【達川光男連載#41】強打者ブーマーを打ち取った!あの時の水はうまかったなあ

1984年の日本シリーズを制したカープは旧広島市民球場でビールかけを行った

【達川光男 人生珍プレー好プレー(41)】 正捕手となって初めて臨んだ1984年の日本シリーズ。対戦相手の阪急打線には、そうそうたるメンバーがそろっていました。旧広島市民球場で行われた第1戦の前日練習で、記者席の脇からこっそりフリー打撃を見学した私の目に飛び込んできたのは、次から次へとピンポン玉のようにスタンドに放り込まれる打球でした。

同年に打率3割5分5厘、37本塁打、130打点で3冠王に輝いたブーマーはもちろん、簑田浩二さんや福本豊さん、松永浩美、捕手で新人王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)に選ばれた藤田浩雅が気持ち良さそうに打っている。バッテリーミーティング後に発せられた「打撃練習は絶対に見るな」との“お触れ”を守るべきだったのかもしれません。

カープにとって4年ぶりの頂上決戦は本拠地スタートで、阪急の攻撃から始まりました。先発マウンドに上がったのは、この年に自己最高の16勝を挙げた山根和夫。1番の福本さんを一ゴロ、2番弓岡敬二郎を中飛に打ち取る上々の立ち上がりでしたが、簑田さんには左前打されて二死一塁でブーマーを迎えました。

ここで柵越えでもされようものなら、いきなりシリーズの主導権を握られてしまう。さまざまな考えが頭の中を駆け巡りましたが、チョイスしたのは事前にスコアラーの宮本洋二郎さんから言われていた「ブーマーの弱点はインコースや。徹底して攻めろ」とのアドバイスでした。

事前のミーティングでは「フォークはワンバウンドでも振る」との報告もありましたが、仮に打たれても2戦目につながる。いわゆる「2戦目重視」というやつです。周到に調べてくれたスコアラーへのリスペクトもあって、私は3球連続でひざ元へのシュートを要求しました。結果はバットをへし折っての遊ゴロ。最高の滑り出しとなりました。

とはいえ、まだ日本シリーズは第1戦の1回表が終わっただけ。それなのに極度の緊張から私ののどはカラカラに乾ききっていました。ベンチへ戻ると真っ先に冷水器を抱え込み、ひたすら右手前のボタンを親指で押し続けました。このとき、むさぼるように飲んだ水の味は今でも忘れられません。世界中のどんな名水よりも「うまい」と感じたものです。

ブーマーには7試合で28打数6安打、3打点、0本塁打と仕事をさせませんでした。右手首を痛めて万全ではなかったようですが、第6戦前の移動日にはメディアの取材を拒否したり、志願で特打をしていたぐらいだから結果が出なくてナーバスになっていたのは確かです。

逆王手をかけられて臨んだ第7戦は中3日で先発した山根が153球の熱投で完投勝ち。最後の打者となった石嶺和彦を遊ゴロに打ち取ると、気がついたら山根に飛びついていました。

正捕手として初めてつかんだ日本一。あの日、試合終了から2時間後の夕暮れ時のグラウンドで行った歓喜のビールかけは、今でも鮮明に覚えています。

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