ユ・テオが「ぜひ仕事したい日本の映画監督」を明かす!ノーラン監督も称賛 A24『パスト ライブス/再会』アカデミー賞を経てついに日本公開

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アカデミー賞2部門ノミネートの注目作ついに日本公開

第96回アカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされたA24製作、セリーヌ・ソン監督の『パスト ライブス/再会』は、劇作家として自立していて結婚もしている大人の女性ノラを、思いがけなく24年ぶりに初恋の男性ヘソンが訪ねてくる人間ドラマだ。

ニューヨークで暮らすノラを演じるのはグレタ・リー。そして、彼女に会うため韓国からやってくる会社員のヘソンを演じたのが、Netflix『その恋、断固お断りします』(2023年)などでも人気のユ・テオ

国際的に活躍する俳優が、寡黙で自信がなさそうだけれど情熱を秘めた一般男性を、どう演じたのか? 演技について聞いた返事の端々に、ユ・テオの映画愛と仕事愛が溢れ出た。

「感情と身体性に身を任せる」

―24年ぶりに出会う思い出の少女はナヨンからノラと名前を変え、すっかりアメリカ人になっていてすぐにハグしてきますが、それに対するアジア人男性らしい戸惑いがリアルでした。ヘソンを演じるとき特に気をつけていらしたのは、どんなところですか?

あのニューヨークの小さな池の前で彼女を待っていたシーンではほとんど台詞がなかったので、表情とボディランゲージで表現するしかなかったんです。ですから、僕にとっては、あのシーンの前に自分が準備できるテクニカルなディテールを全部――ヘソンはどこからきて、何をしてきて、誰に会ったのかを理解しておくことが大事でした。そうやって準備したあと、気持ちをその瞬間のためにつくってから役に入って……自分の中にあるものを信頼するしかありませんでした。

自分の中にあるものを撮影のときは考える必要はないし、それが第二の天性になります。それで僕はジョン・カザール(『ゴッドファーザー』などに出演した俳優)から受けたインスパイアの通りにしたんです。ジョン・カザールの短いドキュメンタリーがあるんですが(2009年製作の『I Knew It Was You:Rediscovering John Cazale(原題)』)、彼は一人の登場人物として“役柄の瞬間”を生きる達人だったんです。ボディランゲージで何を伝えるかなどに気を取られず、感情と身体性に身を任せる。僕がやってみたのはそれだけでした。

周囲で起こっているすべてと一緒にその瞬間を生きることと、真摯に正直に自分を見せること。それでああいう演技になりました。よくわからないけれど、そんな感じなんです。あの瞬間の演技は自分の中ではゆっくりしていて、特に何かコントロールしようともしていませんでした。演技から離れて、起こることに任せて僕自身でいるのを止めただけなんです。

「ヘソンと“似ていない部分”に真摯に向き合って演じた」

―「ヘソンに同情した」とおっしゃっています。ヘソンのどんなところに共感しましたか? 彼はとても自己評価が低く、日本男性にも通じるものがあると感じました。

そうですね、いま思うと……自己評価の低さという点では僕とヘソンは全然似ていないのですが、その似ていない部分に真摯に向き合いました。自己評価が低くても自信があるようにふるまわないといけないとか、そういう感覚の繊細な演技が必要でした。でも信頼できる監督がいたので、シャイだったり自己評価が低かったりするところでも表現しやすかったです。

ノラのいるニューヨークから帰ったヘソンは、それからどう生きていきたいのか、何が起こるかわかっていなかったので、弱気だったと思います。一般的な男性がどうなのかはわかりませんが、ヘソンと僕にとっては、特に繊細さがキーになって、それがいい表現に繋がったと思います。

「もっとやるべきだった。その内面の感情が登場人物に合っていたのかも」

―ヘソンの兵役のシーンはすごく重要なのに一瞬しか映りません。どんな撮影だったんでしょう?

