『不適切にもほどがある!』は犬島渚の物語だった 時代の狭間で生きる人よ、“寛容”を胸に

宮藤官九郎が脚本を手がける連続ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)が最終回を迎えた。

本作は、昭和の体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)が令和にタイムスリップしたことで巻き起こる騒動を描いたコメディドラマ。

乱暴でいい加減だった昭和とコンプライアンスでがんじがらめの令和を対比することで、それぞれの社会を風刺し賛否を呼んだ本作。最終回では、市郎がテレビ局で働く孫娘の犬島渚(仲里依紗)を連れて、昭和に戻る姿が描かれた。

第9話で妊活中の後輩・杉山ひろ美(円井わん)から訴えられ、1カ月の謹慎を言い渡された渚は意気消沈する。そんな渚を心配した市郎は、一往復分の燃料しかないバス型のタイムマシンに乗り、昭和へと向かう。

令和から昭和に戻ってきた市郎は、かつては常識だと思っていた昭和の差別的な振る舞いに対して強い違和感を抱くようになる。

休日に女装していることが知られたことでPTAに糾弾されて辞めさせられた校長(赤堀雅秋)を犯罪者のように語る教師の安森(中島歩)に対しては「(女装は)個人の趣味だろ。誰にも迷惑かけてないのに寄ってたかって、大問題だぞ!」と反論し、飲み会の席でお酌を強要される女性教師の高杉舞(沢口舞華)に対して「そんなことしなくていいって! 女だからって若いからって、そんなポジションに甘んじなくていい、気持ち悪いヤツには気持ち悪いって言ってやれ!」と怒りをあらわにする。

そして、復帰した野球部ではケツバットはやめ、大谷翔平のことと思われる日本人メジャーリーガーの成功を生徒に語り「地獄のオガワ」から「仏のオガワ」に生まれ変わる。

「そこまで変わるのか?」と呆れる部分も多々あるが、当初から市郎は令和に行ってもスマートフォンに真っ先に興味を持ち、令和という時代にいち早く適応していた。

最終話のタイトルは「アップデートしなきゃダメですか?」だが、市郎は見事にアップデートしている。おそらく彼は平安時代に行っても戦国時代に行ってもすぐにその時代の価値観に順応できるだろう。では、このタイトルは誰の気持ちを代弁しているのだろうか?

市郎と入れ替わるように令和に戻った向坂サカエ(吉田羊)は、市郎と通話をしながら「スマホじゃないでしょ? 私たち。人間同士なんだから、片っぽがアップデートできてないとしても、もう片っぽが寛容になれば、まだまだ付き合えるでしょう!」と言う。その後、市郎が「寛容だよ、寛容が足りないんだよ!」と言った後「寛容になりましょう!」と歌うミュージカルパートが始まる。

この「寛容」という言葉は、本作がたどり着いた結論だと考えて間違いないだろう。

第1話で提示した「話し合いましょう」というメッセージは、一度過ちを犯した人間がいつまでも責め続けられる様子をSNSの炎上を通して描いた第8話と、渚が直接対話することなく杉山から訴えられてしまった第9話によって瓦解してしまい、令和という時代がいかに対話が困難になっているかを示す形となってしまった。そんな対話が難しい社会に、最後の拠り所として示されたのが「寛容」である。

この「寛容」という言葉は「諦めましょう」「我慢しましょう」と言っているようにも聞こえ、もはや「祈り」とすら言える。だが同時に「寛容」は強者にとって都合の良い言葉で、弱者は黙って「我慢しろ」と言っているようにも聞こえてしまう。

市郎が女性教師の高杉に言ったことや、歌の途中でサカエが言う「寛容と甘えは違います」といった台詞を考慮すると、弱者に対する我慢の強制ではないことは頭では理解できるのだが、歌の時点ではどこか違和感があった。だが、その後の渚と杉山の顛末を観て、作り手の意図が理解できた。

実の母親にあたる小川純子(河合優実)と再会した渚は、彼女から元気をもらい令和に戻る。謹慎が終わり職場に戻ると杉山はコンテンツライツ局コンテンツマネージメント部に異動となっていた。直接会って謝りたいと思っていた渚だが、フラッシュバックを起こす可能性があるので、会ってはいけないと釘を刺され「パワハラ上司が復職するらしい、吐き気がする」と書かれた杉山のSNSを見せられる。

その後、渚は杉山と偶然、エレベーターで再会。二人は恋人ができたと近況を語り、杉山は妊活をやめたと渚に言う。杉山は一礼をしてエレベーターを降りるが、パワハラの件には踏み込まなかったため、少しだけ苦い後味が残る。だが、ここで渚は笑顔で「寛容になりましょう♫」と口ずさむ。

このやりとりを見て「寛容」というメッセージは、アップデートした時代の変化に苦しむ渚のような中間管理職に向けて歌われたものだったのかと納得した。

多様な解釈ができる『不適切にもほどがある!』だが、筆者は渚の物語として本作を受け止めている。

古い価値観と新しい価値観の間で調整役を担う影の功労者は様々な場所に存在する。そんな時代の狭間で苦しみ格闘している渚のような人々を勇気づけるために『不適切にもほどがある!』は作られたのだ。

(文=成馬零一)

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