鉄路が紡ぐ縁(4月5日)

 120年ほど前、当時の若松市で一人の実業家が演壇に立った。産業発展に地域で力を合わせるべきだと説き、「そのために岩越[がんえつ]鉄道(現JR磐越西線)の敷設がある」と訴えた。新紙幣の顔として登場するまで3カ月を切った渋沢栄一だ▼新津駅(新潟市)と郡山駅を結ぶ鉄路は、資金不足や路線の誘致合戦の影響で若松駅以西の工事が停滞していた。「近代日本経済の父」の呼びかけで事態は動く。1914(大正3)年に全線開通し、会津と新潟の交流は活発になった。いまは、地域の熱意で復活したSLが往来し、観光振興に一役買っている▼先達が紡いだ縁を発信する取り組みが今春、動き出した。会津若松、新潟両市は発酵文化を核とした広域観光に力を入れる。酒、みそなどを共通の資源としてアピールする。狙いは女性や訪日客。一帯は温泉も豊かだ。癒やしの素材には事欠かない▼渋沢は「長所を発揮するよう努力すれば、短所は自然に消滅する」と語った。磐越西線はどうか。車窓の絶景に日常を忘れれば、移動時間は苦になるまい。どんな旅を提案できるか。アイデアを「熟成」させよう。醸造文化を受け継ぐ地で、まちづくりの杜[とう]氏[じ]となって。<2024.4・5>

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