原告団費は月2000円。年金暮らし…滞納もした。「手の震えはアルコール依存症」中傷もあった。それでも10年間、闘ってきた。救ってほしいのは「心」だから…〈水俣病熊本訴訟143人控訴〉

水俣病問題の全面解決を願い控訴を決断した船橋美恵子さん=出水市野田町

 水俣病特別措置法で救済対象外となった人々による最初の集団訴訟から10年余り。3月の熊本訴訟地裁判決は全ての請求を退け、原告らの心を打ち砕いた。手足のしびれに長年悩まされる鹿児島県出水市三原町の船橋恵美子さん(76)もその一人。2013年に第1陣で訴訟に加わった。加齢や経済的な厳しさから葛藤を抱きながらも「後に続く人のためにも引き下がるわけにはいかない」と控訴を決めた。

 「これ以上何を示せば認められるのか。救う気が全く感じられず、先が見えなくなった」。先月22日の熊本訴訟の判決に船橋さんは愕然(がくぜん)とした。常に手足がしびれるなど年を重ねるごとに症状は悪化。特措法の定める居住地や出生年を満たしたにも関わらず、罹患(りかん)さえ認められなかった。

 司法の判断に納得できない一方、控訴は即決できなかった。患者会の会費に加え、資料作成や事務局運営などの原告団費が月2000円。年金からやりくりするのは難しく滞納することもあった。「みんなと頑張りたいが、資金面で迷惑をかけてしまう」。仲間に明かすと、「あと少し踏ん張ろう」と励まされた。

 出水市で生まれ育ち、物心ついた頃から魚介ばかり食べてきた。30代から手足がしびれ、足がつるようになったが、疲労が原因と思い込んでいた。

 母を亡くした13年前、近くに住む親戚一家が認定患者だったと知った。似た症状に「自分も水俣病では」と特措法に申請。その頃には足が曲がらず、歩くのもやっとの状態だったにも関わらず、結果は「非該当」だった。

 外見に現れない症状は「水俣病はうそ」「手の震えはアルコール依存症」といった中傷を呼び、救済の壁にもなったと感じる。裁判を続けること自体につらさを感じる中、補償のためだけには頑張ってこられなかった。「この苦しみを『水俣病が原因だったんだ』と整理させて心を救ってほしいんです」。控訴期限まで残り2日に迫った3日、船橋さんは闘い続けることを決意した。

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