ダウン症の三女の誕生をきっかけに人生観が変わった。「障害のある子も思いきり遊べる場所を作りたい」道場設立への思い【男子柔道日本代表監督・鈴木桂治】

稀子ちゃんが1歳を迎えたころ、鈴木監督はSNSで稀子ちゃんがダウン症を持って生まれたことを公表しました。

2024年夏のパリ五輪で男子日本代表を率いる鈴木桂治監督(43歳)が、1月に自身の柔道場「KJA道場」をオープンしました。
道場設立のきっかけは、22年9月に誕生した三女の稀子ちゃん(1歳6カ月)がダウン症候群と診断されたことでした。鈴木監督は、妻(41歳)、長女8歳(小学校3年生)、二女7歳(小学校1年生)、長男3歳(年少)、三女・稀子ちゃんの6人家族。「いずれは道場を療育施設としても機能させるように準備している」と話す鈴木監督に、稀子ちゃんの成長の様子や、道場設立の思いについて聞きました。全2回のインタビューの2回目です。

第4子がダウン症と診断。「この子のために父親としてできることは何か」自問した日々【柔道家・鈴木桂治インタビュー】

いろんなところへ一緒に出かけ、人のぬくもりを経験させたい

――稀子ちゃんは妊娠中から心臓の先天性疾患・ファロー四徴症があるとわかり、生後2週間ごろにダウン症候群と診断されたそうです。現在の稀子ちゃんの成長の様子を教えてください。

鈴木監督(以下敬称略) 稀子は生後3カ月で心臓の手術を受けました。なかなか体重が増えなくて苦労した時期もありましたが、今はすごく元気で、食事もきょうだいたちと同じようにしっかり食べて、むしろちょっと太ってきているくらいです。

ファロー四徴症の手術前には授乳もなかなか受けつけない感じで、ミルクを飲むのにすごく時間がかかっていたのが、今はごはんをしっかり食べるということはそれだけ心臓もよくなってきていることなのかな、と少しほっとしています。しっかり食べて、よく寝て、1歳半の現在は15歩くらいひとり歩きができるようにもなっています。何かにつかまって立って、よちよち歩くのがとても楽しいようです。

――稀子ちゃんは療育などに通っていますか?

鈴木 少し前まで、食べる練習をする療育に通っていたんですが、もう卒業でいいですよと言われ、今は通っていません。稀子は口に入れた食べ物をかむ回数が少なく、飲み込んでしまいがちなので、療育では「しっかりよくかむことをさせてください」と指導されました。僕も食事のときには、「いーっ」として口と歯を見せて、口に食べ物を入れたら「もぐもぐ」とよくかむ様子を見せながら、一緒に食べています。最近は歯も生えそろってきて、上の子たちが食べているものにも興味を持って食べるようになりました。

心臓の定期検査のため、手術直後は月1回の検査に行っていましたが、しだいに3カ月に1回になり、今後は1年に1回の通院がある予定です。

――稀子ちゃんの成長について家族で話し合っていることは?

鈴木 妻は、稀子がなにかできるようになったらすぐに動画を撮って送ってくれます。たとえば、稀子は最近までコップの水をストローで飲めなかったんです。ダウン症の特徴で舌が長いため、ストローをくわえて口をぎゅっと閉じることができなかったからです。それが、つい2〜3日前に突然ストローで飲めるようになって、妻がその様子を収めた動画を送ってくれました。

僕は、稀子を積極的にいろんなところに連れて行くことを心がけています。稀子にいろんなものを見てほしいし、いろんなことを実際に感じてほしい。そして、いろいろな人に触れてもらって、人のぬくもりをどんどん経験させていきたいと思っています。

稀子の居場所を作ることで、存在意義を感じてほしかった

愛犬とも仲よしの稀子ちゃん。

――鈴木監督は2024年1月に、障害児の発達支援も視野に入れた柔道場をオープンしたそうです。開設のきっかけは?

