちょっと料理をならっとけば良かったな。

 2月の下旬に、博文の勤務先にお礼のあいさつをしてきた。仕事にやりがいを持っとったんやな。上司から働きぶりを聞いて、うれしくなった。ちょっと前に「輪島に帰ってこい」と声を掛けても、全然返事をしなかった理由が分かったわ。

 きょうから千枚田で田起こしの作業が始まる。母ちゃんの料理を食べられれば、朝から晩まで働けるのにな。みんなと力を合わせて、母ちゃんも一緒にやってくれた千枚田を必ず復活させるよ。見とって。

「洋孝丸」蛸島漁港で無事やったよ

■前田進さん(74)=珠洲市三崎町森腰=、妻・しげ子さんより

 お父さん、あっという間の3カ月やったね。あっちでも魚釣りしとるんか。私は、自宅と美容室を片付けるのに苦労しています。「やらんなん」と分かっとるけど、お父さんのことが気になって、なかなか作業がはかどりません。でもいつまでもそんなこと言っとられんね。

 この間、避難所で常連さんをカットしたよ。みんなお父さんのこと心配してくれとったよ。早く営業再開できるように頑張るね。(長男の)洋一と(次男の)孝は金沢で元気に仕事を頑張っとるよ。二人の名前から命名した漁船の「洋孝丸」は、蛸島漁港で無事やったよ。お父さんがおらんくなってさみしいけど、3人で力を合わせて精いっぱい生きるからね。見守っていてね。

実家を守ってくれて、ありがとう

■上野和枝さん(86)=輪島市宅田町=、長男・義和さんより

 お母さんは元気にしていたので、何の心配もしていなかったです。

 長男として、いつか金沢から輪島に帰ろうと思っていたけれど、いつか帰ろう、いつか帰ろう、と思ううちに、こんなことになってしまった。

 輪島の町は被害がひどくて、まだ信じられない気持ちがあります。家も蔵も壊れて、何もなくなってしまった。墓も壊れてしまい、遺骨をどうすればいいのかも分からず、途方に暮れる日々です。

 これまで何もしてやれなくて、申し訳ないです。実家をいままで一人で守ってくれて、ありがとう。

出口正子さんと長男の博文さん=遺族提供
前田進さん

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