野方駅から徒歩3分ほど歩くと見えてくる異質な場所。個性的な店舗が軒を連ねる野方文化マーケットは、アングラ感満載な令和に取り残された闇市のような雰囲気を醸し出す。そんな令和の闇市を奥へ進むと見えてくるのが、ニュースクランチ編集部がインタビューをしたヒグチサトル氏が店主の古着屋「吊り橋ピュン」だ。
ヒグチ氏の琴線に触れた、90年代のTシャツやタレント雑貨、美少女ゲームやエロ劇画のノベルティTなどが所狭しと並ぶ、他の古着屋とは一線を画す佇まいはカルチャー好きにはたまらないオーラを放っている。今回はそんな吊り橋ピュンを舞台に、ヒグチ氏に“好きなことを仕事にした”話をたっぷりと聞かせてもらった。
▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <古着屋「吊り橋ピュン」店主・ヒグチサトル>
『エヴァ』が精神安定剤になっていた少年時代
――店内を見渡すと、雑多にさまざまなカルチャーが混在していますが、ヒグチさんはどのような少年だったのでしょうか?
ヒグチ:あまり記憶が残ってないんですけど、いじめられていた印象が強いかもしれません。当時はバラックのようなところに住んでいたこともあり、遠足のときにウチの前をバスが通って、すげえ汚い家があるもんだから「あの家! 汚ねえ!」みたいな(笑)。その言葉を聞いて悲しくなっていましたね。
――当時からカルチャー好きの少年だったんですか?
ヒグチ:僕には引きこもりの時期があったんですが、当時リアルタイムでやっていたのが『新世紀エヴァンゲリオン』だったんです。やることもないので、アニメを見たり、エヴァンゲリオンの絵を模写して遊んだり、ラジオや本を読んだり、そんなことばかりしていましたね。だから、カルチャーが友達のような感覚でした。
――ある種、カルチャーの存在が精神安定剤になっていた。
ヒグチ:そうかもしれません。
――ハマっていたものはありますか?
ヒグチ:音楽から派生していくことになるんですが、当時、千葉テレビで夕方に音楽のMVを垂れ流す番組があって。そこからBUCK-TICKの『唄』という曲が流れてきたんです。MVでは今井寿さんというギターの方が、NIRVANAのカート・コバーンの格好をして、ボロボロのデニムにネルシャツにコンバース。それがめちゃくちゃカッコよく見えたんですよ。
すぐにイトーヨーカドーに行ってコンバースを買ったのが、自分のファッションの目覚めですね。そこから、THE MAD CAPSULE MARKETSというバンドにめっちゃハマって。音楽やファッションとかに興味を持ち始めました。
▲ヒグチさんが魅了されたTHE MAD CAPSULE MARKETS
――カルチャー少年だったヒグチさんの夢はなんだったんですか?
ヒグチ:特に何も考えてなかったですけど、絵が少し描けたので、漫画家になれたらいいなって。でも、ストーリーを考えることが全然できなくて、早々に挫折しました(笑)。高校も中退しちゃって、ブラブラしていたんですが、当時、友人の親が工務店をやっていたので、そこで働かせてもらうことになるんです。
稼いだお金は、服や趣味にガンガン使う感じで、その頃に得た知識が役立っているんですよ。だから、将来の夢でいうと、“楽して生きたい”というのが夢だったのかな(笑)。
――(笑)。でも、人類にとって究極な夢だったりしますよね。好きに生きていたヒグチさんは、そこからどんなお仕事をされたんですか?
ヒグチ:実家が食堂をやっていたので、それからは実家を手伝おうと思って働いていました。ただ途中でアイドルにハマってしまって……(笑)。アイドルって土日にライブをたくさんしているんですよ! でも、食堂は火曜定休。40年くらい続いた店だったんですけど、アイドルのライブに行きたいと思ってお店を畳んで、土日が休みの仕事に転職しました。
――あははははは!(笑) オタ活のためにですか?
ヒグチ:はい(笑)。SNSを見ていると、行きたすぎて気が変になりそうで。こんな思いをするなら、土日休みの仕事についてオタクやりたいなと…(笑)。
――ちなみに、どのアイドルを推していたんですか?
