「優勝チームと肩を並べることができたと思う」元キングスのビビーが語るチームの黄金期「すべてが良かった」<DUNKSHOOT>

サクラメント・キングスは、昨季17年ぶりとなるプレーオフ進出を果たし、話題を呼んだ。2000年代前半はロサンゼルス・レイカーズやサンアントニオ・スパーズと並ぶウエスト屈指の強豪だったが、当時主力を務めていたマイク・ビビーが“黄金期”が終わったと感じた瞬間を明かしている。

1985年にカンザスシティからサクラメントへ移転したキングスが、その後初めて勝率5割を上回ったのは1998-99シーズンのこと。ロックアウトで50試合の短縮シーズンながら27勝23敗(勝率54.0%)でプレーオフにも出場したが、チームが好転した要因のひとつが万能ビッグマンのクリス・ウェバーの加入だった(初年度は平均20.0点、13.0リバウンド、4.1アシスト、2.1ブロックを記録)。

同シーズンにブラデ・ディバッツとペジャ・ストヤコビッチも加わり、98~2001年はジェイソン・ウィリアムズ、01年以降はビビーが司令塔を務め、彼らを中心にウエストを席捲していく。

2001-02シーズンにはフランチャイズ史上最高成績となる61勝21敗(勝率74.4%)でプレーオフの第1シードを獲得。カンファレンス決勝でのちに優勝するシャキール・オニール、コビー・ブライアント擁するレイカーズに敗れたものの、シリーズ3勝4敗と2連覇中の王者を最後まで苦しめた。翌02-03シーズンは第2シードを手にし、1回戦でユタ・ジャズを撃破するも、ダラス・マーベリックスとのカンファレンス準決勝でアクシデントに見舞われた。
先勝して迎えたシリーズ第2戦、追いかける展開が続いたなかでの第3クォーター終盤、ウェバーが相手ディフェンスの背後を取ってアリウープを狙ったが、ビビーのパスを受け取ろうと踏み込んだ際に左ヒザを痛め、そのままコートに倒れ込んだ。ウェバーは左ヒザ前十字靭帯損傷の大ケガで戦線離脱。エースを欠いたキングスは最終戦まで粘ったものの、最後は力尽きて3勝4敗で敗退を喫した。

ビビーはポッドキャスト『Forgotten Seasons』で、ウェバーからアリウープパスを要求されたことを振り返った。

「ウェブ(ウェバー)は私に、『マイク、スピンアウトしたらボールをくれ』と言ってきた。時計を見て、その瞬間はタイトなゲームだから、ボールを失いたくなかった。ただ、自分がダンクしなかったらボールを取りに行くと彼は言ったんだ。だから、『分かった』と答えた。

ウェブにボールを投げろと言われたからそうしたけど、正しい選択ではなかった。『くそっ!』と思ったよ。あんなことになるとは思わなかった。(シリーズで)あまりにも早すぎるアクシデントだった。ウェブに戻ってきてもらいたいという希望は、その後叶わなかった」 ウェバーは翌03-04シーズン、ケガの影響で開幕から58試合を欠場。その後、復帰こそしたが、レギュラーシーズンで平均18.7点、8.7リバウンド、プレーオフでもミネソタ・ティンバーウルブズとのカンファレンス準決勝で平均17.7点、7.6リバウンドと本来の輝きは戻らず、キングスはまたもファイナルには手が届かなかった。

ディバッツは04年のオフにレイカーズへ移籍し、ウェバーは04-05シーズン途中にフィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ストヤコビッチは05-06シーズン途中にインディアナ・ペイサーズ、ビビーは07-08シーズン途中にアトランタ・ホークスへトレードされ、チームは完全に解体。ビビーは、03年のプレーオフでウェバーがケガを負った時点で、キングスの黄金時代は終わったと感じたという。
それでも、「優勝チームと肩を並べることができたと思う。すべてが良かった。バスケットボールのあるべき姿だ。エゴがなかった」と、当時のキングスは選手たちが絶妙なハーモニーを奏で、魅力的なバスケットを展開していたと胸を張っていた。

構成●ダンクシュート編集部

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