「遺産結構あるのよね?」余命わずかな父の遺産目当てに帰省した姉夫婦。一族を驚かせた“遺言書の内容”とは

明理はアクセルをべた踏みしたい衝動を抑えながら、車を走らせていた。

普段は怖くてあまり乗らない高速道路だが、制限速度が120キロということに今日だけはいら立ちを覚える。

「ねえ、お母さん。おじいちゃん大丈夫だよね?」

今年から高校生になった娘の麻央は、助手席から心配そうに聞いてきた。

「大丈夫よ。そんなに重くないらしいから」

明理は麻央と自分に言い聞かせるようにそう答えた。

父が倒れた、その一報が入ったのは昨日のことだった。明理の父、登司は3年前に母が死んで以来、ずっと広い邸宅で独り暮らしをしている。

明理も夫と離婚して、麻央と2人で暮らしているので、いつかは一緒に住もうと思っていたが、麻央の学校の関係などで、その思いはかなっていなかった。

明理は心の中で決断を先送りにしていたことを悔やむ。

登司が倒れたときは、たまたま近所の人が発見をしてくれたので事なきを得たが、もし誰にも見つけられていなかったら……、と思うと寒気がした。

入院がきっかけで3人で暮らすことに

病院に着き、急いで病室に入ると、登司はベッドでテレビを見ていた。

「おお、わざわざ悪いな」

柔和に笑う登司の頰の肉が力なく垂れ下がる。思ったほど悪くなく、すぐに回復をしたと医者が説明をしてくれた。

「いいのよ、全然気にしないで」

「おじいちゃん久しぶり」

麻央を見る登司の顔がまた柔らかくなる。

「麻央、元気かい?」

「うん、私は元気だよ」

麻央はとても登司に懐(なつ)いていた。登司もそんな麻央がたまらなくかわいいらしい。厳格な登司も孫の前では形無しだ。

「病院ね、明日にも退院できるらしいから」

「おお、そうか。そいつは良かった」

「それでね、私たちも一緒に生活をするから」

「え? 明理、仕事は?」

「取りあえず、たまっていた有休を全部使わせてもらった。それと麻央は夏休みだから」

それを聞いた登司は少しだけ眉根を下げた。

「それは悪いことをしたな」

「いいのよ。それにいつかは一緒に暮らそうって言ってたし。いい予行練習だわ」

そう言って明理は笑った。

しかしちゃんと笑えているのか自信がなかった。

在宅での緩和ケア

登司はがんを患っていた。何度も手術や放射線治療をしていたが、そのたびに転移をして、登司の体をむしばみ続けている。今回、倒れたのもがんが原因だった。

しかしそれほどまでに体が悪いのにすぐに退院できるということは、もう病院では打つ手がないということ。後は痛みなどを緩和する治療に切り替え、自宅で最期の時を待つのみとなっていた。そしてそのことを登司が1番、よく分かっていた。

退院をして、すぐに明理は登司をベッドに寝かす。麻央もそれを手伝ってくれた。

自分のベッドで横になり、一息ついた登司は2人の顔を見る。

「そんな顔をするな。私はとても幸せだったよ。お前と麻央がいてくれる。最高の人生だ」

「ちょっと、止めてよ」

「お前たちにもそれなりの資産を残せるし、思い残すことはないさ」

「気弱にならないで。まだお父さんには元気でいてもらわないと困るんだから」

登司は天井を見上げた。

「ああ。でもな、母さんに会いたくなってな」

「……今から行ったら、お母さんに怒られるわよ」

明理は涙がこぼれそうになるのをごまかすため、部屋を出た。そして大きく息を吐き出す。

しっかりしなきゃ。私がお父さんを守るんだ。

そう決意を固めて、携帯を耳に当てた。

強欲な姉夫婦

姉の由佳理は最初嫌がってはいたものの、登司がもう長くないと電話で聞くと重い腰を上げ、夫の哲也を連れてやってきた。哲也について明理はあまり詳しく知らない。ただ良くないうわさがあるということだけは事実だ。

「久しぶりね」

「あ、うん。お父さんのこと見舞ってあげて。部屋にいるから」

「嫌よ。面倒くさい。死にそうな人って他人から生気を吸い取るらしいから。私、そんなの嫌だもの」

そう言うと由佳理はずかずかと家に入っていく。由佳理の背中を見て、明理はため息をついた。

由佳理の家はここから近いのだが、登司との不仲が理由でこの家に近づこうとはしない。父親が倒れても病院に顔を出すこともないところから、その溝の深さがうかがえる。

「ねえ、お茶出して。あっつい中来たんだからさ~」

「う、うん。ちょっと待ってて」

台所から麦茶をリビングに座る2人のところに持って行くと、2人は断りもなくタバコに火をつけ、父が昔使っていた灰皿にタバコの灰を捨てていた。

昔から変わってない。由佳理はずっとこんな調子だ。そしてこれからも変わることはないのだろう。

明理は麻央に父の部屋から出ないようにと連絡をする。この2人に麻央を会わせるのが嫌だった。そしてリビングで2人に登司の状況を説明する。

「ふ~ん、そうなんだ」

由佳理は興味がなさそうにつぶやいた。

「ね、ねえ、お父さんのことなんだから、もうちょっと真剣に聞いてよ」

「あの人がどうなろうと興味ないわよ。だって私はやる事なす事、反対されてきたんだから」

由佳理と登司の仲は確かに良くなかったが、決定的に溝が生まれたのは哲也との結婚だ。

哲也との結婚に登司は大反対した。そのとき哲也はまともに仕事もせず、パチンコやスロットをやっていたらしい。そして今もきっと同じような暮らしをしているのだろうと明理は思う。

「ねえ、お父さんって遺産結構あるのよね? この家も売れば良い値段するんでしょ?」

由佳理がそわそわしながら聞いてきた。その質問に明理はげんなりする。

登司は昔では珍しく若いときから投資をやっていて、それなりの資産を形成していた。期待する気持ちは分かる。とはいえ、無粋すぎる。

「そんな話やめてよ」

まるで由佳理は父の死を願っているように聞こえた。

リビングのドアがすっと開くと、そこには麻央に支えられた登司の姿があった。

父を見て、由佳理たちはばつが悪そうに目をそらす。

「お父さん、どうしたの?」

「遺産がどうのという話をしていたな」

「ああ、それは忘れて」

明理は慌てて、訂正する。麻央は父をいつも座っていた座椅子に座らせた。

「いや、そういうのはしっかりと話さないといけないだろう。麻央、棚に白い封筒があるから取ってくれ」

言われるがままに麻央は封筒を見つけ、登司に渡した。

「これは、遺言書だ。今からその中身を読んで聞かせる」

登司がそう言うと、由佳理たちは身を乗り出した。

「えっ⁉ ほんと⁉ 読んで、読んで」

登司は震える手で封筒を開く。

「遺産分配については、孫娘の麻央に半分を相続させる。そして残りの半分を由佳理と明理の2人に均等に相続させるものとする」

登司が読み終わったとき、その場にいた全員が驚愕(きょうがく)の表情をしていた。

●強欲な姉は、姪の麻央より遺産の額が少ないことに納得するのだろうか? 後編【「遺産の半分は孫に」遺留分が納得できず父の遺言書を燃やしてしまった姉への“天罰”とは?にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。 マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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