鈴木 稀子が生後2週間でダウン症候群と診断されたとき、稀子の成長には療育が必要なことや、医療的ケアが必要になる可能性の話もありました。それを聞いて、この子をどういうふうに育てていこうか、と妻と話し合いました。当時、妻は少し産後うつのような状況でもあったようで「4人の子育ては私には無理かもしれない」とふさぎ込んで、子育ての自信を失くしてしまっていました。

上の子たちの幼稚園の同級生で、療育を受けているお子さんもいたので知識がないわけではありませんでしたが、実際に障害のある子を育てる親目線で物事をとらえられるようになったとき、親はこんなにも悩むものだと気づきました。まして自分のいちばん近くにいる妻が苦しんでいる状況です。なるべく妻に負担をかけないように、自分も一緒に子育てをするにはどういう方法がいいのか、考えるようになりました。

僕は2年ほど前から、保育園や幼稚園に出張して柔道を教える教室を運営していました。でも拠点を持っていなかったんです。そこで拠点となる道場を作ると同時に、身体障害や発達障害がある子どもたちが少しでも楽しく遊べる場所を作ってあげたい、と考えました。そうすれば、稀子が安心して過ごせる場所にもなるし、妻の負担も軽くなるのでは、と思いました。

――まずは家族のためというところからだったんですね。

鈴木 はい。家族のことを第一に考えたことですが、それがまわりの人にも役に立てばいいかなと思っています。 稀子が生後3カ月で心臓の手術をしたあと、医師から「ダウン症の子は敏感で、周囲の雰囲気から自分の存在に否定的になることがある」と聞きました。だから、稀子が自分らしくのびのびと過ごせる、稀子のための場所を作れば、自分が大切にされていることや、自分が存在している意義を感じることにつながるのでは、とも思ったんです。

「ここでは自由に遊んでいいよ」と言える場所にしたい

稀子ちゃんもよく道場へ遊びに行っているそうです。

――子どもが障害の有無にかかわらず、自由に体を動かすことについてどう考えますか?

鈴木 保育園や幼稚園で柔道を教える中で、障害がある子の保護者の声を耳にする機会もありました。障害がある子どもは、その特性のためにお友だちに手が出てしまうとか、人のものを取ってしまうとか、そういったことで周囲に迷惑をかけてしまうから、なかなか集団で遊べるような場所に行くことができない、と聞きました。

障害がある子の保護者が安心して子どもを遊ばせられる場所って、たぶんあんまりないんです。子どもたちが自由に遊ぶと注意をされたり、もう来ないでくださいとクレームを言われてしまったり・・・そうすると親は行きづらくなりますよね。

でも子どもたちは、基本的には自分がやりたいことをやって遊んで、自分が楽しいと思うことに積極的に参加するものです。周囲に遠慮して、子どもたちの遊びの機会を奪いたくないと思うんです。

――道場は40畳の畳と、クライミングウオールなどを備えているそうです。

鈴木 僕の柔道場は、心や身体のバランスが整っていない子たちでも存分に体を動かせる場所です。もちろんけががないように十分配慮しますが、「僕たちが責任を持ちますから、ここではどれだけ暴れてもいいですよ」と言える場所になっています。

柔道場の畳ってすごくやわらかいんです。だから転んで頭を打っても大事故にはなりにくい。縄跳びやバランスボール、ラダー、ふわふわのバットなど、いろんな遊び道具がありますし、40cmのマットではぴょんぴょん飛び跳ねて遊べます。大人も子どもも一緒にいろんな遊びをできる場所として準備をしました。

――障害のある子どもを持つ親にとっても安心できる場所なんですね。

鈴木 現在すでにオープンしている柔道教室では、支援級に通っている子たちも健常児と一緒に柔道を練習しています。すごく楽しそうに柔道をやっていますし、子どもが積極的になった、と、お父さん・お母さんも喜んでくれています。

これまでいろんな幼稚園などで柔道教室を行なってきましたが、そのなかで、体験に来てくれる保護者の中には、やはり「迷惑をかけるから・・・」と参加をためらう人もいました。でも子どもたちは、自分よりも大きい僕を投げて(僕はわざと投げられたふりをします)「うわーい!」と笑顔いっぱいになって喜びます。保護者たちには、子どもがそんなふうに楽しみ喜ぶ姿を見てもらいたい、という思いがあります。

