減胎手術という選択肢も…「3人を同時に失うのも、誰かを失うのも絶対に嫌だ」命懸けで挑んだ3つ子出産【多胎育児体験談】

momoさん(仮名/27歳)は、2023年7月に3つ子を出産したママ。現在0歳8カ月の3卵性の3つ子(長男・二男・三男)と夫の5人家族です。全2回の1回目の本インタビューでは、momoさんに、3つ子を妊娠・出産した時のこと、3つ子の産後育児について聞きました。

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減胎手術の選択肢も…3つ子のために命懸けで出産に挑む覚悟を決めた

妊娠6週のエコー写真

―― momoさんは昔から生理不順で、排卵が起こりにくく妊娠しにくいとされる「多嚢胞卵巣症候群(PCOS)」と診断されていました。2021年5月に夫と入籍したことをきっかけに妊活をスタートし産婦人科に通うことになりました。

「結婚する前はピルを飲んで生理不順を整えていましたが、多嚢胞卵巣症候群は不妊の原因になりやすいことから、結婚してすぐに産婦人科に通って妊活をスタートしました。

タイミング法での妊活は1年半続きました。通常だと1年半の間で計18回排卵するのですが、私の場合、1年半で排卵したのは計7回でした。妊活中はなかなか卵子が育たなくて落ち込んでしまうこともあったので、なるべく妊活モードから離れて、フォトウェディングなどを撮ったりして、夫婦だけの楽しい思い出を作って過ごしていました。そして7回目の排卵の時に、『今回は排卵チェックをやめて自然に任せてみよう』と医師と話し合い、排卵誘発剤と基礎体温の計測による排卵日の予測で妊娠することができました」(momoさん)

―― 生理予定日から1週間、高温期が継続し、妊娠検査薬が陽性に。その後、産婦人科を受診したらすぐに3つ子の妊娠が発覚したそうです。

「『胎嚢が1つ、2つ、いや、3つあります!あ〜…3つも着床しちゃったね〜。でも、全員正常妊娠ですよ。とりあえずは良かったです』と医師が言いました。排卵して、受精して、細胞分裂して、着床するだけでも本当にすごい奇跡なのに、3つの受精卵すべてに着床してくれたことに嬉しさ・驚き・戸惑いの感情が同時に襲ってきました。『私は、3つ子ちゃんを妊娠したんだ!!!』と目玉が飛び出そうでした。

しかしそんな喜びもつかの間、医師からは現実的な言葉が投げかけられました。『妊娠できるって分かって本当によかったね!でも、3つ子の妊娠は本当にリスクがあるし、育児も大変だから、正直なところ妊娠を継続するのは厳しいと思います。普通の産婦人科では産めないし、大きい病院で色々な検査をして、出産前には管理入院、そして帝王切開になります。赤ちゃんも未熟児で出産することになります。堕ろすなら少しでも早い方がいいから、年末年始に夫婦で話し合って年明けの診察で結果を聞かせてください』と。その時初めて減胎(減数)手術(多胎妊娠の場合に胎児を減らす手術のこと)というものがあることを知りました。

私は、3人の心臓がピコピコと動き、この世で一生懸命生きようとする姿を見た時から、『私はこの子たちの母親なんだ』という気持ちがすでに芽生えていました。だから3人を同時に失うのも、誰かを失うのも絶対に嫌だ。ここで3人の尊い命を手放したら、一生自分を憎むことになるし、この先の人生も後悔しながら過ごすことになると思いました。

夫に『3つ子を妊娠したかもしれない……』と恐る恐る伝えると、『産んでほしい!』と即答で、『本当におめでとう!』と大喜びしてくれて心底ホッとしました。両家の両親も喜んでくれるとともに応援してくれて嬉しかったです。ただ、私が小柄なこともあり妊娠・出産に耐えられるだろうかという心配はありました。帝王切開で3つの胎盤を取り出す時に、大出血を伴う可能性もあり、生まれてくるまでは一体何が起こるか分かりません。私自身怖さもありましたが、3つ子のために命懸けで出産に挑む覚悟を決めました」(momoさん)

管理入院中は点滴の副作用と痒疹でボロボロに…

33週頃のmomoさんのおなか

―― 様々なマイナートラブルに見舞われながらも順調な妊娠生活を送っていたmomoさん。しかし29週を迎え、管理入院がスタートしてからは、おなかが大きくなるスピードが急激に早くなり、トラブルが絶えなかったそうです。

