市川團十郎、故・市川左團次さんは「数少ない男だった」 亡くなった時はショックで「苦しい」

取材会で市川左團次さんについて語った市川團十郎【写真:ENCOUNT編集部】

左團次さんの息子・男女蔵が歌舞伎十八番『毛抜き』に出演

歌舞伎俳優の市川團十郎が4日、都内で行われた歌舞伎座『團菊祭五月大歌舞伎』の取材会に出席した。

團菊祭は、“明治の劇聖”とうたわれた九世市川團十郎と五世尾上菊五郎の偉業を顕彰するために始まった五月興行恒例の祭典。今回の『團菊祭五月大歌舞伎』の昼の部では、2023年4月に亡くなった四世市川左團次さんの一年祭追善狂言として、左團次さんの息子・市川男女蔵(おめぞう)が、團十郎の承諾のもと歌舞伎十八番『毛抜き』に出演する。團十郎は『毛抜き』で後見を勤める。

歌舞伎十八番とは、七世市川團十郎が1832年(天保3年)に定めた18の作品。初代から四世までの團十郎が初めて演じて得意として作品を集めている。

團十郎は左團次さんについて、「四代目市川左團次という男は『数少ない男だった』ということを、我々歌舞伎俳優は隣にいて見せられてきた。隣にいて感じていた。特に子どもの時から接しているから、その人の人間性はどんな方よりも分かっている」と振り返り、『毛抜き』で後見を勤めることを「単純に(左團次さんへの)愛ですよね」と語った。

宗家・成田屋の團十郎は、「市川家っていうのは、市川團十郎家。成田屋というのは、普通はみんな成田屋なんですね。例えば、団蔵も猿之助も左團次もみんな一門だから成田屋。でも、一人前になった時点で、『じゃあ、あなたは三河屋へ、澤瀉屋へ、あなたは高島家へ』と、市川團十郎家だけは一門を送り出すシステムをとっていた」と説明。「左團次さんは、先祖(宗家)のご恩を未だに理解して、節目節目では宗家のためにどうあるべきかを考えてくださる方だった。父の十二世團十郎と、左團次さんの間で(そういう関係が)見えていた」と語り、「父が旅立った後も、十二世の時と同様に接してくれていました。そういう意味では、私は(左團次さんが)亡くなった時にとても(ショックで)苦しい思いをしました」と明かした。

今回の『毛抜き』については、左團次さんの息子・男女蔵が追善としてやりたいと希望したと言い、「私が左團次さんへのご恩をしっかり返さないといけない。ですから、この『毛抜き』に関しても、市川宗家として承諾し、他のことに関しても後見として見守る」と語った。「後見人になれるような後見でありたい。御曹司である男女蔵さんのそばで、左團次さんへの感謝を伝える。わたくしがやれる範囲のことを、やっていきたいなと」と語った。ENCOUNT編集部

© 株式会社Creative2