ゲームと映画の表現は近づいている? メディアを超えた“世界の構築”が新たなトレンドに

ここ数年、ゲームの映像化企画が目立つようになってきた。

ゲームの映像化企画は近年始まったわけではないが、大きな成功作は少なく散発的だった。だが、ここにきて映像産業の新たなトレンドを形成している。2023年の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』や、HBOのドラマ『THE LAST OF US』の大ヒットは記憶に新しい。今後も、『Fallout』の実写ドラマ『フォールアウト』がPrime Videoで配信され、任天堂からは『ゼルダの伝説』の映画化があり、『Ghost of Tsushima』や小島秀夫の『DEATH STRANDING』も映画化される。今後も続々と人気タイトルが映像化されることになるだろう。

ゲームは今や、市場規模としては映画を凌駕し、ビジュアルエンタメ産業の王者と言っていい存在だ。そして、その表現の質も大変に高くなっており、ビジュアルメディアとしての存在感は圧倒的に高く、売れる企画を求める映像産業がゲームに目をつけるのは当然だ。そして、ゲーム産業としても、映像作品を生み出す価値は高くなってきているようだ。その2つの産業の協業が何をもたらし、ビジュアルメディアの世界に何をもたらすのか。それはおそらく新しい価値を創出し、次代のエンタメを占う重要な何かであると思われる。

なぜ今、映像産業がゲームの映像化に向かうのか

今、ハリウッドがゲームの映像化に向かっているのは、端的に言うと次のトレンド探しの一環である。スーパーヒーロー疲れという言葉が最近よく言われるが(その用語はやや独り歩きしている状態だと感じるが)、2010年代を通して世界の映画市場を席巻したマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に代表されるスーパーヒーロー映画も、やや人気がピークアウトしたことは否めない。10年以上、映画産業を牽引しつづけたので、その時点で充分すごいが、さすがに一時の勢いを維持することは難しくなっているため、次の市場の牽引役を必要としているのが、今のハリウッドの状態だろう。オリジナル映画をヒットさせることは容易ではないため、映画会社は人気のIPを求める。次なる金脈の1つとして、ゲームの他、日本のマンガ作品なども候補になっている状態だと思われる。

映画会社にとって重要なのは、単発で終わらない企画だ。MCUのように長期的に稼げるIPを欲するのは当然のことで、壮大な世界を持つゲームタイトルはうってつけの題材と考えていることだろう。

一方で、ゲーム会社にとって映像化するメリットは何だろうか。

ゲームの開発費は年々上昇傾向にある。開発費だけで最大480億円、マーケティング費用も426億円というゲーム作品もあるとの報道が昨年あった(※1)が、これはジェームズ・キャメロン監督の『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の制作費すら超えている(※2)。マーケティング費用だけで、超大作ハリウッド映画1本分以上の額を投入している作品があるのだ。

これだけの莫大な予算を投入するとなると、絶対に失敗できない。映画を作れば、話題作りとして大きな効果はある上にIPの水平利用でゲームの売上とは別に利益を出すことも可能になる。

実際に、映像化によってゲームユーザーを増加させた成功例が出てきている。日本のアニメスタジオ、TRIGGERが制作した『サイバーパンク エッジランナーズ』は、原作となったゲーム『サイバーパンク2077』の同時接続数を一気に8倍まで引き揚げたと報じられている(※3)。『THE LAST OF US』もHBOドラマの影響で売り上げを飛躍的に伸ばしたと報じられているし(※4)、任天堂もアニメーション映画の影響で、マリオの新作ゲームが好調な売り上げを記録している。

似通い始める映像作品とゲームの表現
事業的な相乗効果があることがわかったが、ではゲームと映像、双方の表現にとって、このマリアージュは幸せなことなのかどうかも検討したい。

