台湾M7.7地震「今度は日本がお返しする番だ」 横揺れ10秒…現地の県出身者「恐怖感じた」

台湾・花蓮市の駅で地震の影響による一部区間運休を伝える貼り紙=3日(吉田朝美さん提供)

 台湾東部沖でマグニチュード(М)7.7の地震があった3日、現地の鹿児島県出身者も大きな揺れに見舞われた。県内の台湾出身者らは家族の安否や被害状況の確認に追われ、犠牲者やけが人が出た惨状に胸を痛めた。

 台湾北部・新北市で語学留学中の吉田朝美さん(39)=鹿児島市=は、震源地に近い花蓮市を旅行中だった。「宿泊施設にいて、ちょっと強い揺れが長く続いているな、という感じだった」。駅周辺では道路に倒れた自転車やバイクを見かけた。「余震が何度もあるのが不安」と話した。

 地震発生時は通勤時間帯だった。新北市にある業務用食品卸・西原商会(鹿児島市)の営業所に着いていた西元正樹副所長(42)は「横揺れが10秒以上続いた。しょうゆの入った段ボールなどが次々と倒れて恐怖を感じた」と振り返る。営業所では、日本人を含む9人が働く。揺れが収まるとほかの社員も出勤し「全社員と建物に被害はなかった」という。台北市に事務所を構える鹿児島銀行(同市)は、この日は業務を取りやめた。現地採用2人を含む4人の従業員にけがはかった。

 鹿児島台湾華僑会の理事を務める鹿児島市小松原2丁目の陳怡如さん(58)はニュースで地震を知り、すぐに電話で台北の両親の無事を確認した。「多くの犠牲が出た1999年の大地震を思い出した。早く被害の全容が知りたい」と気をもんだ。

 伊佐市は花蓮市と1月31日に友好交流協定を締結した。調印のため花蓮を訪れた伊佐の橋本欣也市長は「心が痛い。失われる人命やけが人が増えないことを祈る」。日本で地震が起こるたびに台湾は多額の義援金を寄せており「今度は日本がお返ししたい」と話した。年に数回、台湾を訪れるという大口酒造(伊佐市)の向原英作社長(65)は台湾の取引先や知人にすぐ連絡を取り、安否を確認した。「被害が大きくならないか心配だ。復旧支援に協力したい」と被災地に思いを寄せた。

地震で列車が一部区間運休となり、混乱する駅利用者ら=3日、台湾花蓮市の花蓮車站(吉田朝美さん提供)
地震で列車が一部区間運休となった花蓮市の駅(花蓮車站)=3日、台湾花蓮市(吉田朝美さん提供)

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