「俺の人生はこれから」77歳・西岡徳馬が語る「ジジイにならない」未知の自分を引き出す術

西岡德馬 撮影/石渡史暁

1970年に劇団文学座に入り、数多くの舞台作品に出演したのち、本格的に映像の世界にも進出。1991年の『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)でその名を全国区とした俳優・西岡徳馬(※徳は旧字)。それ以降、舞台、テレビ、映画、さらにはバラエティ番組と幅広く活躍する彼の「THE CHANGE」に迫る。【第2回/全2回】

結局、役者に問われるのは想像力ですよ。経験も大事だとは思うけど、それだけじゃ、殺人者なんて演じられない。人を殺した経験なんてないんですから。だから、ひたすら想像する。

顔の表情だけじゃ、観客の心には届きません。思って、思って、内側から役を作っていく。どうして、そういう行動に出たのか。そのとき、何を思い浮かべたのか… …。

つまり、芝居をするということは、どんどん思い込み、ゾーンに入ることでもあるんです。そして、ゾーンに入るためにはリミッターを外してしまわないといけない。リミッターを外すことで、自分でさえ予期していなかったものが表現できるようになる。そうやって、未知の自分を引っ張り出すのが芝居の面白さだと俺は思います。

これは人生も同じでね。「西岡さん、若いですね」とよく言われるんだけど、それは自分で自分にリミッターを設けていないから。

俺の人生はこれから。この先、新たな挑戦をすれば、そこで自分でもワクワクするような化学反応が生まれるかもしれない。だから、ジジイじゃいられない。

30年以上も前、つかこうへいが俺のために書いてくれた舞台『幕末純情伝』では、赤のブラジャーとパンティ、女物の赤い網タイツをはいて、「ワシが土佐の坂本龍馬じゃ」とやっているからね。つかこうへいという天才が、俺のリミッターを外してくれたとも言えます。ちょうど、そのころ俺は、よく行く渋谷のバーのマスターに九州弁でハッパをかけられたんです。

宿命は動かせないけど、運命は自分で動かせる

「德馬ちゃん、役者はやっぱり全国区にならにゃいかんばい!」

これが頭にガツンと来てね。俺は自腹で『幕末純情伝』のチケットを買って、マスコミ関係者100人を招待した。その中に『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)の大多亮プロデューサーがいて、「鈴木保奈美を妊娠させてもおかしくない男性」ということで、俺をキャスティングしてくれた。これをきっかけに、テレビや映画の仕事は一気に増えました。

当時、40代半ばだから遅咲きです。これも宿命だと思う。でも宿命は動かせないけど、運命は自分で動かせる。俺はあのとき、自分で運命を動かしたと思っています。

振り返れば、俺に役者になることを決意させたのは、ある女性のひと言でした。オヤジは勉強がダメだった俺に、家業の印刷会社を継がせる気はなくてね。「ここへ行け」と、手渡されたのが東宝芸能学校のパンフレット。そこで教えていた、日本の舞台女優の第一号とも言われる村田嘉久子さんに言われたんです。

「あんた、いい役者になるわよ」

俺はこの言葉を信じたんだよね。それで玉川大学の演劇科に入り、卒業後は舞台の世界に飛び込んだ。舞台はやっぱりいいですよ。去年、宮本亞門演出の『画狂人 北斎』で最晩年の北斎を演じたんだけど、これがとにかく面白い。葛飾北斎という人物にも感銘を受けました。

北斎は70歳までの自分の絵は取るに足らんと言っていて、事実、『富岳百景』のような代表作は70代で描いてます。そして、86歳で腕はますます上達し、90歳で奥義を窮める。さらに100歳で神の域に達し、百数十歳で生きて動き出すような絵を描くんだと宣言していた。 つまり、人間は何歳になっても成長が可能だと北斎は言っている。

いま、この舞台をアメリカやヨーロッパで北斎の作品展と一緒に上演できないものかと考えています。北斎は90歳で亡くなったけど、生涯、絵を学び、描き続けました。俺も死ぬまで芝居を続けますよ。

西岡徳馬(にしおか・とくま)
1946年10月5日生まれ。横浜市出身。’70~79年に、劇団文学座に所属。退座後も、つかこうへい演出の舞台『幕末純情伝』、蜷川幸雄演出の『ハムレット』などで、その存在感を知らしめた。代表作として、映画『新・極道の妻たち』『椿三十郎』、ドラマ『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)、『過保護のカホコ』(日本テレビ系)、NHK大河ドラマ『風林火山』などがある。

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