映像とゲームは動くビジュアル表現として重なりあう部分を持ちながら、決定的に異なる点がある。それは映像作品は、受動的な視聴体験を提供するのに対して、ゲームはインタラクティブにユーザーが操作して楽しむものだという点だ。同じビジュアルメディアでありながら、食い合いがよくなかった理由は、これに尽きるだろう。能動的にゲームをプレイする時の快感と、受動的に映像を見る体験は決定的に異なる。ゲームは一人ひとりに固有のプレイ体験があり、映像作品は誰がいつ見ても同じものであり、カットが切り替わるタイミングも芝居も音楽も、上映時間も変化しない一方、ゲームは誰もが固有のリズムで楽しむ。

とはいえ、両者は演出の面では接近し始めている。ゲーム内ムービーで映画的な演出を志向するゲームは増加しているし、映画のほうでも一人称視点のゲーム感覚や、オープンワールドを探索するかのような長回し映像を導入する作品が表れている。両者の表現が似通い始め、映画も没入体験を重視し、ゲームも時にプレイ体験のみならず、鑑賞としての面白さを提供することもある。映画でゲームのような没入体験を提供することも、ゲームで映画のような感動と興奮を与えることもできるようになってきたのだ。

ゲームと映像にまたがって世界観を構築する時代の到来?

映像作品とゲームの見せ方が似てきているなら、両者をまたいで一つの世界観を作り上げることも可能ではないか。MCUは複数の作品にまたがって統一した世界観を示し、その広大な世界で物語をひとつずつ切り出し、連結させていくことで「ユニバース」を構築した。この手法をゲームと映像にまたがって展開するとどうなるのか。

先に紹介した『サイバーパンク エッジランナーズ』は、ゲーム本編には名前だけが登場するキャラクター、デイビッド・マルティネスを主人公にしている。つまり、ゲームの世界にある、本編とは別の物語を描いた。これによってゲームユーザーにとっても新鮮かつ、世界観をより深く味わうことができた。

『THE LAST OF US』は概ねゲーム本編の物語を忠実になぞったが、時折脇役にスポットをあてたエピソードを挟むことで、ゲーム世界を深化させることに成功している。そうした世界観の共有化と掘り下げは、今後さらに丁寧になっていくのではないか。とりわけ、オープンワールド形式のゲームは、プレイヤーの数だけ物語があると言えるし、映像作品は、そんな数多ある物語の一つのように感じられるだろう。オープンワールドのプレイ動画を動画配信サイトにアップしている人は多いが、プロによる映像作品は、洗練されたプレイ動画のようなものと言えるかもしれない。

MCUのように広大な世界を構築し、ひとつの作品だけで完結させない物語のあり方を、批評家の渡邉大輔氏は「ワールドビルディング」と呼ばれると紹介している(※5)。ゲームと映像のカップリングはこれをさらに発展させたものと言える。世界の構築(ワールドビルディング)が、映像作品だけでなされるのではなく、ゲームと映像にまたがってなされるのだ。

ゲームユーザーは自らのプレイで世界の一員となる。そして、その世界にはさらにもっと色んな物語があることを、映像作品を通じて知る。それによって、ゲーム体験はさらに没入感とリアリティを増し、体験の質が向上していく。ゲームのインタラクティブ性と映像作品の物語性がこのような好循環を産む可能性がある。

それが本当に実現できるのであれば、ゲームの映像化は単なるメディアミックスに終わることなく、新たな形式の表現となるかもしれない。映像とゲームを等価に展開し、一つの世界を紡ぎ高度な物語と没入感を提供する、それはビジュアルメディアの未来を形成することになるのでは、と筆者は思う。

参照
※1. https://automaton-media.com/articles/newsjp/20230502-246098/
※2. https://collider.com/avatar-2-the-way-of-water-box-office-budget/
※3. https://www.gamespark.jp/article/2023/01/23/126383.html
※4. https://www.theverge.com/2023/2/13/23597863/hbo-the-last-of-us-tv-show-game-part-i-sales-npd-group
※5. https://realsound.jp/tech/2018/03/post-164358.html
(文=杉本穂高)

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