中卒の元アイドルが振り返る“恋愛ルール”、給料事情…捧げた青春「自分も夢を見ることができる」

元アイドルの高橋都希子さんはCLINKS株式会社の広報として活躍を見せている【写真:ENCOUNT編集部】

13歳でアイドルデビュー、4グループを渡り歩きNY留学も経験 25歳で卒業・引退した

中学1年で芸能界に入り、高校には進学せずに芸能活動にまい進し、夢を追いかけた元アイドルのビジネスパーソンがいる。IT企業・CLINKS株式会社で、広報部課長と社長秘書を兼任する34歳の高橋都希子(ときこ)さんだ。2003年に13歳でアイドルデビューし、4つのグループを渡り歩き、1年間の米ニューヨーク留学も経験。25歳でアイドルを卒業した。引退後に結婚し、一般企業に就職してセカンドライフのキャリアを積み重ねてきた。アイドルブーム黎明期を駆け抜けた高橋さんに、今や「戦国時代」とも呼ばれるアイドル界の現状、“卒業後の生き方”について聞いた。(取材・文=吉原知也)

「芸能界で有名になりたい」。熱い気持ちが原動力になった。小学4年でSPEEDに憧れを抱き、東京・原宿の竹下通りでスカウトされ、アイドルになった。中学3年の冬に新規グループに加入し、“進路をアイドル”に決めた。自身にとって2番目に所属したグループ。アニメやゲーム主題歌を担当してCDデビュー。テレビ出演に加えて、個人としてタイで撮影したグラビアDVDの発売も。年間200~300本のステージをこなした。過密日程の中で、平日朝にマクドナルドでバイトしながら、夢の舞台に立ち続けた。

祭事や休日は、エンタメ業界にとっては書き入れ時。プライベートはほとんどなかった。悲観して振り返るわけではないが、「同級生のみんなはデートしたりお祭りに行ったり、そんな姿を見ていました。私には青春時代はなかったです。クリスマスはライブで、年末年始にもステージがありました。実は2番目のグループのデビュー日に祖父が亡くなりました。お仕事の後に祖父のもとに急いで駆け付けた記憶があります」。後悔はないが、大変さを知ることも多かったという。

一方で、アイドル活動の給料事情は驚くものだ。「当時はたぶん、お給料はほとんどなかったんじゃないかなと思っています。交通費とライブ当日のお昼は出ていたのですが……」。もちろんお金のためにアイドルをやっていたわけではない。「今みたいにSNSを駆使して多角的に情報を集めたり、発信する時代ではありませんでした。ブログが出てきたぐらいの頃です。当時の私はすれてないと言うか、本当に純粋に取り組んでいました。コミュニケーション能力や人を楽しませることなど、学ぶことはたくさんありました」と振り返る。

18歳で歌とダンスを学びに本場ニューヨークに留学し、まさに全力疾走でアイドルの研鑽(けんさん)を重ねた。アイドルグループの代表的存在・AKB48が活動を始めたのは2005年12月。高橋さんはその約2年前となる03年秋に中1でアイドルデビューを飾っている。言わば先駆者として目いっぱい踊って歌って、ファンに笑顔を届けた。

アイドルにいつかはやってくる卒業。決断のポイントは人それぞれだが、高橋さんは人生のターニングポイントが重なった。4番目の所属グループの行く末についてメンバー同士で話し合い、解散の結論に至った。その数年前に、芸能活動を誰よりも応援してくれた父を白血病で亡くした。グループの解散ワンマンライブで、父との思い出の曲をステージで歌唱。自身にとってのアイドルの区切りになったという。

そして、25歳の年齢だ。周囲の友人たちは20代半ばの節目で次々と結婚。「私もしたいな」と、自身のライフプランをどう設計していくかを真剣に考えるようになったという。アイドル引退後の15年夏に結婚した。

