金久保翔(金沢武士団キャプテン)インタビュー——「今は本当に頑張るしかない」

4月1日・2日のB3リーグ第25節、金沢武士団対しながわシティバスケットボールクラブの対戦は、「令和6年能登半島地震復興支援金沢武士団チャリティーマッチ」と銘打たれて国立代々木競技場第二体育館で開催された。GAME1はハーフタイム前にしながわの伊藤良太がブザービーターとなるハーフコート・ショットを成功させて会場を沸かせ、オーバータイムの末にアウェイ側のしながわが86-76で勝利。翌日、金沢が外国籍登録の3人全員欠場という厳しい状況で臨んだGAME2は、序盤から品川のペースとなり最終的にもしながわが99-64と点差をつけて連勝した。

両日ともB1からB3までの様々なクラブのユニフォームやグッズを身につけて声援を贈る大勢のファンが集まり、バスケットボールの聖地を盛り上げたチャリティーマッチ。そのGAME1終了後、金沢のキャプテンを務める金久保翔に話を聞いた。今シーズン開幕から約1ヵ月が過ぎた昨年11月5日に、コーチ陣不在というチーム状況とプレーヤーたちが置かれた難しい立場についての思いを自身のNoteで発信していたプレーヤーだ。金久保が置かれた状況は、その時点でもプロフェッショナル・アスリートとしては非常に厳しいものだったが、現在は今年の元日に発生した令和6年能登半島地震の影響によるさらなる苦難に直面し、それを乗り越えようと懸命にチームを支えている。

この2日間、個人としてはGAME1が3得点に3リバウンド、GAME2が8得点に8リバウンド。インタビューさせてもらったGAME1終了時点では、敗戦にも自身のオフェンスに関して「ネガティブな感覚は一切ないです」とリーダーらしく前を向く言葉を聞かせてくれていた。GAME2の8得点は今シーズン3番目に高い数値であり、8リバウンドはシーズンハイであると同時にチームハイ。連敗という結果は不本意だったに違いないが、広範なバスケットボール関係者やファン、スポンサーの努力・協力の中で生み出されたチャリティーマッチGAME2という特別な舞台で、気概を感じさせる数字を残した。

今、金久保はどんな思いで自らを奮い立たせているのだろうか。

©月刊バスケットボール

苦境が負けの原因とは思っていない——今日の試合を見て、やはり震災の影響やシーズン序盤の金久保選手の発信を思い起こしてしまう瞬間も何度かありました。いろいろ難しいことを経験して、フィジカル、メンタルのコンディショニングが難しいシーズンだと思うのですが、どんな難しさがあるのでしょうか?

チームの皆が個々にどう感じているかはわからないんですけど、僕の中では、シーズン序盤のコーチ陣契約解除や震災のせいで僅差のゲームを落とす結果になっているとは思っていません。起きてしまったことはしょうがないですし、その中でできることもたくさんあります。今日の試合も今までの試合も、自分たちがやるべきことをできていない部分がありました。

僕個人は、ほかのメンバーも前を向いてやるしかないとわかっていると感じています。そもそもバスケットボールをさせてもらえていることに、みんな感謝しています。その分やっぱり、僕たちには何ができるんだろうと考えれば、試合に勝つことに越したことはありませんけれど、頑張っている姿を届けることで被災地の方々が何かしらを感じてくれれば、それだけでもいいのかなと。そういったことも三木HC(昨年12月からチームを率いている三木力雄HC)から常日頃話してもらっています。今日も本当に勝ちたかったなというのが正直な気持ちです。

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——シーズン序盤の発信には大きな価値があったと思います。その後どういうインパクトがあったと感じていますか?

少しチームには迷惑をかけてしまったとも、僕の中で配慮が足りなかった部分もあったなとも思っているんですけど、僕が伝えたかったのはコーチがいなくなったとしても今はみんな前を向いて頑張っているということでした。あの発信で状況を知ってくれた方も多かったと思います。僕にいただいた反響は「そういう状況で困っている選手がいるなら応援したい」という内容が大半でした。

——ほかのチームのブースターたちの中にも、「金沢武士団のグッズを買ってみようかな」と応援に乗り出した人がたくさんいたようですしね。

そうですね。そういった反応が多かったと感じています。あの発信が良かったのか悪かったのか、見方はいろいろでしょうけれど、僕のNoteをきっかけに金沢武士団を知ってくれた方も多かったので、その面では発信してよかったと思います。でももう少しチームに配慮できたらもっと良かったと反省もしているんですよね。

七尾からの激励

——今の金久保選手たちは、すぐそばに震災の影響で非常に困っている人々がたくさんいて、毎朝その人たちの厳しいニュースに接するような日々を過ごしながら、ご自身は仕事としてバスケットボールに向き合っているのだと思います。気持ちの整理がものすごく難しいのではないですか?

