wowaka、早逝から5年 ハチ=米津玄師と比肩した稀代のボカロPが放ち続けるアンビバレントな魅力

ヒトリエ・wowaka、急逝。31歳没。まさに青天の霹靂と呼べるショッキングな訃報から、気づけば5年が経つ。元号が変わる歴史的瞬間に彼がSNSに記した、「令和きれいだー。」という簡素な言葉。澄んだ感性の滲む最後の投稿の下には、その死を惜しむ痛切な声が未だにずらりと吊り下がっている。今年も命日の4月5日にはX(旧Twitter)を中心に彼にまつわる多くのポストが散見され、「wowakaさん」がトレンドワードとなる瞬間も。

さらに彼がボカロPとして多くの作品を遺すニコニコ動画でも、「ワールズエンド・ダンスホール」「アンノウン・マザーグース」をはじめとした楽曲群に、その面影を偲ぶコメントが多数寄せられた。昔に比べ、今や邦楽シーンでも確固たる地位を確立する音楽ジャンル・VOCALOID。その認知向上の立役者として欠かすことのできない人物が、ハチこと米津玄師。そしてバンド・ヒトリエのフロントマンとして活躍したwowakaである。

早逝から5年。重ねてボカロPデビューから15年、そしてヒトリエのメジャーデビュー10周年という様々な節目が重なった今年、彼の遺した言葉を編纂した初の歌詞集刊行も決定した。まぎれもなく稀代の才能であったwowakaというクリエイターは、VOCALOIDを、そしてヒトリエというバンドを通じて我々に何を遺したのか。その足跡を、今回改めてこの機会に辿ってみたい。

彼が初めて世間にその存在を示したのは、2009年5月にニコニコ動画へ投稿されたVOCALOID曲「グレーゾーンにて。」。以降3カ月で6曲という驚異のハイペースで投稿を続け、2009年8月投稿「裏表ラバーズ」のヒットにより一躍彼の名はシーンに広がることとなる。

時を同じくして米津玄師ことハチも、2009年7月投稿「結ンデ開イテ羅刹ト骸」をきっかけに頭角を徐々に表し始めていた。以降両者は未だアンダーグラウンドなネットカルチャーの一端だったVOCALOIDシーンで切磋琢磨し合い、共に2012年に活動拠点をボカロ外へ移した後も、特別な絆を保ち続けていく。

周知の通り二人がシーンでその才能を開花させた2010年以降、VOCALOIDという音楽ジャンルには大きな流行の波が押し寄せた。もちろん、彼らの他にも当時シーンを彩ったクリエイターは大勢いる。しかしこのカルチャー最盛期に、その後も「ボカロっぽさ」と呼ばれる独自サウンドを生み出した祖として、両者の名は今なお音楽史の中で語り継がれている。

共に鎬を削り、結果期せずしてひとつのカルチャーを大衆化へ導いたハチとwowaka。両者の明確な分岐となったのは、やはり2012年以降の活動だ。

ソロミュージシャンとして「独り」の道を歩み始めたハチこと米津玄師。一方wowakaは当初こそ「ひとりアトリエ」という名を冠したものの、「一人」=個の強みを各々が遺憾なく発揮できる場として、バンド・ヒトリエを始動させる。

思い返せば、生前彼が尊敬してやまないと度々その名を口にしたバンド・NUMBER GIRLもまた、強烈な個を持つプレイヤー集団の代名詞的存在だった。当時、「初音ミクがおれの母親ならナンバーガールは父親です」という言葉をXに残していたほどだ。音楽的原点をそこに持つ彼はもしかしたら、偉大な先人バンドの後を追う自らの姿を、ひとりアトリエの青写真として描いていたのかもしれない。

重ねて邦楽バンドシーンのみならずVOCALOIDシーンでも、今なお彼がここまで愛され続ける理由。それは図らずしも早逝によって、wowaka自身が昨今の音楽文化に内包される命題の「相反する性質」を同時に持つ、非常にアンビバレントな存在になってしまった点も大きいと感じる。

本来その死によって一人物を神格化する真似は断じてしたくないし、彼らの死そのものを過剰に特別視したくもない。だがwowakaの場合はいちミュージシャンとしての軌跡を追った時、彼はさながら太極図のように相反する要素をひとつどころか複数抱えて人生を歩き切った、他に類を見ない数奇な運命を辿った人物のように思えて仕方ないのである。

初音ミクという機械を用いて独りで音楽を作る道から、wowakaという生身の人間として他者と音楽を作る道を選んだこと。あまりにも早すぎたその死すら、何よりも彼自身が有限の命であると、かつて創作を共にした無限の命へ提示するアンチテーゼとなったように感じる。

数年後に訪れる未来など露知らず、彼が愛すべき歌姫の記念碑として2017年に制作した「アンノウン・マザーグース」。すでに作者がこの世を去った状況下で、その曲は刹那の命であるヒトから永遠の命であるアンドロイドへの贈り物として、あまりにも皮肉で意味深なメッセージを孕みすぎるようにも思えてしまう。

結果として逝去から5年経った今、有限の存在である人間たち=ヒトリエは活動を継続する一方、無限の存在である初音ミクは二度と彼の手によって音楽を紡ぐことはない。本来各々が所有する性質とは真逆の運命を辿っている点も、ある意味非常にアイロニックな結末だ。

かつてwowakaは、物事を俯瞰的に見られる自身の特性に自覚的な一面からも、その地頭の良さを覗かせていた。しかし当然そんな彼ですら、おそらく自分の死は想定外だったはずである。自身の背負った宿命をここまで分かりやすく示唆する演出など、いくら賢明な彼でも構成できるはずはない。

だがそれでも彼の歩んだ道程を今こうして改めて紐解くと、ともすればあまりにも出来すぎた脚本のドラマを見せられているような気分にもなる。その点もまた、機械と人間の創る音楽の狭間にいる大勢の聴衆を、wowakaが未だ魅了する理由のひとつなのかもしれない。

人間の父、機械の母の間に生まれた稀代のミュージシャン。

彼が遺した音は、言葉は、これからも多くの人々に愛されるのだろう。音楽がこの世界に歌い継がれ、その物語を紡ぎ続ける限りきっと。

(文=曽我美なつめ)

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