それに、人に迷惑をかけるって悪いことじゃないと思います。だれだって人に迷惑をかけるし、だれにも迷惑をかけずに大人にはなれません。安心して遊べる場所で、子どもがいろんな人と触れ合い、いろんなことを体験して、成長する機会を与えてあげてほしいなと思います。

発達支援も兼ねた柔道場を作ることで、子どもたちに柔道を通して心と体を豊かに成長してほしいですし、なにより保護者のよりどころにもなればいいなと思っています。

――発達支援事業所としての課題は?

鈴木 今、発達支援事業所としては申請中です。理想は、午前中は未就学児の発達支援、午後17時までは放課後等デイサービスとして使用できるようにしたいと考えています。
しかし、児童発達支援事業所として東京都の指定を受けるには、ほかの目的に使用する場所と併設ではなく、独立していないといけないという厳しい条件があり、難航しています。現在、行政などに対応してもらえるように解決策を探っているところです。

末っ子が僕にくれた課題

家族でハワイ旅行へ。「子どもたちをいろんな所へ連れて行き、いろんな経験をさせたい」と鈴木監督。

――稀子ちゃんの誕生で、鈴木監督自身の考え方が変化したことはありますか?

鈴木 稀子の誕生で、僕の人生観も変わりました。今まで見えなかったものが見えてきた、という感じです。たとえば、僕は今まで銀行でお金を借りたことがなかったんですけど、今回の施設を作るために事業計画書を作ったり、銀行へ行って返済の流れを確認しながらお金を借りるという経験をしました。稀子が生まれなかったらきっと経験できなかったことです。

自分の人生にとって絶対プラスになることですし、僕は大学の教員でもあるので、学生に話すときにも役立つでしょう。 鈴木家の末っ子は、僕にすごくおもしろい課題を与えてくれたと思います。

――稀子ちゃんは今後、保育園などに通う予定がありますか?

鈴木 上の子どもたちが通っている幼稚園に保育園が併設されていて、この春から稀子も週に2〜3回通園する予定です。園児が800人くらいいるマンモス幼稚園なんですが、身体障害や発達障害がある子も学年に10人くらい通っています。先日、二女がその幼稚園を卒園したんですが、二女と同学年にダウン症の子は3人くらいいました。障害のある子のことについて非常に理解がある園で、稀子のことも「大丈夫ですよ」と受け入れてくれました。

その幼稚園にはダウン症の会というコミュニティがあって、妻も招待してもらったそうです。先輩ママから食事のことや発達のことなどのアドバイスをもらった、と聞いています。まだまだ知らないことも多いので、そういったコミュニティでいろいろと教えてもらえることはとても心強いと感じています。

――鈴木家のお子さんたちはみんな柔道をしているのでしょうか?

鈴木 上の子たち3人は3歳から柔道に取り組んでいます。稀子も道場で過ごす時間が多く、子どもたちは道場に来る人みんなにかわいがってもらっています。

稀子も上の子たちと同じように3歳になったら柔道を始めるでしょう。どんな子でも思いっきり体を動かせる場所にしたいです。

お話・写真提供/鈴木桂治監督 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

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パリ五輪では男子柔道日本代表監督として、2週間ほど現地へ渡る予定の鈴木監督。「僕が不在の間、妻には負担をかけてしまいますが、義理の父や周囲の人にも協力をお願いするつもりです」と話してくれました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることを目指してさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年3月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

鈴木桂治監督(すずきけいじ)

PROFILE
1980年6月3日生まれ、茨城県出身。柔道家。国士舘大学大学院修士課程修了。2004年アテネオリンピック100kg超級金メダリスト。世界柔道選手権大会は2003年に無差別級、2005年に100kg級を制覇。全日本柔道選手権大会4回優勝。2021年9月には全日本代表チームの監督に就任。国士舘大学体育学部・教授。

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