それに、目まぐるしいアイドル業界の“変化の早さ”も影響した。1年間の留学を終え、09年に19歳で帰国。アイドル活動を再開した。だが、たった1年で「浦島太郎になりました」と驚がくした。「それまではライブに出ると、4組30分ずつで計2時間の枠をいただいていたのですが、どんどん短くなって、1組10~20分になりました。どんどんグループ数が増えていって、楽屋で鏡の争奪戦が起きるんです。数人しかいられないスペースが楽屋と言われることもあって。すべて様変わりしました」。アイドルが身近な存在になる中で、あまたのグループが生まれて競争が激化。群雄割拠の過酷さがどんどん増していったという。

時に世間を騒がせてしまうスキャンダル。一般的にアイドルには「恋愛禁止」のイメージがある。実際はどうだったのか。

高橋さんは「私の今までの経験では、『ダメ、禁止』と言われたことはないです」ときっぱり。「もしかしたらアイドルの年齢に関係するのかもしれません。ある程度年齢を重ねていると、ファンの人は応援してくれる面があるように思います」と語る。

高橋都希子さんはアイドルのセカンドキャリアについて語った【写真:CLINKS株式会社提供】

誹謗中傷に思うこと「他人のことを知らないのに否定しちゃダメ」

むしろ、アイドルの立ち振る舞いを巡って、高橋さんが苦しんだことがある。ネットの誹謗(ひぼう)中傷だ。

「(自分についてネット検索する)エゴサーチをよくしていたのですが、一方的に、『夢を諦めた』『地下アイドル』『黒歴史なんじゃないか』と書かれたことがあります。最初はつらく感じていましたが、自分の中で引きずらないようになりました。私自身、アイドル活動を通して、ステージに立って歌って踊ることができ、絶対にできないような素晴らしい経験をたくさんさせていただきました。がむしゃらに頑張ることも経験できました。それは、私が経験してきたからこそ、そう言えるのだと思います。もしかしたら、その経験をしてない人からすると、そういうふうに諦めたと見えるのかもしれません。それを突き詰めた時に、じゃあ私がやったことのないこと、経験したことのないことについて否定してかからない。他人のことを知らないのに否定しちゃダメなんだ。そう考えるようになりました」。この答えは、ネット上にはびこる悪質な誹謗中傷をなくすためのヒントにつながるだろう。

セカンドキャリアは順風満帆だ。知人の紹介で、CLINKS株式会社に入社。総務部のバイトから始まり、現在は広報部で部下と3人体制で、社内外へのPR活動に注力している。アイドル時代の経験を生かし、昨年に立ち上げたTikTokに自ら出演して企業情報や働き方のハウツーを発信。昨年夏にはYOASOBI『アイドル』に合わせて現役時代さながらのダンスを披露するなど、明るく楽しい話題を提供している。

「人が大好き」で、社内イベントを積極的に企画し、従業員同士の交流の場づくりにも尽力。釣りやキャンプなど多趣味で、社内外の人脈を拡大。前向きなチャンレジの姿勢を貫く。

アイドルのセカンドキャリアをどう歩んでいくのか。悩んでいる人は多いかもしれない。高橋さんはチャレンジ精神を強調する。「私は“ひきだし”が大切になると思います。何事も経験で、何かに引っかかって挑戦していく。そうして誰かと仲良くなって、話が弾んで、次のお仕事につながるかもしれません。人と人とのつながりを大事に過ごしてほしいです」とメッセージを送る。

SNS発信やネット配信などを通して、アイドル個人が自己アピールできる時代になった。「もし今もアイドルを続けているとしたら、自分に向けて、『ネット時代で大変なことも多いかもしれないけど、せっかくだからやってみた方がいいよ。もしかしたらすごくバズって人生が変わるかもしれない。発見やチャンスがきっとあるはず』と言いたいです」。ビジネスパーソンとなった今、TikTokの企業アカウント運営でひと勝負に出ている。

大変なこともあった。人知れず苦労を重ねた。高橋さんにとって、アイドルとは何か。「周りに夢を見せることができて、自分も夢を見ることができる。それがアイドルです」。満面の笑みを浮かべた。吉原知也

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