ヒグチ:BELLRING少女ハートですね。
――ご家族からは反対の声があがったのでは?
ヒグチ:いや、それが全く。そろそろお店を畳んでもいいかな、という空気もあったんですよ。だから、タイミングも良かったんです。
オタ活での出会いが仕事につながった
――待望のオタク活動はいかがでしたか?
ヒグチ:いま思えば、それが転機になっているのかもしれないですね。やっぱり、いろんな出会いがあるんですよ。いろんな職業の人が集まってくるので、今まで関わってこなかった人と触れ合って、いろんな話をすることができたんです。世の中は広いですね。
そんなときに出会ったのが、中野ブロードウェイにお店を構える「中野ロープウェイ」の伊藤さん。彼とは一緒にバンドをやったり、サウナに行ったりと仲良くさせてもらっていたんです。あるとき、サウナで「人生一度きりだから好きなことをやったほうがいいよ」と言われ、その言葉を間に受けてしまったわけです。
――中野ロープウェイの伊藤さんとの出会いが大きな転機だった。
ヒグチ:考え方を180度変えられました、“そういう感じでいいんだ!”って。ポジティブなのかネガティブなのか、うまく言葉にはできないんですけど、伊藤さんの考え方ってすごいんです。良い意味でイカれてる(笑)。それにめちゃくちゃ影響されちゃいました。
「お前は服に詳しいから古着屋をやればいいんだよ」と言われて、“そっか!”って。すぐに「今、タイは古着がめちゃくちゃ安いから」って、伊藤さんと一緒に買い付けに行ったんです。そしたら、全然安くなくて(笑)、安かったのは5〜6年前くらいの話だったんですよ……。
――そこで気持ちが揺らいだりは?
ヒグチ:話が違うなと思ったけど、古着屋をやる心づもりでしたから(笑)。タイに行ってみて思ったのは、おもしろい服や雑貨がたくさんあって、そこに古着を合わせたらおもしろいかなと。そこから本格的に始動していきました。
――吊り橋ピュンのコンセプトは、タイに行ってから生まれたものなんですか?
ヒグチ:うーん、最初はもっと小物雑貨系のグッズもあったんですけど、途中からタレントもののアイテムに特化し始めた感じですかね。そういうアイテムがウケ始めたこともあって強化していきました。
▲店内に所狭しと並ぶアイテムは圧巻だ!
海外での買付けはボディランゲージでOK
――最初はどのようなお店を展開されようと思っていたんですか?
ヒグチ:バンドTシャツ、バンドものを多く展開していこうかなという感じだったんですけど、影響されやすい性分でもあるので、他のお店の人と友達になったりすると、“こういうのもいいな”と思い始めたり(笑)。そういった感じで微妙に変化していきました。
――それで唯一無二のお店になっているんですね。ここまでタレントもののブート品だったり、懐かしいアニメのグッズを売っているお店って少ないと思います。
ヒグチ:たしかに、こういうアイテムって最近は高騰してきてますよね。ただ、自分があまり他のお店に行ったりしないからなんとも言えないんですが、自分の好きなものを集めたらこうなってしまったという節もあるんです。好きなカルチャーを集めたらこうなった。
▲ヒグチさんの“好き”に埋め尽くされた「吊り橋ピュン」
――買い付けの仕方は実践から学ばれていったんですか?
ヒグチ:僕は英語もタイ語も話せないので、ほとんど伊藤さんに任せきりなんですけど……。でも、値段交渉などは電卓を叩いて「OK?」「サンキュー」みたいな、意外とボディランゲージでいけますよ。ノリと勢いでやっている感じです。これまでこういう仕事をしたことがなかったし、ノウハウも全くなく、本当によくわからん感じでやってます。
昭和レトロブームが追い風になってくれた
――吊り橋ピュンを始めたのは、いつ頃から?
ヒグチ:2020年の4月にオープンしました。だから、ほぼコロナ禍でのスタート。すぐ終息するだろうと思っていましたが、蓋を開けたら数年続いてしまって。だから、すぐにタイには買い付けに行けなくなったんです。なので、自分の私物のヴィンテージバンドTシャツやタレントものでなんとかする感じ。日本でも仕入れ先を見つけたりしました。
――大変な状況が続いたと思いますが、そこからお店の認知度はどのように上がっていったんですか?
