【月百姿】 月岡芳年が描いた月の光 「最後の浮世絵師 血みどろ芳年」

画像:玉兎 孫悟空 『月百姿』public domain

月岡芳年(つきおか よしとし)といえば「血みどろ芳年」の異名で知られる通り、残忍な無残絵で名の知れた、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵画家だ。

しかし芳年の浮世絵の魅力は、生々しく描かれた鮮血のほとばしりや、苦痛に歪む人々の表情だけではない。

月百姿(つきひゃくし/つきのひゃくし)』は彼が自身の名にまつわる「月」を画題とした、全100点に及ぶ浮世絵の連作だ。

芳年は晩年にのべ8年間に渡ってこの大作を手掛け、明治25年6月9日の芳年の死後に『月百姿』の画帖は発売された。

「最後の浮世絵師」ともいわれる月岡芳年の集大成とも呼べる『月百姿』の中から、今回は3作品を厳選して、それぞれの絵の登場人物にまつわる逸話について解説しよう。

目次

君は今駒かたあたりほとゝきす

画像:吼噦 『月百姿』public domain

この作品に描かれているのは、吉原で名を馳せた「万治高尾」とも呼ばれ、短命だったにもかかわらず多くの伝説が残る2代目高尾太夫だ。

君は今 駒形あたり ほととぎす」という歌は、後に万治高尾を身請けするも、彼女が自分の意にそぐわなかったため惨殺したと伝わる陸奥仙台の大名・伊達綱宗に宛てて万治高尾が詠んだ歌と言われる。

現代の言葉にすれば「あなたは今駒形あたりにいるのでしょうか」と詠い、夏の明け方の月の下、綱宗との後朝の別れに思いを馳せる万治高尾を描いたこの作品には、静かな情感が漂っている。

この景色だけを切り取れば、万治高尾と綱宗は心から愛し合う仲にも見えるだろう。しかし万治高尾がなぜ綱宗に惨殺されたのかといえば、彼女には他に好きな男がいて、綱宗の意に従わなかったことが原因だといわれる。

つまり万治高尾が詠んだ歌は、上客に対する高級遊女のリップサービスだったのだ。さすが吉原一の遊女ともなると、沼が深い。

ちなみに万治高尾は神様として神社に祀られていることをご存じだろうか。日本橋箱崎町の高尾稲荷神社には万治高尾がご祭神として祀られており、今も彼女の頭蓋骨がご神体として安置されている。

吼噦

画像:吼噦 『月百姿』public domain

吼噦(こんかい)は、狐そのものを指す言葉だが、狂言の演目『釣狐』の別名でもある。従ってこの作品に描かれた狐頭の僧侶は、『釣狐』のモチーフとなった稲荷狐の「白蔵主(はくぞうす)」だ。

その昔、和泉の少林寺にいた白蔵主という僧侶は稲荷大明神を篤く崇敬していた。ある時白蔵主は竹林で、片足のない三本足の狐に出会う。

白蔵主は偶然出会った不思議な狐を連れて帰り、寺内で世話をすることにした。この狐は不思議な力を持っており、吉凶を占ったり、泥棒による盗みを未然に防ぐこともあったという。

白蔵主には甥がいて、この甥は狩猟が大好きで狐狩りもする男だった。狐はこの甥を脅威に感じ、ある日白蔵主に化けて甥に会いに行き、殺生がどれほど罪深いことなのか、妖狐の祟りがどれほど恐ろしいものなのかを説き、狐狩りをやめるよう言い聞かせた。

甥を戒めた帰路、化け狐は甥が狐狩りの餌に使っていた油で揚げた鼠を見つけ、その誘惑に勝てず僧侶の衣装を脱ぎに帰り、急いで揚げ鼠の元に戻ろうとする。しかし甥が自分を戒めた白蔵主の正体が狐であることに気付いて、揚げ鼠に罠を張るのだ。

油断した化け狐は本性を現して揚げ鼠に飛び掛かり、まんまと罠にかかってしまうが、何とか抜け出して逃げていくのである。

その後狐は白蔵主稲荷として、少林寺に祀られるようになった。少林寺は今も大阪府堺市に現存している。

この作品は三日月の光の下で、本性を現しかけている化け狐の姿を描いたものだ。こちらを振り向く姿や隠しきれない尻尾で膨らむ僧衣の雰囲気など、妖狐を描いたものにしてはどこか滑稽で、『月百姿』の中では個人的にもっとも好きな作品だ。

しらしらとしらけたる夜の月かけに 雪かきわけて梅の花折る

画像:しらしらとしらけたる夜の月かけに 雪かきわけて梅の花折る 『月百姿』public domain

この作品に描かれているのは、平安時代中期の公卿であり、優れた歌人でもあった藤原公任(ふじわらのきんとう)だ。『源氏物語』の作者・紫式部と同時代の人物であり、小倉百人一首の大納言公任としても知られている。

この絵は公任が自らの妻の祖父でもあった村上天皇に命じられ、2月の雪が月明りに照らされる寒い夜に、扇を台にして白梅の花を手折る光景を描いたものだ。

真っ白な雪の中に咲く白梅と絵に添えられた白を強調する和歌に対して、公任の衣装の黒さのコントラストが印象的だが、この絵は実物を見てこそ真価がわかる作品でもある。

ブラウザ上の画像では真っ黒にしか映らない公任の衣装だが、実物の浮世絵には「有職文様の正面摺」という手法が用いられており、着物の柄を浮き立たせて光の当たる角度によって立体的に見せる表現が使われている。

実物の浮世絵を角度を変えて見てみると、まるで月明りの中で浮かび上がるように着物の柄が現われる。

絵の中のどこにも月の姿はないのに、月の光を感じることができる巧妙な仕掛けが施されているのだ。

月岡芳年が描いた静かで不思議な月の光

画像:廓の月『月百姿』 public domain

今回は全100点のうち3点のみについて解説したが、『月百姿』は「月」という普遍的な存在を画題としているため、1作1作に描かれている人物は紫式部や豊臣秀吉などの日本の貴族や武人、曹操など中国史の偉人、神仏や妖怪、伝説の主人公などとても幅広く、それぞれのストーリーを思い浮かべながら見るとさらに面白い。

この『月百姿』、なんと2024年4月3日から、東京都の太田記念美術館で展覧会が開かれる。

芳年が描いた作品は現代絵画や西洋絵画にも通じる緻密な描写と豊かな色彩が特徴で、浮世絵に馴染みのない人でも受け入れやすい。

また月岡芳年といえば目を背けたくなるような無残絵が有名だが、「血みどろ芳年」を敬遠していた人にも『月百姿』は抵抗なく鑑賞してもらえるだろう。

日に日に暖かさが増してくるこの季節、どこかに出かけたい気分になった時は、太田記念美術館に足を運んでみてはいかがだろうか。

参考文献
大蘇 芳年 (絵), 岩切 友里子 (編集)『芳年月百姿
太田記念美術館公式HP

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