【競泳】入江陵介独占告白 競泳界の現状と第二の人生「ファンがつく選手がどんどん出てほしい」

引退会見を行った入江陵介

元エースの胸中は? 2012年ロンドン五輪で銀を含む3個のメダルを獲得した競泳男子の入江陵介(34=イトマン東進)が3日、都内で引退会見を行い「長く競技生活を送ることができて、本当に心から幸せ」と振り返った。16歳から日の丸を背負い、人生の半分以上を日本代表で活動。日本競泳界の発展に大きく貢献した大黒柱が、第二の人生をスタートさせる。会見後には単独インタビューに応じ、自身の未来像から日本競泳界の現状まで、包み隠さずに思いを語った。

――引退会見を終えた心境は

入江 ホッとしている。いろんな方々の前で、きちんと引退の発表ができてうれしい。新たなスタートという気持ちです。

――大阪出身だが、普段の取材では関西弁が全く出ない

入江 ちょっと今後のキャラ用に置いとこうと思って。それはウソですけど(笑い)。もともと敬語だと関西弁が出にくいのもあるが、大学の時から東京で過ごすことが多かったので、自然と標準語になったけど、実家や大阪の子と話す時は関西弁です。

――小さいころの夢はアナウンサーだった

入江 当時はなぜそう思ったのかわからないが、小学校の時には「夢はアナウンサーです」と卒業式でも発表した。憧れていたというか、何かを人に伝えることが好きだったのかなと。それは今も変わってなくて、自分はスポーツを突き詰めてやってきたので、スポーツの良さなどを次は伝える立場として何かできたらいいなと思います。

――パリ五輪のリポーターに適任では

入江 オファーが来たらうれしい。来ないと決勝は日本時間の深夜なので、起きられるかなと(笑い)。できたらパリの地に行きたい思いはあるが、自分の意思と力だけでは無理なので、お声掛けいただけたら。でも、最終的には誰かに何かを伝えるというお仕事をしていきたいです。

――競泳界、スポーツ界を盛り上げたい思いがある

入江 米国を練習拠点にしていた時に感じたのが、日本よりもスポーツが身近にあること。家族でイベントや観戦に行ったりとか、テレビでポテトチップスを食べながら見るような文化が根付いている。日本でも例えば箱根駅伝はみんな正月に見るし、甲子園もそんな感じだと思う。風物詩というか、日本の中でも競泳もそうだが、他のスポーツも含めて、もっと日常の一つの文化として根付いてほしいですね。

――バラエティー番組でも競泳の魅力を発信したい

入江 バラエティーを見るのが本当に好き。自分にできるかはわからないけど、僕は「(世界の果てまで)イッテQ」(日本テレビ系)が一番好きな番組で毎週録画している。過酷な撮影シーンもあるけど、みんなが笑顔になっている番組で、僕も楽しませてもらっている。僕が出演者側で出られるかわからないけど、今まで競泳漬けだったので、いろんなことにチャレンジして、いろんな世界を見てみたいです。

――競泳の盛り上げには現役世代の活躍も重要だ

入江 やはり僕も含めて過去と比べるとレベルが落ちていると思うが、スポーツの世界に浮き沈みは絶対ある。この何年かはつらいかもしれないが、その先にグンと伸びる時期が必ず来る。もちろんメダルを取るとか取らないとかで、報道のされ方なども変わってくるので、実力をつけるのも大事だけど、プラスアルファで人として愛されることも必要だと思う。メダルを取っても愛されない選手もいるかもしれないし、人として成長して、人から愛されて、どんな結果でも応援される、ファンがつくような選手がどんどん出てほしいです。

――最後にパリ五輪の出場選手にエールを

入江 平均年齢が若いチームなので、みんなでいい経験をしてほしい。プレッシャーもある中でも、まずは決勝の舞台で泳いで、自己ベストを出すことを目指してほしい。その結果がメダルにつながればいいし、つながらなくても、次の五輪もあるので、次は絶対メダルを取る、金メダルを取るという強い思いを持って過ごしてほしいです。

☆いりえ・りょうすけ 1990年1月24日生まれ。大阪府出身。専門は背泳ぎ。2008年北京五輪の200メートルで5位入賞を果たすと、12年ロンドン五輪では100メートル銅、200メートル銀、男子400メートルメドレーリレーで銀メダル。16年リオデジャネイロ五輪、21年東京五輪にも出場した。世界選手権は09年ローマ大会で200メートル銀、11年上海大会で100メートル銅、200メートル銀、13年バルセロナ大会では400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得した。178センチ。

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