スクール経営失敗、1年間の日雇い生活 元J戦士が一念発起のM&A転身…半年で成約を勝ち獲れた訳【インタビュー】

Jリーグ通算240試合に出場した酒井隆介氏【写真:河合拓】

【元プロサッカー選手の転身録】酒井隆介(京都ほか)後編:引退後は転職エージェントに登録して合同面接へ

世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

今回の「転身録」は、京都サンガF.C.、松本山雅FC、名古屋グランパス、FC町田ゼルビアでプロとしてJリーグ通算240試合に出場した酒井隆介だ。快足自慢のDFだった酒井は、第2のキャリアをM&Aスターキャリア株式会社で歩み始めており、わずか半年で大企業のM&A契約を成約させた。後編ではM&Aの仕事内容に迫る。(取材・文=河合拓)

◇ ◇ ◇

2023年11月28日にM&Aスターキャリア株式会社がプレスリリースを発表した。「元Jリーガーが大型M&Aを成約! 京都サンガF.C.などで活躍した酒井隆介が、関西企業のM&A支援で地元地域に貢献」というものだった。

Jリーグの舞台に立った選手が引退後に歩むキャリアはさまざまだ。選手によっては現役の時から引退後に向けて準備をする者もいれば、まったく準備をしていない者もいる。酒井の場合は完全に後者だった。

「オファーをいただけている限りはプロ選手としてサッカーを続けようと思っていた」という酒井は、2021年にFC町田ゼルビアに契約満了を告げられたことで、引退を決意する。この時にあったのは、「何かサッカー界に恩返しがしたかった。今まで人に恵まれてここまでやってこれたので、次は自分がそういう立場で人を応援できるような人間になりたい」という思いだった。

引退してすぐに現役時代の元同僚とスクールを始めたが、経営が上手くいかなかった。2人の子供もいた酒井は、そこから就職活動を本格的に開始。転職エージェントに登録し、オンラインで面接の練習や実際に合同面接なども行った。

合同面接の結果、製菓会社、電化製品会社、介護会社など、複数の企業と最終面接まで行った酒井だったが、「やっぱりこういう仕事じゃないな。もう少し経営に近いようなことも学びたい」と考え、1年間は日雇いの仕事で食いつなぎながら、知人に話を聞いたり、さまざまな業種の仕事を紹介してもらっていたという。

元Jリーガーの秋元陽太の紹介でM&Aスターキャリア株式会社へ

そのなかで町田時代のチームメイトだったGK秋元陽太に、現在の勤め先であるM&Aスターキャリア株式会社を紹介してもらう。M&Aスターキャリア株式会社は、2つ以上の企業を合併するなどのM&A事業をメインに取り組んでいるが、同時に少人数制のサッカースクールをポジションごとで開催していた。そのGKスクールをやっている秋元は「ディフェンダーの指導ができるんじゃない?」と、酒井に声をかけたのだ。

DFのスクールができることから、M&Aスターキャリア株式会社を紹介してもらった酒井だが、主な仕事は事業承継だという。

「日本は少子高齢化がどんどん進んでいて、黒字経営なのに後継者不在の会社が今後もどんどん増えていきます。そうした会社がなくなっていくと、経済効果も生まなくなり、日本のGDP(国内総生産)も下がっていってしまう。非常にもったいないことになるんです。後継者がいないその会社の事業をほかの会社に承継する手伝いをしているんです」

酒井は「守秘義務があるため具体的な企業名などは言えないんです」と、申し訳なさそうな表情を浮かべたが、冒頭の昨年11月に出されたプレスリリースは、この事業承継を成立させたことを伝えるものだったのだ。

「M&Aの仕事を調べてみたら、経営の勉強もできるので、やりたいなと思っていたのですが、金融業界や金融畑出身の人しかできない仕事だと思っていました。でも、たまたま陽太くんが紹介してくれたので、チャレンジしてみたんです」

M&Aスターキャリア株式会社の富居翔吾代表は、自身もサッカーをしていたという。彼はプロ選手になることはできずに会社員になったが、知り合いにJリーガーが多く、セカンドキャリアをスタートさせるにあたって苦労している姿を見てきた。そこでアスリートのセカンドキャリアを支援する意図もあり、M&Aスターキャリア株式会社を設立したという。

