「悔しさは時に一番役に立つパワーに」元アーティスティックスイミング日本代表・三井梨紗子が挑んだ2度の五輪。強さと美しさを支えた食習慣

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは2016年リオデジャネイロオリンピックのアーティスティックスイミングで、デュエットとチームの銅メダルに輝いた三井梨紗子さん。2012年ロンドンオリンピックにもチーム最年少の18歳で出場するなど、10代からトップで活躍した三井さんに、現役時代の苦労やジュニアへのアドバイスを聞いた。

■小学5年生で「エリート教育メンバー」に

――アーティスティックスイミングを始めた頃のことを教えてください。

3歳の時に水泳を始めて、小学校3年生でアーティスティックスイミングに転向しました。最初に通っていたスイミングスクールでは4泳法(自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ)を泳げるようになって大会にも出たのですが、母の目にはあまり競争が得意ではないと映ったようです。

当時はいろいろな習い事をしていて音楽やダンスも好きだったので、母がアーティスティックスイミングの体験会を見つけてくれて参加したのがきっかけです。

――どんなところが楽しかったですか?

演技を作ることや自分を表現することですね。音楽に乗りながら表現を磨いていくところも魅力でした。

――小学校5年生の時に、全国から有望な選手を集めてアーティスティックスイミング選手を育成するための「エリート教育メンバー」に選ばれました。

当時、小学校の3年生から6年生までが対象のオーディションがあって、合格すればJISS(国立スポーツ科学センター)でトレーニングができるという強化システムがありました。小学校4年生の時にも受けたのですが、その時は泳ぎが遅くて不合格。

でも、運動能力部門だけはトップだったので、特別に1日だけJISSで体験会に参加させてもらったんです。JISSに行くとテレビに出ている日本代表の人が目の前にいて、私もいつかこんな風に格好良い人になりたいな、という感じでオリンピックを意識するようになり、翌年、2度目の挑戦で合格しました。
――その後はジュニアの日本代表を経て、高校2年生で日本代表に選ばれました。最年少だったので大変なこともあったのでは?

自分は泳ぐことがあまり得意ではなく、体力もなくて、ジュニアで通用していたこともシニアでは通用しないことが山のようにありました。どうやって差を埋めれば良いのだろうと悩みながらも、先輩方に引っ張ってもらい、可愛がってもらいながら、気づいたら1、2年が経っていたという感じでした。

――ロンドンオリンピックにはチームに最年少で出場しました。どんな大会でしたか?

オリンピックは自分にとってキラキラした夢でしたから、代表に入ったことは嬉しかったのですが、実際は先輩たちについていくのに必死でしたね。最年少だったので注目していただいた部分はあるのですが、チームでは補欠のような立ち位置。オリンピックの本番で泳げるかどうか分からないような序列で、がむしゃらに練習していました。

――結果的にはテクニカルーティンとフリールーティンの両方とも泳ぐことができ、順位は5位入賞でした。

メダルを獲れなかったのでもちろん悔しい思いがあったのですが、私の口から「悔しい」と言うのも申し訳ないくらい何も貢献できませんでした。あっという間に夢の舞台が終わって「オリンピックって何だったんだろう」という感じでした。
■乾友紀子選手と組んだデュエットとチームで2つの銅メダルを獲得

――ロンドン大会が終わった後、2013年から井村雅代コーチの指導を受けるようになりましたね。

まずは井村コーチが求めているものに対して、何がどれだけ足りていないのかを自己分析し、先生に言われたことを100%できるようしようと意識して、分からないことがあったら積極的に質問するように心掛けていました。

――井村コーチと言えば指導の厳しさには定評がありますが、実際はどうでしたか?

最初は怖くて目も合わせられなかったのですが、その時からチームに加えてデュエットも泳ぐことになっていたので、そんなことは言ってられませんでした。

井村コーチのすごいところは何を聞いても答えが返ってくることです。質問をすると、「それはこういうことだから、こういうトレーニングをしてみなさい。それができなかったらまた聞きに来なさい」と明確な指示を出してくださいます。自分でも変化に気づけるようなトレーニングを指示してくれましたし、「何でも聞いて来なさい」と言ってくれたので、それにもすごく助けられました。
――リオ大会までの4年間はロンドン大会とは違う立場でしたが、どんな心持ちだったのでしょうか。

ロンドンの前はチームの補欠を経験していたので、その4年後にまさか自分がデュエットの選手に選ばれるなんて、一ミリも思っていませんでした。当時は年齢もまだ若かったので、練習では意識して最後までプールから上がらないなど、みんなに認めてもらえるようにどう立ち振る舞えばいいのかを常に考えながら練習していました。

―デュエットでは乾選手と組んでの出場で銅メダル。どんなコンビでしたか?

