現役最古の木造 兵庫・西宮『大関酒造 今津灯台』移設、江戸期の趣残し再点灯「そこに樽廻船が…」

移設されリニューアルした今津灯台 ライトの色は赤に<2024年4月6日 18時45分撮影 兵庫県西宮市今津真砂町>

200年以上の歴史を持つ、国内で現役唯一の木造灯台「大関酒造 今津灯台」(兵庫県西宮市)の移設工事が完了し、6日、約8か月ぶりに点灯した。

【画像】「大関酒造今津灯台」、移設経て再点灯

江戸時代、海運が盛んになり、常夜灯などが岬や港に近い神社の境内などに設置された。1793(寛政5)年に西宮津に今津港が築港され、灘の酒を江戸へ運ぶ「樽廻船」で賑わった。
酒造りはもともと、摂津国・伊丹、池田が発祥とされるが、名水が湧き、海路が確保できることから西宮でも始まった。江戸へ樽廻船で運んだ西宮の酒は美味しく評判を呼び、のちに「灘五郷」へつながっていく。

こうした中、酒造大手「大関」の創業家・長部(おさべ)家5代目大坂屋(おおざかや)長兵衛が、1810(文化7)年に私財を投じて建造したのが今津灯台。
その後1858(安政5)年に建て替えられた。銅板ぶきの屋根と杉材で作られた灯籠型で、高さは石の基壇を含めると7.5メートル。 航路標識として1968(昭和43)年に海上保安庁に登録され、現役の木造灯台では最も古く、1974(昭和49)年に西宮市の重要有形文化財に指定されている。さらに日本遺産「伊丹諸伯(※)と灘の生一本」の構成建築物にも認定された。
現在も大関が所有・管理し、油の灯りからLED(発光ダイオード)に変わり、海を照らしている。

大関によると、灯台の移設は創建以来初めて。

※諸伯(もろはく)麹造り用の麹米と仕込み用の掛米両方に精白米を用いて濾過によって澄んだ「清酒」造りの主流

移設工事は昨年(2023年)9月に開始。木造部分をつり上げて台船で運搬した。約150個ある積み石は分解し、移設先で復元、今年(2024年)3月に完了した。灯台設置の規則に基づき、灯台のライトは緑から赤に変わった。 赤は航行する船から見て港の右端に灯台があることを示すもの。

長年にわたり海辺で風雨にさらされた今津灯台。朽ちた部分は新しい部材に取り替え、残せるものは残すという文化財修復の原則に従って移設、再建された姿に、セレモニーに参加した参加者からは驚嘆の声が上がった。

今津灯台を所有する大関の長部訓子(おさべ・くにこ)代表取締役社長は創業家出身。セレモニーで、風格漂う灯台を見つめ、点灯のスイッチを押した。
セレモニーを終え、長部社長はラジオ関西の取材に対し「感情が沸き上がり、創業者・初代大坂屋長兵衛が現れ、樽廻船がすぐそこに見えるような感覚に浸った。これから私たちや灘五郷、西宮を見守る新しい灯(ともしび)となり、ランドマークになれば」と感慨深げに話した。

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日本酒の復権は、インバウンド(訪日外国人客)や海外市場での拡大による影響が大きい。国内ではアルコール離れや人口減少という課題をクリアしながら、一部でその魅力が見直され、多彩な食事とのペアリングを酒造会社が提案するなど、新たな段階に進んでいる。

長部社長は、「日本酒の人気は、アメリカや中国への輸出量の大きさが物語っているが、その他の海外諸国でもワインのように、一般家庭で冷蔵庫を開ければ“SAKE”があるという日常を作り出したい。日本酒は、デンプンを糖分に変える工程と、その糖分を発酵させる工程が同時進行する『並行複発酵』という醸造法で製造される。これは世界で類を見ない高度な発酵技術とされ、これが日本酒が持つ、繊細でまろやかで深い味わいを醸し出す基となる」と語る。

この日は、酒蔵で古くから唄われてきた「酒造り唄」の奉納もあった。大関の社内有志「酒造り保存会」のメンバーが集まり、毎月1回、終業後に練習しているという。記念の日ということもあり、メンバーは緊張した面持ちだったが、「秋洗い唄」と「酛摺り(もとすり)唄」を披露、セレモニー出席者から大きな拍手が上がった。

長部社長は、「酒造り唄も灯台も、酒と同じく守り伝えるべき伝統文化。次の50年、100年に向けた出発の日にしたい」と意気込みを見せた。

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