3日午前に発生した台湾付近を震源とする地震で津波警報が発表された沖縄本島地方と宮古島・八重山地方。沖縄への津波警報発表は2011年の東日本大震災以来で、多くの人が高台へと避難した。沖縄県警には、地震と津波警報に関連する110番通報が3日正午までに42件あり、その大半が「渋滞で車が動かせない」といった交通渋滞に関する内容だった。各地で避難する車による渋滞が発生して身動きが取れなくなるなど、車社会の沖縄が抱える防災の課題が露呈した。
■1時間近く車両通れず
宮古島では、宮古島市平良下里の市街地にある海抜41メートルの「カママ嶺公園」に、地震発生直後の3日午前9時ごろから、千人を超えるとみられる多くの住民が避難した。公園の駐車場は満車。隣接する片側1車線の道路には、避難者が路上駐車せざるを得ない状況になり、1時間近く車両が通行できなくなった。公園の自販機は水やお茶類が売り切れた。
家族と一緒に車で避難した40代女性=平良下里=は、渋滞に巻き込まれ、避難している道中に身動きが取れなくなった。「家が近いから最悪の場合は歩いて帰れる」と諦めて、その場で警報の解除を待った。
交通渋滞は、沖縄県内の各地で見られた。
■体調不良訴える住民も
与那国島では、避難所となった与那国中学校の保健室を仮設の診療所として開放。医師が、避難所まで歩くなどして気分が悪くなったと訴える住民らを診断した。
■「揺れが大きかったら冷静でいられるか」
宮古島市平良東仲宗根にある海抜36メートルの「はなぞのこどもえん」では3日分の食料などを蓄えており、保護者が迎えに来られない園児は2階に避難した。同園の関係者は「今回は揺れが小さかったから職員も子供たちも冷静に対処できたが、揺れが大きかったら冷静な判断ができるのか、怖さを感じた」と語った。
■ホテルに避難も
春休み中の沖縄市の比屋根小学校では、校内にいた職員約50人がいったん屋上に避難した。津波到着まで時間があるため、携帯無線機で市教育委員会とやりとりしながら、市内のオキナワグランメールリゾートに移動した。
ホテル周辺は、逃げてきた近隣住民や児童生徒でいっぱい。道も渋滞し、一部の職員は自主的に交通整理に当たった。避難者の中には同校の児童も多数おり、教員は「大丈夫だった?」などと声をかけていた。
避難者は当初、エントランスで待機したが、ホテル側の配慮で2階の宴会室が開放され、水も提供された。
(當山学、鈴木実、豊島鉄博、田頭瑠都通信員)