乾選手が得意なことと、自分が得意なことが全く逆だったんですよ。私と乾選手は互いにうまく補い合えるようなパートナーだったので、それで自分も上手になることができたと思います。

――リオまでの日々はロンドンと違いましたか?

ロンドンの時は焦ったまま行った感じなのですが、リオまではしっかりと準備ができていました。毎日、「これがリオの決勝でもいい」と思うような練習を積み重ねていたので、むしろ早くリオに行きたかったくらいです。

今だから話せることなのですが、試合の前日、乾さんと夜寝る前に2人で「明日の結果がどうなろうと、自分たちはやり切ったからいいよね」「負けてもちゃんと相手にCongratulations(おめでとう)と言いに行こうね」と話せて、それがすごくホッとした瞬間だったんです。この時間があったことで、本番前の練習をやる時もスイッチがうまく入って自分たちの演技にすごく集中できました。
■食事への意識

――ここからは食生活についてお聞きします。子どもの頃はどのような食生活でしたか?

幼少期から食べることがすごく好きで、好きなものを好きなだけ食べていましたが、小学校5年生の時に「エリート教育メンバー」に選ばれて、その時に初めて栄養指導をしてもらったんです。そこで基本的な知識をいろいろと教わってからは栄養を理解して食べ物を選ぶようになっていきました。ちょうどオリンピックを視野に入れ始めた時期でもあって、どの食材にどういう栄養素が入っているのかとか、女の子だからこういうものを摂った方が良いよとか、色味や飲み物のチョイスなども含めていろいろなことを気にしながら食事をするようになりました。

―高校2年生から日本代表メンバーになられ、食事面で特に意識していたことはありますか?

鉄分をしっかり摂ることですね。ほうれん草やひじき、レバーなどを意識的に摂るようにしていて、色味に関してもブロッコリーやトマトなど、赤い色や濃い緑など緑黄色野菜を意識的に摂ることでビタミンをしっかり補給するようにしました。

合宿ではいつもビュッフェなので、野菜の色を見て選んでいました。飲み物はオレンジジュースが好きで牛乳をあまり飲んでいなかったのですが、朝ごはんに牛乳とオレンジジュースを両方飲むと決めて摂っていました。

あとはアーティスティックスイミングは体を見せる競技なので、太りやすい年齢だった頃は食事を調整しなきゃいけない時もありました。
―大学生になってからはチームだけでなくデュエットにも出場するようになったので、食事もさらに変化したのではないでしょうか?

大学生になってからは練習の内容もハードになりましたし、高校生の頃は太りやすかったのですが大学生になると体重が落ち着いて、むしろ痩せやすくなっていったんです。私は筋肉質な方なので食べても食べても痩せていきやすく、栄養士に相談して必要なカロリーを細かく指導してもらいました。

―だいたい何カロリーくらい摂取していたのですか?

1日4500~5000キロカロリーです。ご飯は朝昼夕とも300グラム以上。メインは魚と肉を両方食べて、夜は夕食のほかに寝る前に夜食を食べていました。合宿ではホットプレートを用意してくれていて、痩せやすい選手は寝る前にも切り餅をホットプレートで焼いて食べるのですが、多い日は5個。深夜12時くらいにみんなでプールサイドで食べて次の日を迎えるということをしていましたね。

――練習時間は8時間から多い日には12時間にも及ぶと聞きます。

チーム種目では役割も選手それぞれですし、痩せなきゃいけない子も痩せやすい子もいます。ですから個人個人で体重を管理する必要がありました。私と乾さんは基本的にずっと食べて、泳いでいるか寝ているかしかやっていないような生活でした。

――海外で苦労はなかったですか?

海外ではご飯を食べられることがほとんどなくパンが多いのですが、私は比較的好き嫌いがなかったので順応してできた感じはありました。ただ、摂り方が違うと同じくらい食べているつもりなのに痩せてしまうこともありました。
――食材としてきのこについてお伺いします。日々のお食事できのこを食べる機会はありますか?

きのこは好きですよ。焼き肉に行っても椎茸などは必ず注文して焼いて食べたいです。焼いて醤油をかけて食べることもよくありますね。

――引退後にご結婚して現在はお子さんもいらっしゃいます。ご家庭できのこを使う料理は作りますか?