「管理入院中は、おなかの張りを抑えるための点滴の副作用がつらかったです。強いて言うなら、インフルエンザに罹ったような状態です。体がだるくて重くなり、動く気力がなく、ごはんを食べるのも寝返りをうつのもつらくなり、瞼が重くて目を開けているのもしんどい状態が続きました。お酒に酔いすぎた時のように視界がぐるぐるして、目の前の物が二重に見えていました。副作用で筋力が低下していて、歩くのも困難だったので、立った瞬間に崩れ落ちそうになることもありました。私の場合は、おなかが重たくてバランスを上手く取れないこともあり、トイレの度に看護師さんを呼んで手伝ってもらいました。その時は誰とも喋りたくなくなり、1日中ぼーっとしていました。(身体の倦怠感や火照りは氷枕で冷やすと少し緩和された気がしました)

あと、私が1番苦痛に感じたのは、点滴をつけた時の血管痛です。とにかく血管に激痛が走ります。点滴の針を刺しているところがズキズキして、変なところに刺さっているのではないかと思うぐらいの痛さです。点滴の管が振動するたびに痛むので、少し動くだけでもつらくて、2日間ぐらい眠れませんでした。(湯たんぽで温めると少し緩和された気がしました)

点滴をしてから数日は地獄のような日々を過ごしていましたが、3〜4日程度で少しずつ慣れてきました。適応していく人間の身体ってすごいですね!それでも、インフルエンザから微熱になったような感覚でしたが、結果的には点滴のお陰でおなかの張りが緩和されたり、実際に子宮頚管長も伸びたので、点滴をしてよかったと思います」(momoさん)

湿疹に悩まされていた妊娠9カ月頃

―― 点滴の副作用が落ち着いた妊娠9カ月頃、再びmomoさんの体に異変が起きました。

「いきなり手足にポツポツと赤い湿疹ができて、痒みが出てきました。それから、数日かけてあっという間に首から下全身に湿疹と蕁麻疹が広がっていき、痒さで眠れない日々が続きました。掻きむしると悪化して血が出てしまうので、痒いところは保冷剤で冷やしたり、上から軽く叩いたりして痒みを和らげるのが精一杯でした。NSTのベルトが当たるだけでも痒かったので、本当に辛かったです。皮膚科の先生に診ていただいた結果、診断名は『妊娠性痒疹(にんしんせいようしん)』と『掻痒性蕁麻疹様丘疹(そうようせいじんましんようきゅうしん:PUPPP)』でした。全身に広がった痒みと湿疹でボロボロになった肌を見て、『早く産んで楽になりたい』とくじけそうになったこともありましたが、3つ子たちはすくすく育ってくれていたので『ママも頑張ろう!』と思えました。命を授かることの奇跡と、命を育てることの大変さを実感しました」(momoさん)

限界まで伸びて透けていた子宮「無事に生まれてきてくれてありがとう」

生まれて間もない3つ子

―― 体はすでに満身創痍。それでも「母体がどれだけボロボロになったとしても、3人が健康に生まれてきてくれさえすればいい」と自分を奮い立たせ、momoさんはつらい入院生活を乗り越えました。そして様々なトラブルに見舞われながらも、妊娠34週を迎え、ついに計画帝王切開の日を迎えました。

「計画帝王切開の当日の朝9:00頃、部屋からベットのまま手術室へ移動しました。途中で夫と義父と会話ができて緊張感が和らぎました。手術台に乗せられてからは、体に色々なものが装着され、輸血用の点滴も準備されました。

背中の麻酔は、エビのように丸くなるように言われますが、おなかが大きすぎてなかなかうまくいかず、かなり時間がかかりました。下半身麻酔、痛み止めの注射、どちらもズンッとした痛さがありましたが、私の場合は耐えられるレベルでした。その後、首から下を見えないように布のカーテンがセットされて、麻酔が効いてくるのを待ちます。足がポカポカ、ジンジンして感覚がなくなってきたところで、冷たさや痛みを感じるか確認してもらい、感じなくなったら手術開始です。

1番恐れていたおなかを切られる痛みは全くありませんでした。それからはあっという間で、先生から『そろそろ赤ちゃん生まれるよ〜』と言われ、おなかがフッと軽くなるような不思議な感覚がありました。10:00に長男(1927g)が誕生、10:01に二男(2079g)、三男(1515g)誕生しました。『おぎゃあ〜』と3人分の高い声が聞こえてきた時は自然と涙がポロポロと溢れてきました。味わったことのない初めての幸せな感情が湧いてきました。後から聞いた話ですが、子宮が伸びすぎて薄くなっていて赤ちゃんが透けて見えていたそうで、子宮が破裂寸前まで大きくなっていたんだなと思いました。

3つ子の処置が終わり、保育器に入った3つ子が私の元へ来た時、咄嗟に出てきた言葉は『無事に生まれてきてくれてありがとう』でした。早産ですぐにNICUで治療が必要だったため、一人ひとりの手を触って見送りました。その後、胎盤を取り出したり、子宮を収縮させる薬を入れる処置をしていると、急に気持ち悪くなったので全身麻酔で眠らせてもらいました。次に起きた時にはシロッカー手術の抜糸など、全ての処置が終わっていました」(momoさん)

