栄区在住鈴木さん たい焼きで被災地支援 能登で500枚無償提供 横浜市港南区・横浜市栄区

「本格手作りたいやき」ののぼりを持つ鈴木さん

元日の地震をテレビのニュースで見た時から行こうと思っていた--。

栄区小菅ヶ谷在住の鈴木幸一さん(76)は自ら運転する愛車の「日産キャラバン」で50回以上大規模地震の影響を受けた被災地へ行き、手作りたい焼きを無料で配布してきた。「温かいたい焼きを食べて欲しい」。能登半島地震後、ボランティアの受け入れが整ったタイミングを見計らい石川県へ向かった。

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能登半島は初めての訪問で道路の被害も大きく厳冬期のため、「迷惑が掛からないように」と鈴木さんは単独活動を選択。愛車に材料となる牛乳、卵、ホットケーキミックス、あんこを積んで2月21日、地元を出発した。八王子インターチェンジ(IC)から中央道に入り、北陸道、能越道経由で氷見ICを目指す。片道400キロ以上を約1日かけて、震度7を観測した集合拠点場所の石川県志賀町立富来小学校を訪問。同小学校は地震被害にあい、近くの富来中学校に移管されていた。そこで、避難所の支援活動に従事する危機管理教育研究所スタッフらと同中学校でたい焼きを用意することに。

小中両校の児童・生徒、教諭らの分併せて200人以上のリクエストに、250枚を約4時間で焼き上げた。滞在中に生徒らは明るい笑顔を見せてくれた。しかし「一人ひとり家庭に戻れば、被災地特有の先行きの見通せない不安で不便な生活が待っていると思うと、心が痛んだ」と鈴木さんは吐露する。「道の駅」で車中泊後、23日は珠洲市三崎中学校避難所を訪問。日本サッカー協会メンバーで元日本代表選手の永島昭浩さんらとたい焼きの奉仕活動を行った。ここでも250枚を無償で提供。

2カ所の訪問で500枚を焼き上げた鈴木さんは「充実感に満ちて、夜の高速道路を横浜に向かうことができた」と胸をなでおろす。

「普通のことをやっている」

栄区、戸塚区などで活動するボーイスカウト横浜第96団にかかわり約40年。災害支援活動のスタートは1991年の長崎県雲仙普賢岳噴火災害発生後に現地を訪れた時だ。その後、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震などでもボランティアとして活動してきた。手作りたい焼きを振る舞う活動を、本格化させたのは東日本大震災以降。「スカウトの理念に『いつも他の人々をたすけます』という言葉があり、自分にとって被災地に行くのは普通のことをやっている感覚」と鈴木さん。

東日本大震災では台所も家族も車も流された多くの人に温かいたい焼きを提供してきた。今回の能登半島で3・11以降の被災地訪問は51回となりたい焼きの枚数は3万2300枚となった。「被災地の人の厳しさに比べたら…」。体が動く限り今後も被災地で笑顔のたい焼きを提供する。

永島さんと一緒に活動=鈴木さん提供

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