難病・表皮水疱症で生まれた第2子の娘。妊婦健診では異常なし。「初めは、すぐに治る傷だと思っていたのに・・・」【医師監修】

鈴木仁美さん(35歳)には2人の子どもがいて、第2子の美羽ちゃん(2歳11カ月)は、右足のひざから下と、左足の甲の皮膚がむけた状態で生まれてきました。妊婦健診では何も異常がなかったと言います。その後、難病の表皮水疱症と診断されます。美羽ちゃんが生まれたときのことを仁美さんに聞きました。
全3回インタビューの1回目です。

「お顔に特徴がある」、世界に例がないオンリーワンの疾病を抱えて前を向く家族。「生まれてきてくれてありがとう」と伝え続けたい【体験談】

妊婦健診では異常なし。初めは、すぐに治る傷だと思っていた

写真は、生後0日目の美羽ちゃん。

鈴木仁美さんが、塾講師を務める隆大さんと出会い、結婚したのは29歳のときでした。すぐに長男が誕生し、その約1年後、仁美さんが32歳のとき美羽ちゃんが生まれました。

「2人目の妊娠経過は順調で、妊婦健診でも異常なしと言われていました。
予定日前日の夜9時ごろに陣痛が始まり、産院まで夫に車で送ってもらいました。上の子がいるので、夫はいったん家に帰りました。助産師さんのサポートを受けながら、私は1人で出産に臨みました。
お産はスムーズに進み、早朝4時に娘が産まれました。出生体重は2780g、身長は50cmでした。元気な産声(うぶごえ)が聞こえて、ほっとひと安心しました。生まれたばかりの娘を抱っこして、本当に幸せな時間でした。でも娘の右足はひざから下が、左足は甲の部分が、皮膚がむけていて真っ赤でした。

私は、産まれてくるとき何かあって傷ができてしまったのかな?と思い、そんなに気になっていませんでした。しばらくしたら治ると思っていたんです。足の傷のことよりも、娘が生まれて来てくれた喜びのほうがはるかに大きくて幸福感に包まれていました」(仁美さん)

仁美さんは後ほど知ることになりますが、それは生まれるときの刺激でできた傷、けがのようなものではありませんでした。

「舌にも出血がある」と言われて、すぐにNICUがある病院に搬送

生後26日目。経管栄養のチューブがはずれて、看護師さんがミルクを。

仁美さんは出産してすぐに、上の子が産まれたときの雰囲気とは違うものを感じてはいました。

「助産師さんの様子がおかしくて『大丈夫ですか?』と聞いてしまったぐらいです。
足の傷は朝一番で、院内の小児科で診てもらうと説明を受けたのですが、すぐにNICU(新生児集中治療室)に入院したほうがいいとの判断になったようで、朝8時に産院の小児科の先生と、搬送先の小児科の先生、看護師さんが美羽を連れて、私のベッドに来ました。そして『舌も出血しています。詳しく検査したほうがいい』との説明で、NICUがある総合病院に搬送されました。

NICUに入院するのは美羽だけなので、私と美羽はすぐに離れ離れになってしまいました。私は産院に5日ほど入院しながら、夫と毎日、美羽のところに搾乳を届けることになりました。コロナ禍だったので、面会は15分だけです。

美羽は、保育器に入っていましたが、皮膚の乾燥を防ぎ、物理的な刺激をやわらげるため足にはラップのようなものが巻かれていて、点滴をしていました。
生後3日目のとき、医師から『処置時にモルヒネを少量併用して一時的になるべく痛みをやわらげる』と説明されて同意書にサインをしました。強い痛みが続くと、発達に影響が出ることがあるそうです。面会時間は15分だけだし、抱っこして美羽の様子を見ることができないため、私は美羽がNICUでどのぐらい痛くて泣いているのかわからなかったのですが、医師の話を聞いて『こんな小さな体なのに痛くて、痛くて泣いているなんて』と思うと、つらくてしかたがありませんでした。代われるものなら代わってあげたいという思いでいっぱいでした」(仁美さん)

NICUに入院後、久々に抱っこできたけれど傷つけそうで怖い

生後5カ月ごろ、寝返りができるように。

美羽ちゃんは、生後5日目で腹部の皮膚の一部を採取して、顕微鏡で詳しく調べる生検をすることになります。

「検査結果が出るには1カ月ぐらいかかると言われました。
出産してすぐに一度抱っこできたのですが、次に抱っこできたのは生後11日目です。すごくうれしかったのですが、抱っこして傷つけたらどうしようと思うと、怖くてびくびくしながら抱っこしました。

そしてその2日後に、原因不明の熱が出てしまいました。抗生剤を投与するなどの処置で、大事には至らなかったのですが、美羽の小さい体の中で一体何が起きているんだろう? 何の病気なんだろう? と悶々(もんもん)としながら毎日を過ごしていました」(仁美さん)