東日本大震災のときに僕は埼玉にいたので 強い揺れは感じたのですが被災という感覚はありませんでしたが、今回は自分が住んでいるところが初めて被災するという経験でした。

気持ちを切り替えるという感覚はなくて、本当におこがましいことですけど、こんなに強く誰かのためにバスケットボールを頑張ろうと思ったのは今回が初めてなんです。いろいろと考えたんですけど、僕らにできることは本当に限られています。被災地に行ってもその場その場のプロフェッショナルがいて、その場の改善に取り組まれているので、その方々のサポートしかできませんでした。やっぱり歯がゆい気持ちがありました。

僕らにできることが何かと言ったら、バスケットボールで元気になってもらうことしかなくて…。練習を再開してからは毎日自分ができる目の前のことをまず120%やっていこうということだけを意識して今日までやって来ています。それが自分のためにもなるし、被災地のため、チームのためにもなるのかなと。気持ちを切り替えるというよりは自分ができることにフォーカスすることを突き詰めようとしています。

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——地震が起こった時はどんな状況にいらっしゃったんですか?

僕は富山県にいて、震源とは離れていたんですけれど、それでも震度6の揺れでびっくりしました。

——震源に近い現場の方々に対してなんだか申し訳ないような気持ちでプレーされている選手もいるのかなとも思ったりします。

東日本大震災でも熊本地震でも被災地域のチームはシーズンを中断して支援に回っていたと思うので、僕らがバスケットボールをしていていいのかな…という気持ちはずっと、今でもあります。でもやらせてもらえるということになったのであれば、そこに全力を尽くすべきだと思っています。ただ、複雑な気持ちもありますね。

僕らだけ七尾を離れて安全なところに行かせてもらって、何不自由なく今は暮らさせてもらっています。一方で、今でも七尾の人たちは避難所にいます。本当に僕たちを子どものようにかわいがってくれた人たちがいまだに避難所にいて、家を壊すのか、建て直すのか、ずっと避難所にいるしかないのかという選択を迫られています。それを自分ごとに考えると、本当に先の見えない不安でいっぱいだと思います。

そんな状況なのに、先週月曜日に七尾に戻ったら、また大根とか野菜を持ってきてくれるんです。そんな皆さんの顔を見たら、やっぱり頑張らなければと思うんですよね。

——期待に応える価値がありますね。

今は本当に、頑張るしかないんです。シーズンが終わったら、七尾に戻って手伝えることが何かあるでしょう。それをやりたいと思っています。

金久保の自分への問いは「頑張れるかどうか」の前に「頑張っていいのだろうか」だったのかもしれない。しかし、被災した地域から金久保に今も「頑張れ」と言ってくれる人に何ができるのか。それは「今、頑張ること」しかなかった(写真/©月刊バスケットボール)

金久保も金沢武士団も、被災地に暮らす人々に寄り添われている。同時に何とかして、自分たちとしての寄り添い方でその人々に前向きな力を届けようとしている。どちらもお互いを必要としているのではないだろうか。

島田慎二Bリーグチェアマンをはじめとしたバスケットボール界の関係者も、チャリティーマッチに協賛したスポンサーも、ファンも、その思いを何とかして後押ししようと懸命だ。この両日、代々木にはその思いから発散される熱量が満ち溢れていた。

GAME1終了後、両チーム関係者だけでなく来場した人々もコートに招き入れて行われた記念撮影。色とりどり、様々なチームのユニフォームを着たバスケットボール好きが、被災地の一日も早い復興の一助にと聖地代々木で心を一つにしていた(写真/©能登半島地震復興支援チャリティマッチ運営事務局)

GAME2の試合中、コート奥の2階席に設置された金沢武士団のフラッグ周辺を、来場者が持ち寄った様々なチームのユニフォームが埋めていた(写真/©月刊バスケットボール)

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