伝説の名勝負から37年…ハグラーvsレナード「黄金の中量級」頂上決戦

Ⓒゲッティイメージズ

ラスベガスで行われた「THE SUPER FIGHT」

ボクシングの本場ラスベガスでは超大物と超大物が雌雄を決する、ファン垂涎のビッグファイトが何度も行われてきた。今からちょうど37年前、1987年4月6日にリング上で対峙した両雄も後世に語り継がれる攻防を繰り広げた。

マービン・ハグラー(アメリカ)は1980年に世界ミドル級王座を獲得して以来12度防衛。その対戦相手には「石の拳」ロベルト・デュラン(パナマ)、トーマス“ヒットマン”ハーンズ(アメリカ)、26戦全KO勝ちのジョン・ムガビ(ウガンダ)らが名を連ねており、世界の猛者を次から次に沈めていた。

当時62勝(52KO)2敗2分け。パワー、テクニック、タフネス、どれを取っても超一流のスイッチヒッターで、「マーベラス」の異名を持っていた。

難攻不落の名王者への挑戦に名乗りを上げたのがシュガー・レイ・レナード。1976年モントリオール五輪ライトウェルター級の金メダリストからプロ転向し、WBCウェルター級王座を奪うと、1981年には当時WBA王者だったトーマス・ハーンズに14回TKO勝ちで王座統一を果たした。スーパーウェルター級王座も獲得して2階級制覇したスピードスターだ。

網膜剥離で引退していたが、ハグラー戦のためカムバックした当時の戦績は33勝(24KO)1敗。「THE SUPER FIGHT」と銘打たれた一戦はファンの注目を集めたが、長いブランク明けでいきなり無敵の王者への挑戦は無謀と見られていた。

パワーのハグラーとスピードのレナードが見せた息詰まる攻防

ラスベガス・シーザースパレスの特設リング。試合は息詰まる攻防が展開された。

象のようにじわじわと前に出てプレッシャーをかけるハグラーと、フィギュアスケーターのように華麗なフットワークでリング上を滑るレナード。「パワー」の王者と「スピード」の挑戦者という分かりやすい構図は、一体どんなフィナーレを迎えるのか、一瞬たりとも見逃せない展開に誰もが息を呑んだ。

レナードはくっついてパンチをまとめては離れ、少しずつポイントを積み上げていく。スピードで劣るハグラーはスイッチしながらロープ際に追い詰めてボディブローでレナードのスタミナを奪いにかかる。両者とも相手の持ち味を出させまいとするハイレベルの攻防だ。

徐々に疲労の色を濃くしていたレナードは、9ラウンドに高速連打で逆襲して場内を沸かせる。ファンやジャッジへのアピールはエンターテイナーでもあるレナードの真骨頂。休みながらも時折パンチをまとめては足を使って離れるヒットアンドアウェーを12ラウンド貫いた。

最終ラウンド終了のゴングが鳴ると、両者とも勝利を確信したかのように両拳を高々と上げてガッツポーズ。採点は115-113、118-110で2人がレナードを支持、1人が115-113でハグラーを支持した。「THE SUPER FIGHT」は2-1のスプリットデシジョンでレナードに軍配が上がり、3階級制覇を達成。ハグラーは7年近く守ったミドル級のベルトを失った。

ハグラーは引退、レナードは5階級制覇

ハグラーは採点への不満を表明したが、再戦は実現せずに引退。レナードは翌1988年11月にドン・ラロンデ(カナダ)を倒してWBCスーパーミドル級、ライトヘビー級の2王座を一気に獲得し、5階級制覇を果たした。

1989年6月にはWBOスーパーミドル級王者となっていたトーマス・ハーンズとの統一戦に引き分け。 同年12月にはロベルト・デュランとの3度目の対決で判定勝ちした。

1991年2月、スーパーウェルター級に落としてWBC王者テリー・ノリス(アメリカ)に挑んだが、判定負けを喫して2度目の引退を表明。1997年に6年ぶりに現役復帰したものの、ヘクター・カマチョ(プエルトリコ)に5回TKO負けしたのが本当のラストファイトとなった。

ボクシングが1対1の格闘技である以上、両者の力量差が大きいと見応えのある試合にはならない。1980年代の中量級はタレントの宝庫だったからこそ盛り上がり、その中でもハグラーvsレナードは最後まで勝ち残った両雄による頂上決戦だった。



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