確かに、あれは重要なシーンでした。韓国の男性がみんな兵役に行くことを見せるためで、誰もが似たような経験をしているので……韓国男性の一般常識なんです。あの短いカットに1日かけました。はっきりしたシンプルなシーンです。35mmフィルムで撮っていたのでいい光が必要で、いいタイミングを待って、午後5時か6時ごろ2~3テイク撮ったと思います。

―ヘソンが兵役に縛られているころ、ノラはマンハッタンに出て自由を謳歌していますよね。兵役というものの虚しさも描き出されてしまったのかなと思ったのですが。

彼女が自由なときに彼は兵役に縛られているとか、僕はそんなふうには思っていなくて。特に何も感じなかったです。韓国では男であればみんな行くので、ただ状況を受け入れるというか、ごく一般的な経験なんです。韓国にずっといて兵役に就いて、上海に行って勉強を続けて、ただ仕事するために韓国に戻ってくるという一人の人物の状況を示したかっただけなんです。だからシンプルな描写でした。それに彼女が移民としてカナダに行き、やがてニューヨークに移住するのも、彼女の人生がそうだったというだけなので。二つの異なる人生を受け入れるような感じで、映画のナラティブもそうやって流れていくわけです。

―なるほど。初対面のシーンまで、ジョン・マガロ(ノラの夫アーサー役)と会わないようにされていたとのことですが、実際に初対面であのシーンを演じたとき、どのように感じていましたか?

みんなはすごくエキサイトしてナーバスでしたが、僕はオープンでワクワクしていたと思います。あと、少しシャイな感じはありました。その三つの感情が入り混じっていたと思います。

―ラストで空港に向かう車に乗って外を見ているシーンが印象的でした。ナヨンに肩を貸していた幼いヘソンと重なって見えるんです。実際はどんなことを考えて演じていらしたのでしょうか。

彼女への気持ちに区切りをつけようと考えていたかどうかは疑わしいですね。でも、それはいいんです。映画の中でもあれはとても特別な瞬間で、感情を捉えるのがとても大変でした。台詞に感情を合わせるのも大変でしたね。撮影中ずっと、そうしようとしていたのを覚えています。特に彼女と話すいくつかのテイクでは……「もしこれも前世で、僕たちの来世では今とは別の縁があるのなら、どうなると思う?」って言いますよね。あのときは、演技のあとすごくイラついていたのを覚えています。すごく大変なシーンで、台詞を言うのも難しく感じて自分の演技に満足していなかったんです。

でもセリーヌが「まさに撮りたかった、必要だったものが撮れた」と言ってくれて、なんとか平常心でいようとしました。撮影監督のシャビアー・カークナーも、すごくよかったと言ってくれました。それでも自分への不満がおさまらなくて、コミュニケーションをそれ以上取りたくないぐらいだったんです。多分キャラクターとしてはあれでよかったのかもしれないけれど、僕としてはもっとやるべきだった。でもその気持ちを押し殺さなくてはいけなくて、気持ちに区切りをつけようとして平常心でいようとする、あの内面の感情が登場人物に合っていたのかもしれません。

「文化的な誤解が起こることもありますが、結局は映画愛でみんなニッコリ」

―ユ・テオさんご自身は英語もお得意ですが、ヘソンはあまり英語が喋れないという役でした。役の上とはいえ言いたいことが言えないことに、もどかしさを感じましたか?

話せないことへのフラストレーションはあまり感じなかったです。というのも、外国語が話せない現場をすでに経験していて、僕はロシア語が話せないけれどロシア映画に出ていて、日本でも『LETO -レト-』(2018年)として公開されていますよね? あの経験から、言葉が話せなくてもそれほどもどかしさは感じないんです。僕にとっては感情を表現する演技がより重要で、言葉でそれを話す必要はあまりないんです。

―『LETO -レト-』もいい映画でした。あの作品ではロシアの映画スタッフと仕事をされて、もちろん韓国でも仕事をなさっていますし、今回はアメリカで、それぞれの現場でどんな面白さがありましたか? 逆にフラストレーションを感じることはありましたか。

