メッシに“不倫”をした元マドリー指揮官が綴る「2人の絶対的な天才」とアンチ【現地発コラム】

フットボールにはクオリティの低い選手もいれば、クラックもいる。両者を見分けるのは簡単だ。逆に厄介なのはその間の平均的な選手を評価することだ。彼らは長所と欠点の両方を併せ持っているため、定義が難しい。

最後に、そのいずれのカテゴリーにも属さない天才と呼ばれる選手たちがいる。ゲームの支配者であり、フットボールの歴史に転機を作る変革者だ。20年に1人現れるかどうかの稀有な存在だが、にもかかわらず、その事実を知ろうとしない、あるいは認識しようとしない輩がいる。私に言わせれば、精神的な囲い込みをして特定の物事しか受け入れることを許さない狂信者だ。

今世紀に入ってからも、監督と選手という異なるレベルにおいて、2人の絶対的な天才が現れた。ジョゼップ・グアルディオラとリオネル・メッシだ。

バルセロナの黄金時代の最大の立役者である2人に我々マドリディスタは苦しめられた。その一方で我々フットボールを愛する人間は、歓喜と効率を生み出すこの天才たちを前にして、自らを発見しなければならなかった。

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フットボールを愛する者には、優秀さを認める義務がある。もちろんその中には特定のクラブのファンも含まれるが、一つのカラーを愛することと天才たちに匹敵する実力を育み、対峙する義務を両立させることは可能である。

それを見事に成し遂げたのが、フロレンティーノ・ペレスだ。バルセロナがセクステーテ(六冠)に向かって邁進していた最中に、レアル・マドリーの会長に復帰した彼が最初にしたことは、カリム・ベンゼマ、カカ、クリスティアーノ・ロナウドを立て続けに獲得し、「マドリーここにあり」を高らかに宣言することだった。それこそが、諦めることなく高貴な武器を駆使して対峙する義務だ。

ジョゼ・モウリーニョは違った。私が(マドリーの)GMを務めた間、身内から「メッシを愛する者は反マドリディスタだ」と非難される居心地の悪い状況に追い込まれた。そんな中、私は、「メッシを愛していない者は、フットボールを愛していない」というより大局的な視点を提案した。当時からメッシを愛していたし、それは今も変わらない。マドリディスタとして“不倫”を犯していることを自覚しているが、その行動を改める考えは私にはない。

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グアルディオラの場合は、プレーよりも采配のほうが反論しやすいという別次元の問題を抱えている。誰も選手の立場になって考えることができないのは、その名人芸が手の届かないところに存在にしていると認識しているからだ。驚嘆することしかできない天才についてあれこれ言うことはできない。

一方、監督の采配には常に議論の余地があり、試合後、さらに言えば敗戦後であればなおさらでだ。フットボールではよく知られた法則だ。しかし、無数のタイトルを獲得したグアルディオラを、プラグマティズムの観点から批判するのは難しい。

しかもそのフットボールが支配的かつ魅力的であれば、ロマンチストと非難されることも難しくなる。革新がまず驚きを与え、さらにそのスタイルがライバルにとっても目指すべき指標となるとき、我々は今世紀最も影響力のある監督を相手にしていることを理解しなければならない。その存在を好むと好まざるとにかかわらず、だ。

2人は、アンチの批判をよそに求められていたタイトルを獲得した。レオがフットボール史上最も偉大な選手たちの仲間入りを果たすためにワールドカップの優勝トロフィーが必要だったと信じていた者は本当にいたのだろうか?

ペップがステイタスを確固たるものにするために3度目のチャンピオンズリーグが必要だったと信じていた者は本当にいたのだろうか?

批判から身を守れば傲慢だと非難され、敬意と優しさを示せば偽善者と非難されるのであれば、隠れ場所はない。しかし、シンパもアンチももはや関係ない。なぜなら2人の英雄は要求されていたカップを手にすることでシーズンを終えることができたからだ。

結果的に彼らが長年、示してきた優越性が象徴的に裏付けられた。ティエリ・アンリがしたようにアンチに「眠れ」とまでは言わないが、自分たちが所属するフィールドを偉大なものへと昇華させた天才たちを認める努力をすることは必要だ。なぜなら彼らこそ我々全ての人間をより良き方向に導くリーダーだからだ。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳●下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

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