―― 母子ともに無事に終えた帝王切開による出産。小さな3つ子たちはすぐさまNICUへ運ばれ、それから約1カ月の間、面会以外は親子離ればなれの生活を送っていました。

「生後2日目に長男と三男はGCUに移動し、呼吸が安定しなかった二男は生後7日目でGCUに移動しました。入院中の面会時間は限られていましたが、日々成長している姿を見たり、お世話をするのが楽しみでした。病院で沐浴や授乳をさせてもらった時は初めて母親になったことを実感して嬉しかったです。退院目安の2300gに到達するまでに時間がかかったので、週2回の体重測定の日がもどかしく感じられました。そして出産から約1カ月経った頃、先に長男と二男が退院し、2週間遅れで三男が退院しました。3人それぞれの生命力に感謝するとともに、NICUとGCUの医師や看護師さんにはお世話になり、本当に頭が上がりません。

しかし今振り返ると、出産後に子どもたちと一緒に退院できなかったことが寂しかった記憶もあります。“これがベストの方法で仕方ない”と頭では分かっていても、出産したはずなのに、すぐに赤ちゃんを抱っこしたり、授乳や沐浴ができないことが悔しかったです。子どもたちが入院している間は、家で1人虚しく3時間ごとに搾乳した母乳を冷凍し、毎日欠かさずに病院へ届けていました。『この母乳が子どもたちの成長に大切な栄養になるんだ!』と思うとそんな日々も頑張って乗り越えることができました」(momoさん)

1日24時間あっても足りないくらい忙しい!けれど…

生後2カ月頃の3つ子

―― その後、3人は無事にGCUを退院し、momoさんが待ちに待った3つ子との生活がスタートしました。しかし、生まれたばかりの3人の赤ちゃんを同時にお世話するのはそう簡単なことではありません。

「2〜3時間おきのミルクタイムは、大体みんな同じ時間帯に起きました。基本的には、先におむつ替えをして、1人は授乳、他の2人はミルクを飲ませるのですが、同時泣きの時や人手が足りない時はダブル授乳、または授乳クッションやバスタオルを使ってミルクを飲ませ、電動搾乳機で搾乳するのが定番でした。授乳後すぐに寝てくれたらいいのですが、毎回そう上手くいくわけもなく、原因不明のギャン泣きタイムが続きます。結局、3人の寝かしつけであっという間に3時間が経過。最後の3人目がようやく寝たかと思うと、次のミルクタイムがやってきます(笑)。早く寝てくれて少し時間に余裕ができた時は哺乳びんを洗うか、洗濯物をするか、夜ごはんの準備をします。洗濯物なんて回し終わってからすぐに干せた試しがないです。

生後3カ月頃からは朝まで寝てくれる日も増えていたのですが、生後7カ月になってからは夜泣きが始まり、夜中に覚醒することも多々あります。それも3人バラバラの時間なので、今も新生児期と同じぐらい寝不足です。疲れて眠たい時は、子どもの寝かしつけと一緒に寝るか、夫や義両親に見てもらっている間に寝ています。

3つ子の育児は1日24時間あっても足りないくらい忙しい毎日ですが、同時に何事にも変えられないくらいの充実感と幸福感を得ています。それも、夫を始め、支えてくれる両家族のお陰だと思っています。3つ子を出産したことにより、周りの方々が力を貸してくださり、人の温かさと優しさに触れました。よく『3つ子の育児は大変!』と言われますが、私にとっては良くも悪くも3つ子の育児しか経験したことがないので、何とか前向きに頑張れています。単胎妊娠でも、双胎妊娠でも命懸けでわが子を出産する気持ちは同じだと思います。3人が私たち夫婦を選んでくれて幸せです」(momoさん)

お話・写真提供/momo(@mitsugomam0825)さん 取材・文/清川優美、たまひよONLINE編集部

命の危険がありながらも3人の子どもたちのために全力で出産に臨んだmomoさん。出産前は様々なトラブルに見舞われながらも、母子ともに無事に出産を終えることができました。産後のハードな3つ子育児体験も聞かせてくれましたが、大変さの中にある充実感と幸福感を糧にしながら、「せっかくなら3つ子育児をとことん楽しもう!」というmomoさんの前向きなメッセージが伝わってきました。

2本目のインタビューでは、親族や夫との家事・育児分担、出産準備や日用品の消費量、3つ子育児の楽しさ、多胎育児支援について聞きました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年3月の情報で、現在と異なる場合があります。

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