今一番よく買っているのは、しめじやなめこですね。なめこのお味噌汁はよく作りますし、カットされているしめじを冷凍庫に常備して頻繁に使っています。豚肉と卵であえて炒めて、オイスターソースで味付けする料理は嵩(かさ)も増えてヘルシーだし、作るのも簡単。重宝しています。

――きのこを好きになったきっかけはありますか?

小学校5、6年の時から栄養指導を受けていましたから、早い時期からきちんとした料理を食べる環境にはありました。そこにきのこを使った料理も組み込まれていたので、自然と違和感なく食べていました。

――どんな時によく食べていましたか?

たくさん食べなくてはいけない時期なのに胃が弱っているときなどには、きのこに助けられていたと思います。それと、胃の調子が悪い時は、最初は温かいお味噌汁から食べ始めて、次にサラダや野菜やきのこ、肉はその後に食べるなど、順序も意識して食べていました。アーティスティックスイミングは水の中の競技なので常に体が冷えますから、お味噌汁などの汁物はいつも食べていました。

――現役時代は体脂肪率なども気を遣ったのでは?

アーティスティックスイミングでは時代によって求められる方向性が変化してきたと思います。ロンドンオリンピックぐらいまでは脂肪をつけて浮力を使うという考えだったのですが、そこからリオまではより技術が上がっていき、強さや速さが求められるようになったので、体脂肪は落としていきました。ロンドンからリオまでの4年間は、体重はほとんど変わらなかったのですが、体脂肪率は10%ぐらい違っていました。

――現在の食習慣はどのようにされていますか?

今もエキシビションなどで泳ぐ機会もあるので、体作りは意識しています。現役時代と同じように食べていると太ってしまうので、カサを増やしながらも低カロリーで、なおかつ食物繊維もしっかり入っているのできのこは重宝しています。
■パリ大会に出る後輩たちへのエール

――リオ大会が終わった翌月の9月に引退。次は東京オリンピックだったのですが、迷いはなかったのですか?

リオに行く時点で、これで私は引退するだろうという思いが7割くらいありましたし、実際にリオで演技を終えた時は、結果も出てすごく自分の中で落ち着いた気持ちになっていました。東京出身なのでオリンピックを目指したい気持ちもあったのですが、やっぱり自分に嘘をつきたくなかったですし、この選択を絶対に後悔しないこれからの人生にしようという決意を持って、引退しました。

――パートナーだった乾さんは、昨年7月の福岡での世界選手権のソロの演技を最後に引退しました。

昨年はそれまでとルールが変わってすべてがある意味リセットされた状況で、乾さんは覚悟を持って世界選手権に臨んでいたと思います。その難しい状況で最後までノーミスで泳ぎ、かつ自分の表現を極め切った彼女の演技は素晴らしく、リオのメンバーのみんなと福岡の現地で号泣しながら見てました。

――日本勢は福岡での世界選手権でデュエットがパリオリンピックの出場権を手にしたのに続き、この2月にカタールで行われた世界選手権で今度はチームがパリの出場権を獲得しました。

今回は出場権を取ったものの、まだまだ高められるところがあると思います。パリではまずはここまでやり切ったという演技をしてほしいと思います。そうすれば結果は必ずついてくるというのは、私もリオで経験することができたので、ぜひ、その世界を表彰台の上から見てほしいと思います。

――三井さんが現役の頃はつねに勉強との両立もテーマになっていたと思います。ジュニアへのアドバイスをお願いできますか。

私の場合は両立していたというよりは、できる時に勉強してできない時はやらないというように、メリハリをつけてやっていたと思います。

――厳しい練習に取り組むために何か意識していたことはありますか?

練習も勉強も継続が大事ですが、自分を甘やかしてあげる時間を作るのも必要かなと思います。すごく怒られてメンタルをやられたとしても、それは自分を高めるために言ってくれた言葉だという捉え方をして、それをできたら必ず自分にご褒美を与えてあげようとか、できなかったら次にどうしたらいいかをもう一回考える時間を作ろうとか、そういうことを意識していました。

悔しさは時に一番役に立つパワー源になります。悔しい思いを消化できる時を待つためにパワーを蓄えるという気持ちで辛さを乗り越えられたらいいなと思います。

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三井 梨紗子(みつい りさこ)
1993年9月23日 168センチ 東京都新宿区出身
小学校3年からアーティスティックスイミングを始め、2010年に高校2年生で日本代表入り。2012年に日本大学へ進学し、2016年に卒業。同年9月に引退した。2022年に博士号(教育学)を取得し、現在は日本大学医学部の教壇に立ちながら、コーチ・講演活動・解説のほか、日本オリンピック委員会アスリート委員として幅広く活動している。

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