2023年6月からM&Aスターキャリア株式会社で働き始めた酒井は、元Jリーガーで初めてM&Aで成果を出した社員となった。

「本当に責任のある仕事なので、そこは選手と一緒かなと感じています。後継者のいない会社を買ってもらい、事業を引き継いでもらう。まるまる子会社化するか、吸収してもらうイメージです。そうすると働く人は同じで、やる仕事も同じになる。つまり従業員の雇用が守れるんです。企業の後継者がいないと、経営者が変わったり、会社が潰れたりしてしまい、従業員の雇用も守れなくなります。企業の永続を目的とした事業承継が主な仕事です」

譲渡価格の相場はピンからキリまで幅広く、“あってないようなもの”と言われるが、大型と言われる案件はM&Aで使われる指標の1つである「EBITDA」で「10億」以上とされる。一般的に3~5倍、業界によっては10倍以上の事業価値が出ることもあるという。

京都サンガF.C.などで活躍した酒井隆介氏【写真:河合拓】

「サッカーをやれるうちは、全力で振り切る」

サッカーのピッチ上でゴールを守ってきた酒井は、後継者不在に悩む企業やその従業員の生活を守る存在になったのだ。ただ、会社や人々の生活を守る経験は、まだまだ浅い。先輩社員の商談に付いて行き、どういう話をするのかなどもイチから学んでいった。今では1人で商談も行っているという。そのなかで、「前職サッカー選手」の強みも感じられている。

「元サッカー選手、元Jリーガーというのは、話のタネにはすごくなります。サッカーの話とか好きな人は多いので、話の取っ掛かりになりやすいんです。僕の名前を覚えてもらえなくても、『元サッカー選手の彼ね』という風に覚えてもらえたりします。この仕事は、相手に覚えてもらわないと仕事にならないので、名前じゃなくても覚えてもらえるのは大きいです」

そして、改めて元アスリートに対する理解のある自分の勤め先に感謝した。

「最初は元アスリートということを認識してもらえる会社のほうが働きやすいと思います。そうじゃないと『この歳で、これもできないのか』と見られたり、ボロカスに言われたりするという話をほかの企業に転職した人たちからも聞きます。アスリートのセカンドキャリアを支援したいという企業は増えていますし、もし悩んでいる元Jリーガーがいるのであれば、うちの会社に連絡してもらえると結構働きやすい環境は整っていると思います。サッカーにも関わりながら、ビジネスの勉強もしながら働ける魅力的な会社かなと個人的には思っています」

Jリーガーを辞めたら、味わえないと思っていた感覚も味わえていると酒井は笑う。「DFの選手なら分かると思うのですが、1-0でリードしていて後半アディショナルタイムに入った時の『ミスをしてはいけない』という緊張感とプレッシャー。あのヒリヒリした心境に仕事が進むにつれてなっていくんです。『契約がなくなったらどうしよう』って。その感覚が決して好きなわけではないのですが、引退して1年間、何をしようかなと考えていた時と比べると、生きている実感がありますよね。それにやっぱりそういう勝負の世界に身を置きたいというのも少しあるんだと思います」

現役時代にセカンドキャリアを考えていなかったという酒井に、Jリーガーへのアドバイスを求めると「本当にセカンドキャリアでやりたいことがあるのであれば、現役の時は結構、自由に使える時間があると思うので、その勉強に使ったほうがいいと思います。それがないなら、まずはサッカーをやりきること。そうしないと未練が残ってしまい、就職をしても『なんでもっと最後までやらなかったんだろう』と踏ん切りがつかずに、ネガティブになると思います。サッカーをやれるうちは、全力で振り切る。あとはパソコンでエクセルくらいは覚えておくといいのかなと思いますね(笑)」と、本業であるサッカーで悔いを残さないことの重要性を説いた。

(文中敬称略)

[プロフィール]
酒井隆介(さかい・りゅうすけ)/1988年9月7日生まれ、滋賀県出身。名古屋U-18―駒澤大―京都―松本―名古屋―町田。J1通算44試合4得点、J2通算196試合7得点。スピードを生かした対人プレーに定評があり、センターバック、サイドバックでプレー。ビルドアップやタイミングの良い攻撃参加で貢献した。(河合 拓 / Taku Kawai)

© 株式会社Creative2