無料です【戦争の記憶訪ねて④】徳島県戦没者記念館 静謐な場で「風化」にあらがう

 何度足を運んでも、粛然とした気持ちになる。館内の壁面を覆う戦没者の遺影8183枚(2024年3月末時点)。それらに向き合うと、「いまの日本は平和か」「戦争を起こしてはいけないよ」と語り掛けてくる気がするからだ。静かに、そしてしっかりと、こちらを見据えるように―。

■県遺族会が独自に建設、運営

 今回紹介する「徳島県戦没者記念館―あしたへ―」(徳島市雑賀町)は、直接の戦争の現場となったわけではない。

 だが、国民310万人が命を落とした「昭和の戦争」の記憶を色濃く伝えるモニュメンタルな地として、ぜひ足を運んでほしい。県遺族会(坂千代克彦会長)に託された貴重な遺品や資料を通して、戦争の実相に触れられる場となっている。1000人以上が犠牲になった「徳島大空襲」(1945年7月4日未明)をはじめ、徳島の戦跡や銃後の暮らしについても、詳しく学ぶことができる施設だ。

 徳島市南郊、勝浦川沿いの田園地帯にたたずむ県護国神社の境内に、2014年10月に開館した。木造平屋約280平方メートル。当時の県遺族会会長・増矢稔氏の強いリーダーシップの下、会員や県民の浄財約1億円で整備された。今秋で開館10年を迎える。

 全国に戦争資料館や平和ミュージアムは数多くあるが、遺族会が独自に建設し、運営を担っている施設はほとんどないのではないか―。増矢さんは、そう話していた。そこには「二度と戦争を起こしてはいけない。戦争犠牲者の遺族や遺児をつくることがあってはならない」という切実な思いがあった。そして戦争体験者らが高齢化する中、戦禍の記憶の風化を防ぎ、次世代に伝えていくための「拠点」となる場がどうしても必要なのだ、と。記念館のネーミング「あしたへ」には、そうした思いが込められている。

■壁面に8183枚の遺影

 館内に入って目を奪われるのは冒頭に書いたとおり、戦没者の肖像写真だ。県出身の戦没者は2万8000人を数えるが、そのうち遺族らから提供された8183人の顔写真が壁面を埋める。

 生前暮らしていた市町村の各地区ごとに展示されており、セピア色となった写真に添えて名前、没年齢、戦没年月日、戦没地(例えばミャンマー、中国江蘇省、沖縄など)が記されている。若い人は17歳。20代、30代の人も多く、無事の帰還を待つ家族を残しての無念の死だった。生きて帰れば、どんな人生を送ったのだろうと考えると、言葉もない。

 常設展示は24のコーナーに分かれている。年表や写真、地図、解説文などのパネルに加え、遺族らから寄せられた遺品類も数多く展示。出征する家族の無事を祈った千人針や日の丸の寄せ書き、戦地から家族のもとに送られた手紙や写真などだ。また、軍隊手帳やトランク、双眼鏡、軍帽、コートなど、帰還した兵士が出征地から持ち帰ったものも並ぶ。いずれも戦争の生きた証人であり、戦争の記憶が薄れる中、非常に貴重な戦争・平和資料となっている。

 展示の前半は、明治以降の日本が「殖産興業」「富国強兵」を掲げ、列強を相手に戦い続けた近代史をたどる。日清、日露の両戦争をはじめ、第1次大戦への参戦を経て、中国大陸で戦争を引き起こし、そして連合国との太平洋戦争に至る歴史を振り返る。原爆投下や全国の空襲被害状況、サイパン、沖縄など本土防衛のため犠牲となった島々についても触れている。

 後半は、そんな時代に徳島がたどった歴史を追う。

 郷土連隊である陸軍歩兵第43連隊と第143連隊が徳島市蔵本に置かれたこと、「徳島海軍航空基地」が松茂町に整備されたことや、練習機「白菊」を使って沖縄へ向かった「白菊特攻隊」の史実を紹介。戦争末期の「徳島大空襲」をはじめ、那賀川鉄橋空襲など県内の戦跡について解説している。海軍伊島基地、小勝島の特攻基地といった地元でもあまり知られていない戦跡も取り上げており、平和資料館としての充実を物語る。

 さらに占領下の暮らしや、「戦争放棄」「平和主義」をうたった日本国憲法の制定、県遺族会も加わった遺骨収集活動などの取り組みなどを丁寧に追っている。

 また図書コーナーは書籍約1200点とDVDも備え、平和学習などに活用されている。

■戦争の実相に迫る「語り部事業」

 これらの常設展示に加え、活動の2本柱となっているのが▽戦争体験者や遺族らによる「語り部事業」▽戦争に関するテーマごとに写真パネルや遺品、関係書籍などを紹介する特別展・企画展―だ。

 開館記念講演として、沖縄戦の体験者・中山きくさん(元白梅学徒隊、2023年に94歳で死去)を招いたのを皮切りに、毎月第2土曜に語り部事業を実施。新型コロナ禍による延期もあったが、2024年3月までに計92回を数えた。同年2月にはラジオキャスターの梅津龍太郎さんが「僕の戦争体験~映画から見る戦争」と題して講演し、130人の聴衆が耳を傾けた。

 語り部事業は、開館10周年を節目にいったん中止することが検討されたが、平和学習の場として継続を求める声が強く、2024年度からは奇数月の開催に変更。ペースダウンはするものの、平和を学ぶ機会提供の役目を引き続き、果たしていくことになった。

 特別展・企画展ではこれまで「従軍カメラマン 小柳次一写真展 義烈空挺隊員の最期の姿に迫る」「沖縄戦」「戦傷病者とその家族」「戦没者遺骨収集」「シベリア強制抑留」「ヒロシマ原爆展」「徳島大空襲」など16回のパネル展を開いた。こじんまりとした規模ではあるが、高齢者が家族と訪れてじっくり資料を見詰めたり、何やら話し込んだりする場面に出くわす。世代を超えて戦争の悲惨さを伝え、平和の尊さを考える場となっているようだ。

 護国神社の境内には桜も植わり、記念館の傍らには「戦没者を見送った家族像」も建立されている。県内在住の彫刻家・鎌田邦宏さんが手掛けたブロンズ像で、出征する兵士の無事を祈る両親と乳飲み子を抱いた妻、幼い息子がたたずむ。

 ここは静謐(せいひつ)な環境に身を置き、戦争の記憶の「風化」にあらがう場であるのだ。(論説委員 沢口佳昭)

戦地で亡くなった人たちの肖像写真8183枚が壁面を覆う=県戦没者記念館
近代の戦争の歴史をパネルや遺品で紹介する常設展示=県戦没者記念館
「徳島大空襲」を取り上げた特別企画展=2024年2月、県戦没者記念館
戦没者記念館のかたわらに建立された「戦没者を見送った家族像」=徳島市雑賀町

© 一般社団法人徳島新聞社