ヒグチ:最初の頃は全然ですよ。友達がぷらっと来てくれたり、酔っ払いの人が覗いてくれたり。1年目は365日オープンしてて、深夜12時くらいまでやっていたんですよ。この辺りは飲み屋も多いので、酔っ払った人が入ってくるので、そういう人に売りつけたり(笑)。そういう感じでなんとかやっていました。
――ちなみに、なぜ野方を選んだのでしょう?
ヒグチ:野方は内見に来たときに初めて降りた駅なんですよ。ネットで物件を調べていたら、やたら安い場所があって。建物もボロいし、インパクトのあるお店も多いし、すげえところだなと思いました。
街を散策していると、60歳くらいのおっちゃんが「人間はクソして死ぬだけだ!」と叫んでいて。そのおっちゃんに「そんなことないですよ!」と話しかけたら、「兄ちゃんいいね!」ってマトンカレーを奢ってくれたんですよ。おもしろい街だなと思ってココに決めました。
――すごいエピソードですね(笑)。
ヒグチ:のちのち、そのおっちゃんについて知り合いに聞いていたら“野方のジョーカー”と呼ばれる迷惑おじさんだったみたいです(笑)。
――そこからお店の認知度が上がっていくキッカケはあったんですか?
ヒグチ:動画メディアのMcGuffinに出演したことが大きいですね。公開された次の日から人が来まくって、あれには驚きました。商品がごっそりなくなって、怖くなっちゃいました。あとは、昭和レトロブームが到来したのも大きいかもしれないですね。たまたま時代の流れにフィットしたのかなと思います。
〇【野方のサブカルチャーに特化した古着屋 / 吊り橋ピュン】ヴィンテージからブート、昭和平成のアイドルやタレント、企業モノ マニアックなセレクトで異彩を放つ穴場的お店
――思い入れのあるアイテムも多数あると思いますが、印象に残っているアイテムを教えてください。
ヒグチ:個人的に気に入ったものとかはたくさんあるんですけど、例えば、いしだ壱成さんがタイ航空のCMに出てたときの、背中に”タイラヴユー“と書いてあるTシャツはデザインがめちゃくちゃ良くて! トゥクトゥクの後ろにいしだ壱成さんが乗っているプリントだったんですけど、それは売れてほしくなかったですね(笑)。
あとは、布袋寅泰さんがピエロの格好をしているTシャツ。SPACE COWBOY TOURのTシャツだったんですが、それもめちゃくちゃカッコよくて。売れてほしくなくて値段を高めにつけていたんですけど、売れてしまい有難いけど寂しい気持ちでした。
――その感覚ってなんだか不思議ですね。本当なら売れたほうが利益になるはずなのに。
ヒグチ:そうですよね(笑)。変だと思うんですけど、不思議な感覚というか。売れてほしくないな、というアイテムはちょっと高めに値を付けてしまっていると思います。自分で買い付けしてきて、商品写真を撮ったりして、なんだか所有した感覚になっているのかもしれないですね。
――吊り橋ピュンを開業されて印象的な思い出はありますか?
ヒグチ:忘れやすい性分ですからね……。定期的にイベントとかもやっているんですけど、うちの店の前でアイドルの子が歌ったりとか(笑)。まあ、そういうのをやっちゃいけない場所ではあるので、騒音の注意に警察とかもよく来ちゃったり(笑)。
でも、有名な方もよく来てくれたりするんですよね。自分がそういうのに疎いから、あとか友人に教えてもらったりして気づくことが多いんですけど、先日は有名なラッパーの方がご来店してくれましたね。あとは、俳優さんもちらほらと。
――最後に、好きなことを仕事にするとはヒグチさんにとってどんなことですか?
ヒグチ:好きなものに囲まれて仕事してますが、これまで自分が好きで得た知識が本当に役に立っているんですよ。だから、人生に無駄なことはないんじゃないかなと。当時の自分を支えてくれていた服や漫画やテレビの知識が役立っているので、不思議な感覚。だから、本当に無駄なことはないんですよね。
(取材:笹谷 淳介)