【達川光男連載#40】落合さん、掛布、岡田…でも対戦前から重圧感じた打者はブーマー

84年には3冠王に輝いたブーマー

【達川光男 人生珍プレー好プレー(40)】捕手というポジションはバッテリーを組む投手ばかりでなく、対戦相手の打者にも育てられるものです。いい打者というのは簡単には打ち取れませんから。頭も使うし、抑えたら抑えたで相手も研究してくる。言ってみれば、いたちごっこなんです。

よく取材などで「これまでに対戦してきた打者で、一番すごかったのは誰ですか?」という質問を受けます。ロッテで3度の3冠王に輝き、1987年から中日でプレーした落合博満さんは言うに及ばずで、阪神のバースもすごかった。もちろん掛布雅之や岡田彰布もね。岡田のカーブ打ちなんて天才的でしたよ。

巨人では篠塚利夫(現和典)はインコースを打つのが抜群にうまかったし、88年に左ヒザを大ケガする前の吉村禎章などは「こいつは通算3000安打ぐらいするんじゃないか」と思わせる打撃をしていました。

あと、スパイクを履いたときのクロマティも怖かったですね。日本の野球をナメていたのか知りませんが、普段は打席でもイボイボの運動靴なのに、本気のときだけ金具の付いたスパイクを履いてくるんです。いつだったか、北別府学が先発した試合で3打席凡退しましてね。4打席目だけスパイクを履いてきて「あれ?」と思ったら左中間に二塁打されました。

こうして名前を挙げていったらキリがないのですが、対戦前からものすごい重圧を感じた打者という点では84年の日本シリーズで対峙した阪急のブーマーでしょうね。同年は打率3割5分5厘、37本塁打、130打点で3冠王にも輝いていました。

私は79年と80年の近鉄との日本シリーズでベンチ入りしたものの、試合出場はかないませんでした。「前の打者が出たら代打で行くぞ」とスタンバイしていたことはあったんですけどね。ブルペンで投手の球を受けるのが主な仕事だったので、84年の日本シリーズは実質的に初出場のようなもの。球団初のリーグ優勝を成し遂げた75年は阪急との頂上決戦では4敗2引き分けと完敗した経緯もあり、前年からレギュラーとなった私にかかるプレッシャーも相当なものでした。

強打者はブーマーだけではありません。「世界の盗塁王」こと福本豊さんも元気だったし、4番ブーマーの前には前年に打率3割1分2厘、32本塁打、35盗塁でトリプルスリーを達成した簑田浩二さんがいて、5番には打率3割1分で6年ぶりのリーグ制覇に貢献した松永浩美が控えている。

それなのに旧広島市民球場内で行われた本番前のバッテリーミーティングは簡単な内容にとどまりました。細かいことを言ったら怖さが増すとの理由からです。おまけにミーティングの最後には「この後に行われる阪急の打撃練習は見ないように」と通達されました。やはり「見たら自信をなくすから」です。

そう言われると、かえって見たくなるもの。ロッカーで私服に着替えた私は、チームスタッフと一緒にバックネット裏の上段にあった記者席の脇から阪急の打撃練習をこっそり見学しました。確かに見るべきではなかったのかもしれません。

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