「銀メダルで人生は変わらない」 柔道ロンドン五輪銀・平岡拓晃氏が博士課程に進んだ理由

インタビューに応じた平岡拓晃氏【写真:ENCOUNT編集部】

進んだ道はスポーツ医学…アスリートのだ液に着目

2012年に行われたロンドン五輪柔道男子60キロ級で銀メダルを獲得した平岡拓晃氏(39)。現在は知的障がい者にスポーツの場を提供する取り組みを行っている公益財団法人 スペシャルオリンピックス日本で理事長を務めている。英国の地であと1勝に泣いた平岡に人生の転機である筑波大大学院で取得した博士課程について話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

現役引退後に進んだ博士課程の道。平岡の心を突き動かしたのは「銀メダルで人生は変わらない」だった。

2012年に柔道男子60キロ級日本代表としてロンドン五輪に出場。決勝でアルセン・ガルストヤン(ロシア)に敗れるも銀メダルを獲得した。それから3年、15年の「全日本実業柔道個人選手権大会」66キロ級に出場し、優勝。その年の講道館杯ではベスト8まで進み16年3月に現役を引退した。博士課程に進んだのも15年。現役生活最後の1年は勉強と練習が重なっていた。

「すごく大変でした。練習量も減る。いままで週に6日だったのが週3日ぐらいになりました。でも、振り返るとまさしくこれが文武両道と思いましたね」

引退後は了徳寺学園でのコーチ業の誘いも受けていたが、コーチと博士課程の両立は難しいと考え断った。結果的に2年間は無職で勉強を続けることに。子どももいるため現役時代に稼いだお金を切り崩して生活した。

「余裕がなかったですよね。自分が決めた道だけどお金はどんどん減っていく。子どもたちにとっていいのか、何より自分が保てない時期がありました。仕事って大事だなとその期間は強く感じましたね」

博士課程で研究していたのは主に「だ液」。減量や練習における水分必要量などを科学的に分析した。選手のコーチングとは全く違う。未経験ながら医学の領域に足を踏み入れた。

「修士は柔道コーチング論も大学院でより深く専門的な研究を行いましたが、博士課程はスポーツ医学だったんです。本当に医学系の言葉が出てきて、僕はアスリートのだ液に着目して研究していました。本当に一から勉強しなくてはいけなくて、研究方法、論文の読み方から学びました」

博士課程はあまりの大変さから心を病んでしまう者もいるという。柔道時代の近しい仲間のほとんどは挑戦に反対した。一方で二つ返事で賛成したのは妻だった。

「早かったです(笑)。博士課程に挑戦したいという話をしたら、『行ったほうがいい。絶対行った方がいい』って」

柔道を突き詰めてきた平岡自身もなにかを変えたかった。ロンドン五輪銀メダリストだが、あと1勝できなかったことが考えを大きく変えた。

「銀メダルで人生は変わらなかったんですよ。五輪後は柔道界のパワハラ問題もすぐあって、柔道を見る目があのときはすごく厳しかった。これで終わるのは嫌だし、自分は柔道しかしてこなかったことを考えたら博士課程に進みたいという答えになりました」

一番は「自分は無知だ」という気持ち。ひとつの競技をマスターし、オリンピアンにまでなっているが「人に何も教えられない」の思いが突き動かした。

進んだのは完全に理系の世界だった。初日は何をしたらいいか分からず学校に着くと「まず何したらいいですか?」から研究者生活が始まった。

「マスクに手袋をして、血液取って、だ液を取って。それを遠心分離して上澄みを取って……。グラフは平均化して統計をかけなきゃいけない。論文を調べに図書館に行く。日が暮れても日にち変わっても勉強していました。でも他の大学院生も夜中まで研究室にたくさん残っているんです。だから自然と『僕もがんばろう』となりました」

「ひとりじゃなかった」――と平岡は何度も言う。「研究室の先生や先輩方がすごく面倒見がよくて。僕はものすごく能力が低かったんですけど、何度も勉強内容を見てくれたり、一緒に論文を調べてくれたり、一緒に実験をしてくれました。他にも大学生が実験に協力してくれたり、ひとりじゃ絶対無理でしたよ」と当時を振り返った。

約5年をかけて2020年に修了。数々の論文を出し、多くの発表も行った。その達成感は柔道で味わえなかったもの。思い出すと思わず白い歯がこぼれる。

「いままで“柔道ネイティブ”でやってきた。だから勝ち負けの結果にはある程度慣れているんです。でも論文はゼロから作り上げていく。しかも世間に認めてもらうものも作れた。それはすごいうれしかったです。武器が1個増えるみたいな感覚です」

学び直して良かったことは何なのか。柔道一筋だった平岡はこう振り返った。

「博士課程に行って良かったのは、博士号を取れたこと以上にいろんな人と出会えた。“柔道村”でしか生きていなかった自分が外に出て、他の県、他の国の人とつながれて交流ができました。すごく広がりましたね」島田将斗

© 株式会社Creative2