『PUI PUI モルカー』『ウサビッチ』『ハピツリ』など “残酷アニメ”が持つ中毒性とは?

キャラクターがかわいらしいアニメだからといって、子供が観て喜ぶとは限らない。むしろ子供には見せられない残虐で残忍で残酷な展開が繰り広げられては、大人がそれを見て喜んでいるアニメが幾つもある。どうしてそんな“残酷アニメ”が存在するのか。観る人がそこから得るのは危ない快楽だけなのだろうか?

雪の斜面を巨大な氷が滑っていく。氷は斜面に寝そべっていたキャラを踏み潰し、引きちぎっては内臓を雪の上にぶちまけさせ、別のキャラが横たわっているハンモックに接触しては、キャラをハンモックで絞って血を流させる。ひたすらにグロテスクな展開だが、それがかわいらしいキャラたちによって繰り広げられることで、実際に内臓がぶちまけられたり、血がまき散らされたりする場面を目の当たりにするのとは違った感覚が浮かんでくる。

実写だったらひたすらに気持ち悪さが浮かぶものが、かわいらしいキャラによるアニメーションで描かれることで、面白みを感じさせるものに変わるのだ。このシチュエーションが描かれた『ハッピーツリーフレンズ』(略称『ハピツリ』)というアニメが1999年にアメリカで誕生して以来、いくつものシーズンが作られ、今も新作の制作に向けた有償メンバー獲得の動きがあるくらい愛され続けているのは、そうした快楽を求める人たちが大勢いるからだろう。

2023年9月に発表された最新作「Too Much Scream Time」にも、矢で串刺しにされたり頭の中に棒を通されたり、落ちてきたシャッターによって体をスライスされたりするキャラが登場して、残酷な事態が連続することへの笑いを誘う。そうした事態が起こった原因に、親が目を離した好きに子供が残酷な内容の映像を見て、真似をしようとしたことがある点が、何かを子供に見せるのなら注意が必要だということを、暗に示唆しているのかもしれない。それが、子供に観せてはいけないアニメの筆頭に来る『ハッピーツリーフレンズ』というのも皮肉が効いている。

子供には観せるな。しかし大人は観せろ。分別がつく大人なら、真似をして実際に街中で矢を放つような悪さはしないだろうというコンセンサスが取れていることが、アメリカでこうした“残酷アニメ”が幾つも作られ続け、放送され続けていることの前提にある。1997年にスタートして、今も続いている『サウスパーク』もそうしたカテゴリーのアニメ作品で、丸い顔に大きな目のついた子供のキャラクターが登場しながら、強烈な社会風刺が描かれる。

バーチャルリアリティが流行ればその結果として起こりえる現実世界と仮想世界の混同を描き、トランスジェンダーの存在をめぐって起こるさまざまな反発も取り上げてアニメの中で描いてのける。事件になったり社会問題化したりした場合、大勢が傷つく可能性のある事態をアニメの中でかわいいキャラを使い、コミカルだったりグロテスクだったりする表現を相殺しながら描く。そうすることで、見た人は笑いつつそうした課題の存在に気づけるのだ。

●日本にも『ウサビッチ』『マイリトルゴート』などの”残酷アニメ”たちが……

中には、『ビーバス・アンド・バットヘッド』のように、ガラの悪い少年たちのキャラが登場して,暴力的なやりとりを繰り広げるアニメもあるが、そもそもアニメは子供が観るものだといった意識が強いアメリカで、アニメを表現に使っていること自体が入り口を引き下げている。そこに惹かれて観た人が、オーバーでグロテスクな展開に笑いつつ、込められたある主のメッセージに気づくことになる。『サウスパーク』もしかり。だからアメリカでは、カテゴリーとしての“残酷アニメ”が今も存在し続けているのだろう。

日本ではどうか。もとよりバトルシーンがふんだんにあって、セクシャルな表現も普通に描かれる日本のアニメ環境で、『ハッピーツリーフレンズ』や『ビーバス・アンド・バットヘッド』のような風刺性を持った作品を、敢えて作る意味は薄い。それでも、アニメファンと呼ばれる人たちとは違った層が観て、苦笑いするようなアニメ作品はしっかりと作られている。その代表格が、富岡聡と宮崎あぐりの原作で、富岡が監督を務める『ウサビッチ』だ。

間延びした顔立ちのウサギのキャラが、監獄を舞台に大暴れする内容は、キャラの名前がプーチンでありキレネンコといった隣国の重鎮を感じさせるものになっていて、なおかつ隣国の問題として取り沙汰される監獄の悲惨さを連想させることもあって、一種のギャグとして見る人を楽しませる。

この『ウサビッチ』が、エンターテインメントとしては受け入れられても、文化的には嫌われているかというとこれが違う。2006年には文化庁メディア芸術祭短編アニメーション部門に入選し、2007年には国際的なアニメーション映画祭としてアヌシー、ザグレブと並ぶオタワ国際アニメーション映画祭の成人向けTVアニメーション部門に入選を果たした。

アート系の作品が多く集まるアニメの映画祭では、メッセージ性を持っていることが逆に評価されるところがある。出品される作品も、商業向けとは違って表現の面でもストーリーの面でも、残酷だったりグロテスクだったりすることが少なくない。一例が、『PUI PUI モルカー』でお茶の間の人気をさらった見里朝希監督が、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻の修了作品として制作した『マイリトルゴート』だ。

モルカーと同様にフェルトで作られたヤギの子供たちの人形がコマ撮りで動くストップモーション・アニメーションで、キャラクターは最初のうち、フワフワとして愛らしい造形となっている。これが途中から、狼に食われたところで腹を割いて取り出されたことで、皮膚が爛れ顔立ちも崩れた造形に変わる。なおかつストーリー展開も、そうしたヤギの子供たちに父親から虐待を受けていた人間の子供が混ざり、追いかけてきた父親と対決する展開となっていく。虐待という社会的な問題を寓話的なストーリーの中で人形アニメによって描くことによって、普遍的な問題として世間には伝わるようになる。

『マイリトルゴート』は、カナダのファンタジア国際映画祭2019で観客賞や短編アニメ部門の銀賞を獲得し、国内でも第14回吉祥寺アニメーション映画祭でグランプリを受賞するなど国内外で評価を受けた。一見敷居が低い表現を通して何かを伝えることができるアニメの特性は、大ヒットした『PUI PUI モルカー』にも活かされていて、ゴミを捨てる者や悪いことをする者に罰が下る展開で、見る人の溜飲を下げている。

絵でも物でも何かを動かすことによって仮想の世界を作り上げ、そこを舞台に物語を繰り広げることで、現実とも実写のドラマとも違った伝え方ができる。そうしたアニメの効用を活かした“残酷アニメ”は、これからもいろいろと登場してくるだろう。
(文=タニグチリウイチ)

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