美羽ちゃんの体から管がすべて外れたのは生後25日を過ぎてからです。

「美羽の授乳は看護師さんが行ってくれていました。美羽は口の中もただれていたので、吸う力が弱い赤ちゃんが使う専用の哺乳びん用の乳首を使っていました。美羽用に乳首の穴をさらに広げて使っていて、初めのころは約10mL/回、ミルクを飲んでいました。

生後23日目のときに久々に、直接母乳を与えたのですが、美羽は吸いついて飲んではくれませんでした」(仁美さん)

生後1カ月で難病・表皮水疱症の診断が

入院中、看護師さんがつけてくれた育児日記。

生後1カ月ごろに美羽ちゃんの生検の結果が出て、難病の表皮水疱症と診断されます。
表皮水疱症は、皮膚の構造成分であるタンパク遺伝子に変異があるため、わずかな刺激や摩擦などによって水疱(水ぶくれ)やびらん(ただれ)ができてしまう病気です。

水疱ができる部位によって単純型、接合部型、栄養障害型の3つの型に分類されます。最も多いのは、軽症タイプの単純型ですが、美羽ちゃんの場合は症状が顕著に現れる栄養障害型との診断でした。

「医師の説明では、成長が遅れる可能性があること。食道の粘膜がただれて、食道狭窄になる可能性があること。つめがはがれ落ちやすいこと。手足の指同士が癒着しやすいことなどが告げられました。
また美羽は、症状の改善が見込めない劣性の可能性が高いとも言われました。

看護師さんからは『インターネットなどで調べると、誤った情報もあるから調べないほうがいいですよ。心配なことやわからないことは直接聞いてください』と言われたのですが、気になってしかたがなかったのでインターネットで検索してしまいました。

でも『最悪の皮膚病』『皮膚がんになる可能性が高い』『治ることはない』などの激しく厳しい言葉や、ネガティブな情報ばかりが目について、涙が止まりませんでした」(仁美さん)

栄養摂取が大切な美羽ちゃんを、どうにか母乳メインで育てようと思って、仁美さんは搾乳を届ける日々が続きました。

「直接、美羽に母乳を与えられるように頑張っていたのですが、私のストレスもあったのか、美羽に吸ってもらえていなかったこともあったからか、そのころから母乳が出なくなってしまいました。

美羽の病気やこれからについては、夫婦でとことん話し合いました。夫から『どんな子が産まれても、親のやるべきことは変わらないよ』と言われ、私もクヨクヨしてばかりしていられない。前に進まないと思いました」(仁美さん)

【玉井先生から】表皮水疱症は、妊娠中の診断は困難

表皮水疱症の患者さんは、皮膚の接着に必要な蛋白(VII型コラーゲンやケラチンなど)が生まれつき不足しており、日常生活での皮膚への外力で水疱や潰瘍ができる病気です。赤ちゃんが子宮の中にいるときはエコー画像での診断は困難で、ほとんどの場合、生まれた直後、水疱や潰瘍などの皮膚症状から初めて診断されます。軽症の場合は、生まれた直後に症状がなく寝返りやずりばいをするようになってから症状が出現する場合もあります。

お話・写真提供/鈴木仁美さん 監修/玉井克人先生 協力/NPO法人表皮水疱症友の会 DebRA Japan 取材・文/麻生珠恵 たまひよONLINE編集部

表皮水疱症はまれな病気で、2019年に厚生労働省稀少難治性皮膚疾患に関する調査研究班が実施した全国疫学調査では、全国の医療機関を受診している患者数は590名(95%信頼区間470〜710名)と推定されています。
「美羽が入院していた総合病院でも、16年ぐらい前に表皮水疱症の子が入院していたことがあると言われました。まれな病気なので、知りたいことはいっぱいあるのに情報が少ないことが悩みでした」と言う仁美さん。
仁美さんは、診断がついてすぐに「NPO法人表皮水疱症友の会 DebRA Japan」に入会しました。同じ病と闘う家族と出会い、相談できることが心の支えになっていると言います。
インタビューの2回目は、美羽ちゃんの入院や退院後の生活について紹介します。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

NPO法人表皮水疱症友の会 DebRA Japan

監修/玉井克人先生(たまいかつと)

PROFILE
大阪大学大学院医学系研究科招聘教授。1986年弘前大学医学部卒。90年同大学大学院医学研究科博士課程修了。弘前大学医学部皮膚科助手などを経て、91年米国ジェファーソン医科大学皮膚科留学。2003年大阪大学大学院医学系研究科遺伝子治療学助教授、04年同准教授。10年同研究科再生誘導医学寄附講座寄附講座教授。23年10月より現職。専門は再生医学、遺伝子治療学、皮膚科学。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年2月の情報であり、現在と異なる場合があります。

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