直木賞受賞作、河﨑秋子さんの『ともぐい』。「新たなる熊文学」と話題になったその内容とは?

第170回直木賞に選ばれた『ともぐい』。舞台は明治後期の北海道東部。人との交わりを避けて生きる男・熊爪(くまづめ)の、命と命がぶつかり合う闘いを描いた本作品について、作者の河﨑秋子さんにお話を伺いました。

『ともぐい』
河﨑秋子著

明治後期、人里離れた山で犬を相棒に狩猟をして生きる男・熊爪。ある日、血痕をたどった先で熊に襲われた男を見つけるが……。人と獣の業と悲哀を織り交ぜた骨太の物語。
1925円 新潮社

「新たなる熊文学」? 人間の中の野性を知る

第170回直木賞に河﨑秋子さんの『ともぐい』が決まったとたん、ネットニュースに「新たな熊文学」という耳慣れないワードが飛び交った。熊文学? そんなジャンルがあったのか。確かに本書では、熊爪(これが主人公の名前なのだ)が熊と闘うシーンが大迫力で描かれる。あたかも至近カメラで映し出されるような緊迫感、熊の生臭い息遣いまで感じられるリアリティ、ページをめくる手が震えてしまう。だからインタビューの冒頭で、つい聞いてしまった。「ご自身の経験をもとに書いているのですか?」と。

「いいえ、残念ながら私はハンターの経験も、熊と闘った経験もありませんよ(笑)」

あ、やはりそうですよね。

「熊は200メートル先に見かけたことがあるくらいです」

いや、それでも十分怖い。

「ただ、私は酪農の家に育っているので、もし牛が敵意をもって襲ってきたらどうなるかはわかります。そこに北海道開拓期の郷土史や、猟師の体験談などを織り交ぜて、明治期の猟師の物語を作りました」

主人公の熊爪は、現代の感覚では理解しがたいほど野性的な「ザ・男」。人とコミュニケーションをとろうとせず、常に孤独だ。

「当時でも猟師たちは村で生活し、集団で狩りをしていました。でも熊爪は違います。帰属意識をもたず、文化も信仰もなく、周囲への気遣いも配慮もない。人との関わりはめんどう。熊爪を描くときには、人間らしい感情表現や、コミュニケーションとしての言葉をそぎ落とすことを意識しました。そこに人間の極限的な部分が見えてくるのではないか、と。描いているうちに、私にもそういう側面があると気づきましたし、読者の方も自分の中の『動物』の部分を発見するかもしれません」

熊と人間の物語の中で人間の本質を深掘りしたい

熊爪は野生動物を狩り、肉にしてふもとの町で売る。得たお金で米と銃弾を買い、再び山に戻る。ともに暮らすのは犬1匹。かわいがるでもなく、心許すでもない。しかし、犬と歩く山の情景は常に美しい。春の芽吹き、夏の草木の生命力、秋の恵み、雪の白と空の青。その色が、香りが、空気が、音が、河㟢さんの筆致から鮮やかに浮かび上がる。

一方で、登場する人間たちはどこか怪しげな空気をまとう。熊爪を支える良輔は、ただの善人には見えない。謎めいた盲目の少女・陽子はとらえどころがない。熊爪に命を救われた太一は自己中心的。そして熊爪は、そのすべてがどうでもいい。しかし物語の中盤、熊との闘いで怪我を負った熊爪は、人のぬくもりを求め始める。

「単純に、熊爪が熊と闘って死ぬまでの物語として成立させることはできたと思うし、それはそれで深みのある物語になったと思います。でも私はだいぶひねくれているので、さらに深く『人間』を掘り下げた物語を構築したいと考えました」

物語の後半、山のボスである熊「赤毛」との激しい死闘、そしてもう一つの「闘い」が読み手の心を震わせる。これはもしかして恋愛小説?

「そう受け取っていただいてもかまいません。いろんな意味で『ともぐい』の物語なんです」

熊の「赤毛」と相棒の犬は圧倒的な人気キャラ

大学時代は文芸サークルに所属し、小説を書いていた。しかし、「自分の小説はつまらない」と感じ、卒業後はニュージーランドで綿羊の飼育技術を学んで地元に戻り、羊飼いとなる。4年前に羊飼いを卒業し専業作家となるが、北海道での生活は継続中だ。

休日にはソロキャンプで肉を焼き、自宅ではV‌R(バーチャルリアリティ)ゴーグルを使ったゲームで飛んでくるモノをぶったぎる。東京に来ると「人間の密度が高すぎて、調子が狂う」と、熊爪のようなことを言う。熊爪のキャラクターはご自身の投影でもあるのだろうか?

「それはないですね。わかり合える部分もありますが、ほとんど理解できず『このヤロー』って思うことも多かったです」

雑誌「ゆうゆう」編集部では、熊の「赤毛」がかっこいいと人気だ。

「やはりそうですか。赤毛と犬が人気を二分している感じで、人間はあまり評判よくないです(笑)」

令和の時代を生きる読者は、本書をどう楽しめばいいのだろう。

「まったくの異世界に飛び込んで、未知の世界に触れる楽しさを味わってほしい。マイナス20度の森での狩猟を、バーチャル体験してみてください。あ、冒頭で熊爪が解体した鹿の肝臓を生で食べる場面がありますが、肝炎を起こす可能性があるので絶対にまねしないでくださいね」

たぶん、絶対にまねできません。

写真提供/新潮社

PROFILE
河﨑秋子

かわさき・あきこ●1979年北海道生まれ。大学卒業後は実家で酪農を手伝いながら綿羊の飼育と出荷を担う。
2014年『颶風の王』で三浦綾子文学賞受賞、19年『肉弾』で大藪春彦賞受賞、20年『土に贖う』で新田次郎文学賞受賞

※この記事は「ゆうゆう」2024年5月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

取材・文/神 素子

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