坂本冬美の『モゴモゴ交友録』猪俣公章さんーー叱られたことは数多あれど、褒められたのはたった一度だけ

猪俣公章、坂本冬美

早いもので、猪俣公章先生がお亡くなりになってから、31年の月日がたとうとしています。

先生と出会ったのが18歳で、お別れしたのが26歳のときですから、一緒に過ごさせていただいた時間を遥かに超えてしまいました。

初めてお会いしたとき、先生はジーンズにオレンジ色のジャンバーを羽織り、靴は柄の入った緑色、黒縁メガネに白いマスクという格好で、どこからどう見てもおっかない雰囲気でした。

そういうわたしも、田舎娘丸出しの顔に、髪はチリチリのソバージュでしたから、どっちもどっちと言えなくもありませんが(苦笑)。

ーーお風邪でも引かれたのかしら?

心配半分、心遣い半分で尋ねたわたしに、マスクを取った先生は、唇にできた生々しい傷を指差し、「見てみろ」とニヤリ。続けて「酔っぱらって転んじまってよぉ。普通だったら鼻を打つとこだけど、俺はここを打っちまったんだ」と、まるで武勇伝のようにおっしゃいました。

上京後は、先生の運転手を命じられ、首都高速で死にそうになったことも、一度や二度ではありません。

「冬美、次で右の車線な」

「先生、無理です。怖くてできません……」

「大丈夫。ほら、今だ、冬美、行け~~~~っ!」

「ひぇぇぇぇぇぇぇ~っ」

……今こうして生きていられるのが不思議です(笑)。

繊細で、お祭り好き。人を愛し、人から愛された先生との思い出は、いくら話しても尽きることがありません。

叱られたこと。怒鳴られたこと。雷を落とされたこと。ちょっと数えきれないほど、たくさんあります。その逆に、先生から褒められたことは……。

ないと思います? そうですよね。でも、一度だけあるんです。

あれは……弟子入りしてすぐのころでした。当時、先生のお弟子さんは男子ばかりのザ・男所帯。多少(?)ゴミが散らかっていても、リビングの隅に先生が飼っていらした柴犬の毛が溜まっていても、誰も気にしません。これが大作曲家のお宅!?

むむむむむっ。こ、これはなんとかしなければーー。塵ひとつでも許せないという潔癖症ではありませんが、これはあまりに酷すぎます。

先生がブラジルに行っていらっしゃる間にトイレ、お風呂、リビングはもちろん、キッチンもピカピカに磨き上げ、先生の箪笥の中まで全力お掃除です。

帰国された先生が、見違えるようになったお宅を見て、ひと言「すごいな」とおっしゃったのが、唯一わたしが先生に褒められた瞬間でした。

先生に褒めていただいたのは、後にも先にもこの一度だけで、歌手・坂本冬美として褒められたことは一度もありません。

技術もない。経験もない。深い意味も理解できなかった当時のわたしは、先生のおっしゃるとおりに歌うのが精いっぱいで、なぜ褒めていただけないのか考える余裕すらありませんでしたが、今ならよくわかります。

先生と出会ってお別れするまで、作っていただいた歌は全部で66曲。わずか7年で、これだけのものをいただいたわたしは本当に幸せ者です。

「まだ、半分も書いていないんだよ……」

それが、わたしが聞いた先生の最後の言葉です。

もしも、ひとつだけ奇跡を起こせるとしたら……先生がわたしのために書きたいと思ってくださっていた歌を全部、聴いてみたい……。かなわない夢だとわかっていますが、でも、やっぱり、聴いてみたいし、歌いたい……。

写真・中村 功
取材&文・工藤 晋

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