だいたい僕はフラストレーションはそんなに感じないんです。子どものころは感じていたかもしれませんが、いまは感じなくなりました。文化の違いというものにあんまりイラつくこともないんです。忍耐を学んだんですね。あと、みんなが一生懸命仕事してるんだということ、それを信頼することも学びました。現場のみんなが映画と映画に関わる仕事が好きなんだと信じています。たまには文化的な違いから小さな誤解が起こることもありますが、そういうことが起こるのは仕方のないこと。それに普通はそんな誤解はすぐに流せます。結局は映画愛があって、みんなニッコリという感じ。そこがいいんです。それが僕が、いろんな国で仕事をしていて本当によかった、ありがたいと思えるところですね。

「李相日監督や吉田大八監督の作品が大好き。色んな監督と仕事してみたい」

―ユ・テオさんはテレビやドラマシリーズでもよく仕事をなさっていますが、テレビではどちらかといえばオーバーな演技が求められて、映画では『パスト ライブス/再会』のように抑制した演技が求められる傾向があるように見えます。それぞれに良さがあると思うのですが、どちらが好きですか。

うーん、どちらが好きということはないですね。どちらも好きなんだと思います。それに、テレビだから、映画だからといった媒体だけの傾向とも限りませんよね。ジャンルでも分けることができるでしょうし……あるジャンルですごくシュールだったりドラマチックで過剰な演技を見て、同じジャンルで抑えた演技を見ることもあります。

たとえば90年代のジョン・ウー監督の映画。彼は『ミッション・インポッシブル』と『フェイス/オフ』を撮っていますよね。トム・クルーズ、ジョン・トラボルタ、ニコラス・ケイジの演技を考えてみると、同じ映画という媒体で同じジャンルなのに、キャラクターはまるで違います。ニコラス・ケイジの演技はすごく振り切っていてアグレッシブですが、映画のリアリティを損なっていません。むしろ助けています。

だから(演技を抑えるか過剰にするかは)監督が求めるものによるし、それがテレビか映画かということはあまり関係ないと思います。ジャンルとキャラクターによるので、もし、ものすごく振り切った過剰な演技の役を振られたとして、それが物語の力になっていて演技も楽しめる役なら、多分演じられると思います。でも抑えた演技の登場人物を演じるのも楽しんでいますよ。ものすごく繊細な感情表現で受動的な人物であっても。うん、やっぱりどちらが好きということはないですね。どちらも楽しみます。

―今後お仕事してみたい監督はいますか。

はい、でもすごくたくさんいるんです。うーん、これは難しい質問だな。

―韓国だとイ・チャンドン監督やポン・ジュノ監督がいらっしゃいますし……パク・チャヌク監督とはお仕事されたんですよね。

そうです。でも僕は、観客から見てどんな監督の映画に出てほしいかも聞きたいです。いかがですか?

―(まさかの逆質問に)えっ、私ですか。クリストファー・ノーラン監督が『パスト ライブス/再会』をお気に入りとおっしゃってました。ノーラン監督の映画でユさんを見てみたいです。

いいですね! 僕も彼の映画は大好きです。

―ほかにはどなたかいらっしゃいますか。

そうですね。クエンティン・タランティーノも大好き、ポール・トーマス・アンダーソンも大好き、サフディ兄弟も大好きで、どの国にも好きな監督がいっぱいいて……アメリカの監督の話しかしていませんが、いろんな国に仕事してみたい監督がいるんですよ。うーん、そうだ、韓国系日本人の監督がいますよね、『怒り』(2016年)を撮った李相日監督。あの映画が大好きなんです。素晴らしい映画でした。彼と仕事してみたいです。

あと、宮沢りえさん主演の『紙の月』(2014年)を撮った吉田大八監督。彼は偉大な監督だと思います。ぜひお仕事してみたいですね。韓国ではイ・チャンドン監督と仕事してみたいです。彼の作品が大好きなんです。本当に多すぎるな。ドイツではヴェルナー・ヘルツォーク監督、ずっとファティ・アキン監督とも仕事したいと思っていました。うわあ、多いなあ。

―いろんな監督の映画でユさんを見られるのを楽しみにしています。ありがとうございました。

ありがとうございました。

取材・文:遠藤京子

『パスト ライブス/再会』は2024年4月5日(金)より全国公開

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